倖田來未、舌禍二連発

2008-02-03 00:00:23 | 音楽(クラシック音楽他)
1月30日1時から放送されたラジオ番組「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)で「35歳以上の妊婦は羊水腐っている」と発言。まあ、ラジオは失言しやすい媒体ではあるのだろうけど、「手作り餃子」には負けるものの、バッシングされている。早々と謝罪したものの、批判の嵐は続いているようだ。まあ、日本人って、もっと致命的発言にも寛容だから(原爆しかたなかった、とか、ガソリン税の一般財源化とか)、あと数日で忘却のかなたなのかもしれない。



本人が、「羊水が腐る」と本当に思っているわけもないのだから、いわゆる「比喩」の一種。作詞家でもあるのだから、つい高等レトリックを使ってしまったのだろう。まあ、半分冗談のように比喩を使うのはシェークスピアの得意技だし、レトリック学で言えば、転喩、換喩、風喩といったテクニックになる。隠喩というのは、あまり歌詞には使わない。意味がわかるまでに数秒の時間がかかるからだ。

で、実際はどういうつもりで発言したかというと、「(私は、)35歳以上になって出産すると、色々な医学的リスクが増大するから、それまでには子供を生みたい。」ということだったに違いないわけだ。そして、キモとなるのは、(私は、・・)という個人的な希望を個人的意見としてしゃべっただけなのだろうと思うわけだ。

だいたい、彼女はコメンテーターとして出演したわけじゃないのだから、一般論を言っているわけでもないだろう。しかし、一般論として、「女性は35歳以上になって妊娠すると、胎児のリスクが高くなるので、もっと若いうちに出産しましょう」と、もっともらしくしゃべっていたら無難だったかと言えば、そうでもないわけだ。

それにしても、最近、「冗談」が通用しない時代になった、と思っていて、原因は、お笑いのパターンがヨシモト化しているところにあるのではないか、と危惧している。冗談というのもレトリックの一種だからだ。


一方、私が大きく衝撃を受けたのは、彼女が、この舌禍とほぼ同タイミングの1月29日(火)、『Yahoo!ライブトーク』に生出演。自身の恋愛観について「お付き合いするという事は、自分自身も学ばないといけないと思ってます。あと、別れたら“デス・ノート”(にその人の名を書く)。 死んだと思うようにしているんです。次の彼に申し訳ないと思うので」と発言したこと。

しかし、・・・

別れたら「デス・ノート」って、・・

確か、デス・ノートって亡くなった人を列記する帳面ではなく、そのノートに名前を書けば、書かれた人が亡くなるということではなかっただろうか。「別れる」→「ノートに記帳」→「死んだと思う」。というプロセスではなく、「別れたくなる」→「ノートに記帳」→「お別れが実現する」ということなのだろうか。

付きあう男性は、毎日、ノートをチェックしなければならないだろう。あるいは、自分でもノートを・・


ところで、舌禍といえば、坂出三人殺人事件の時、被害者の家族を「自分の家族の中では犯人という声が多い」という主旨をブログに書いて1年間の活動禁止処分を受けた女優の星野奈津子さんだが、処分が重すぎたのではないだろうか。同様の発言をした、ある元ラジオ・アナウンサーはお咎めなしなのにだ。