ワシントン・ナショナル・ギャラリー展

2011-09-04 00:00:34 | 美術館・博物館・工芸品
ギャラリーといっても銀座二丁目の裏通りの画廊ではない。米国の国立美術館である。その国立美術館から日本の国立新美術館に、大量の絵画が搬入され、9月5日までに1500円の拝観料を払うと観賞できるわけだ。何しろ、日本の新美術館には、常設展示用の美術品は、存在しない。これ以上財政状態を悪化させるわけにはいかないからだ。

といっても、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの膨大な美術品のために国家予算が使われて、トリプルAを失ったわけじゃない。

全部、個人の寄付によるわけ。寄付といってもおカネじゃなくて、美術品そのものの寄贈である。70年前にメロン財閥が所有する美術品を寄贈したのが最初である。日本では仏像や寺院の鐘を供出して軍艦や銃弾を作っていたころだ。

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ただし、日本でも、かなりの数の美術品が個人が寄贈しているのだが、その多くが、戦前から戦後すぐの時代だったようで、米国のように、現在でも寄付が続くと言うのは、やはり制度の違いなのだろうか。

それで、今回の展覧会のお題は「これを見ずに。印象派は語れない。」というのだが、まあ、蘊蓄を語るために展覧会に行く人は、そう多くないし、これを見たからといって、印象派全体がわかるわけじゃないので、そう肩に力を入れずにぼんやりと美術館の中を散策すればいいのではないだろうか。

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まず、クロード・モネが美人妻とこどもをモデルに描いた「日傘の女性、モネ夫人と息子」。印象派を本当に代表するのはモネである。印象派一筋。たぶん、印象派を語るには、世界中を歩き回ってモネの絵を観ればいいのだが、多くが個人蔵になっている。一時、おカネに詰まって、モデルを雇えず、妻と息子をモデルにして食いつないだ。妻は、庭園の管理もやらされて、池に睡蓮を増殖させたりや花畑の整備に尽力。後世のモネファンは彼女に感謝すべきだ。

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マネの「鉄道」。彼はなによりパリが好きで、さらにきれいな女性に目がなかった。とはいえ、美人ではない妻を恐れ、モデルに手を付けたくても、じっと我慢して、弟にさらわれてしまう。小心者であるが、それなりに華やかな絵画の一部に、ほんの僅かな「蔭」を置く。

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それと、ゴッホの作品がいくつかあって、やはり、美術館には、ゴッホが一枚はないと・・と思わせるのだが、残念ながら、ゴッホは作品数が少なく、さらに名画と凡画の差が大きいので、それが新興の美術館の悩みだ。「寄付を待つ」ということだろうか。


美術展というのも、同一の画家やテーマの統一を行う場合と、どこかの有名美術館の改装中のアルバイト世界ツアーのような場合があるが、そういう性格を理解してから行かないと、もっとルノアールが観たいのに・・と思うかもしれない。

個人的には、最後の部屋のセザンヌは、減らしてもよかったなあと、ちょっと感じた。


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