「卯花墻」と桃山の名陶(三井記念美術館)

2013-10-06 00:00:39 | 美術館・博物館・工芸品
日本橋の三井記念美術館で開催中(~11/24)の、「卯花墻」と桃山の名陶展に行った。

卯花墻は、「うのはながき」と読む。デザインが卯の花の垣根のように見えることから命名されたようだ。そして、この茶碗こそ、国内で焼かれた茶碗の二つしかない国宝の一つなのである。もう一つは長野県の美術館にあるのだが、それは誰が作った茶碗かはっきりしているのだが、こちらは焼かれた陶窯しかわかっていない。ある意味、価値はこちらの方が高いということすら可能だ。

ただ、下世話な話、三井記念館=三井家が入手する前の所有者ははっきりしていて、その名家が手放した(あるいは借金のカタかもしれないが)という事実が、記録として残るわけだ(鍋島家の現在みたいな話だが)。

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で、見てのとおり、「卯花墻」は、志野である。本展では、志野、黄瀬戸、瀬戸黒、織部と瀬戸周辺地方の陶器を集めたものである。それほど離れていない各地で、かなり意匠の異なる陶器が製造されるというのも、なかなか面白いものだが、桃山時代にはすでに陶器が実用の品から離れて、鑑賞や趣味(茶道)といった道具になっていたのだろうと思われるわけだ。生活用品としての機能を追求していくという欧州での家具や食器の歴史が日本ではまったく見られないというのは、やはり、日本独特の考え方なのかもしれない。簡素より多様。ガラパゴス・・

で、問題の国宝だが、思っていたものより、やや大きい。国宝にたどり着く前に、同じ志野の名物茶碗をいくつか見ることになるのだが、それらはもっと縦の長さが短い(器的にいうと、浅い)もので、それなりに、「これが欲しいなあ・・・」とか思わせるものなのだが、「卯花墻」は深さも十分にあるわけだ。たくさんお茶を飲めるわけだ。スタバのサイズでいうとヴェンティ。

この高さが増した分、茶碗のゆがみや上辺の縁の波とか多くの表現を、盛り込むことができたのだろうと推測する。まあ、悪く言えば、ゆがんだバケツ状なのだが、それが製作過程で自然になったのか、作者の技によるものか、判然としないところが、なおいい。

ところで、出品目録を眺めると、三井記念美術館だけではなく大阪にある湯木美術館からも多数集まっているようだ。京阪神方面のお宝ウォッチも行きたいなあ。(現実は備前焼祭りにも行けそうもないし、瀬戸内国際芸術祭にも行けそうにないし、おかやま国際音楽祭にも行けそうもない。とほほだ。)