ある防疫作戦(福見秀雄著)

2013-10-07 00:00:13 | 書評
boueki岩波新書の1965年の出版。コレラの話だ。

コレラには二つの種類があって、普通のコレラは、アジア・コレラと呼ばれ、元々インドベンガル地域の風土病だったものが、19世紀になって世界に何波もの流行をおこし、その致死率の高さから恐慌を起こしている。コッホ博士によってコレラ菌の存在が解明され、その後感染の仕組みがわかり、人類とコレラとの闘いが続いている。

もう一つがエルトールコレラ。インドネシアやフィリピンといった地域でいつの間に流行が始まる。ちょうど、この本が登場する少し前から勢いがましてきて、今もこちらは時々流行するようだが、致死率が少し下がっている。

以前は、国から国への人の移動はめったにあるものではなく、それは船旅だったため、仮に患者が発生しても入港前に情報があるため、隔離措置が可能だったのだが、この頃から飛行機による移動が一般的になって、防疫体制が困難となってきた。もちろん現代でも同じことである。

そういう転換点の問題に対する考察と並列して、コレラ流行史についての記載が詳細である。今では書くわけにはいかないだろうが、患者の名前まで記載されていて、日本帰国後立ち寄った飲食店なんか書かれている。

日本にコレラが流行した最初は1822年。オランダ領ジャバの流行が長崎から潜入。二回目が1858年。この年には長崎から江戸まで患者が拡がり、一説では8月に江戸でコレラで亡くなったもの10万人といわれているが異論もある。1862年に終息したようだ。時は幕末の大混乱の時期である。

そして明治になり、明治10年(1877年)。今度は横浜と長崎と同時発生。おりからの南西戦争により兵士の移動にコレラ菌が同行してしまい、全国に拡散。そのコレラ菌が二冬を越冬し、明治12年に大流行。10万人が亡くなる。その後、数年おきに大流行が続いたそうだ。最後の大流行は1946年。こんどは復員コレラと言われている。

ところで、亡くなった母からこどもの頃に聞いた話だが、だいぶ先代の親戚の一人がコレラで亡くなったそうだ。食べ物に当たったと思っていたら1日で不帰の人となったらしい。もっとも、それがどういう関係の親戚かも覚えていないし、感染した場所も覚えていない。

本を読んだ結果、結構ありふれた病気だったようだ。そんな病気にうっかり感染すると、5割以上の人が亡くなってしまう。人生は不条理であり、無常だ。