「藤原の効果」という言葉から

2013-10-24 00:00:40 | 市民A
強力台風27号と超強力台風28号が日本列島に向かっている。このように二つの台風が近くに寄ってくると相関関係が発生し、通常と異なる進路をとることが知られている。この説を唱えた人物の姓をとり「藤原の効果」と呼ばれるそうだ。

では、なぜ「藤原効果」ではなく「藤原の効果」と「の」を入れて読むのだろうか。なんとなく、「ふじわらのかまたり」とか「ふじわらのみちなが」というように平安貴族であり、日本政治を思うがままに操った藤原氏の人物のような言い方ではないだろうか。

それで、まったく台風や台風被害や、被害の責任がどこにあるのか、あるいは、まだ日本に上陸していないので、数日後に自分が被害者になるのかもしれないというのに、どうでもいいような話が気になってしまい、調べ始めると、その疑問とは関係なしに色々なことが見えてきた。(A案件を調べていると、B案件が気になり、さらに調べるとC案件に興味を持ってしまうというようなこと)

まず、「藤原の効果」の提唱者だが、藤原咲平氏(1884-1950)。長野県の出身で物理学者。1920年ごろから天気予報の研究を始め、1941年に第五代中央気象台長となっている。「効果」は1921年に発表したそうだが、天気予報の勉強をして、すぐに大成果を得たことになる。しかし、戦争中に風船爆弾の作成に加わっていたことから、戦後、公職追放される。戦前と戦後とまったく異なる運命の星の元にいたわけだ。

そして、咲平氏の甥が新田次郎氏(本名藤原寛人1912-1980)。有名作家である。最初の勤務先は中央気象台富士山観測所。つまり叔父さんの会社(?)。コネだったのだろうか。その後、着実に勤務を続け、てい(1918- )女史と結婚。終戦時満州気象台に勤務していたため1年間抑留生活を送る。しかし復職した中央気象台は、おじさんの風船爆弾の件もあったのか、建物はすきま風だし、給料も薄給で、生活苦を極める。こどもの養育に困っていたのだが妻てい(藤原てい)が小説を書くと、これが売れるわけだ。

妻にできることが、私にできないはずはないと思ったかどうかは知らないが、自分も筆を取ると、案外うまくいく。結局、気象庁を退官し、文筆活動に専念。ところが、専念すると働き過ぎることになり、平均年齢をまっとうすることはできなかった。

そして、この夫婦のこどもが藤原正彦氏(1943- )。数学者で、エッセイストで「国家の品格」を著す。「お・も・て・な・し」思想なんて大嫌いなのだろうか。

そして、一転して咲平氏の兄弟姉妹の中の一人に「さわ」女史がいて、彼女の子供(つまり新田次郎氏のいとこ)に牛山清人氏がいる。清人氏は若い頃にハリウッドで映画俳優を目指していた。弟子入りしていたのが、早川雪舟(1886-1973)という日本人俳優で、無声映画時代の大スターだった。早川は海軍軍人をめざしていたが挫折し、一転渡米し、米国でダーティージャパニーズ役をステップとしスターになる。英語が堪能でなくてもよかった時代だ。早川氏の元には、牛山清人氏だけではなく、ルドルフ・バレンティノもいたそうだ(早川氏の妻も川上音二郎の姪である)。そのような華やかなハリウッド生活で牛山氏が知り合ったのがマックス・ファクター氏。そして妻となり共同経営者となるメイ牛山(1911-2007)女史もその一人だ。

しかし、華麗なハリウッド生活も、やがて日本人排斥運動に巻き込まれていくことになり、早川雪舟は欧州に避難し、大戦後はひっそりと水彩画を描く人生を送っていたのだが、ハンフリー・ボガードに見つけ出されて、またも映画に出演することになり、アカデミー賞受賞作「戦場にかける橋」で助演している。

一方、牛山一家は日本に戻り、化粧品会社を営業したが東京の工場を失い(空爆の結果?)、戦後、故郷長野で再起を図るが経営に失敗。再度、東京でハリウッドグループを再建したようだ。