ロス疑惑を構成する三つの事件

2008-02-26 00:00:51 | 市民A
テレビ局が、保管倉庫から古いビデオを取り寄せて勉強会を始めたのと同様に、古い記憶をネット情報で補完してみる。時代を経てこの事件を回想すると、主に三つの事件から構成されていることがわかる。



1.ジェーン・ドゥ88事件
 1979年5月、ロス郊外でミイラ化した東洋系の女性の死体が発見される。

 1984年、「疑惑の銃弾」として文春が公開した情報で大騒ぎになった過程で、この死体が白石千鶴子さんであることが判明。白石さんは、三浦氏が社長をしていた宝飾店「フルハムロード」の取締役になった後、1977年に失踪。白石さんの口座から三浦氏は現金を引き出していた、とされる。

 この事件は今のところ、迷宮入り。

2.一美さん殴打事件(殺人未遂)
 1981年8月、ロス市内のホテルニューオータニに三浦氏と妻の一美さんが宿泊中、三浦氏がロビーで雑談中に、東洋系の女性が袋に入ったハンマーで一美さんを襲撃し、傷を負わせている。

 後に、三浦氏と交際中のポルノ女優Yが自首。
 
 この事件のみが有罪になり、殺人未遂として、Yは2年6ヶ月、三浦氏は6年の実刑を受ける。

3.ロス銃撃事件
 1981年11月、ロス郊外の駐車場で二人組の男が三浦夫妻を銃撃、一美さんの頭部を撃ったあと三浦氏の足を撃ち、1200ドルを奪い逃走。三浦氏は軽傷だったが、一美さんは意識不明の重体となる。その後、日本搬送後、伊勢原の東海大学病院で治療を続けるも1年後に亡くなる。

 その約1年後、1984年1月、文春が「疑惑の銃弾」キャンペーンを張り、三浦氏が一美さんに掛けていた保険金が1億5500万円になることを報道。悲劇の主人公が一転、疑惑の主人公に変わっていく。

 そして、日米捜査当局やマスコミ各社の捜査により、1988年、事件後9年、三浦氏と実行犯として駐車場経営者のO氏が逮捕される。そして裁判。

 1994年3月、東京地裁はO氏は証拠不十分で無罪、三浦氏は実行犯不詳としながら無期懲役の判決を下す。

 しかし、1998年、東京高裁は、実行犯とされる「氏名不詳者」と三浦氏の接点を見つけることは困難、として三浦氏に無罪判決(O氏にも無罪判決)。

 2003年5月、最高裁で無罪確定。


今回の、米国側による逮捕は、新たな証拠の発見によるものと考えられている。特にDNA捜査によって明らかになる新事実により、過去の未解決事件を次々に明らかにしているそうだ。

しかし、ロス銃撃事件について言えば、二人いたという共犯者の一人または二人が特定され、その人物の証言が得られたのだろうか。

あるいは、DNA鑑定で立件されるのは、第一の事件「ジェーン・ドゥ88」の事件の方ではないか、とも思えるのである。


後記1
当時の事件簿などを見ているうちに思い出したのだが、当時、同種の保険金関係の事件が3件あった。

「ロス銃撃事件」「モルジブ疑惑」「石垣島トリカブト殺人事件」

このうち、「モルジブ疑惑」は立件できず。「トリカブト」は有罪が確定し、無期懲役(亡くなった三人の妻のうち、最後の一件が立件)。実は、石垣島に行った際、事件のあった高級リゾートビラ「フサキリゾート」に泊まったのだが、事件以降、リゾート客が減少し、地元も高校生がモーテル代わりに利用しているとの話だった。


後記2
このエントリを書いていて思い出したのだが、きょう、管理している出資会社の経理担当役員から「社長が業務上亡くなった時のため、労災代わりに保険を掛けるから」と報告があった。受取人を聞くのを忘れていたので、明日確認しなければ。それで間に合えばの話だが。


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