国吉康雄の魅力

2008-02-24 00:00:54 | 美術館・博物館・工芸品
8c567796.jpg国吉康雄は日本人なのか米国人なのか。芸術に国籍はないのだから、どちらでもいいのだろうか。本来、画家という職業に国籍なぞ、どうでもいいはず。

しかし、思いのままにならない彼の芸術家人生は、二つの祖国の間で揺れ動いていく。世界のどこにも根のない、文字通りなんら根拠のない国吉康雄という岡山で生まれた子供が、米国を代表する画家となるまでのことが、おぼろげに見えてきたのが「国吉康雄展」。東京竹橋の国立近代美術館で3月20日まで。常設展の料金の内数なので。

実は、展覧会をみてから、少し調べ始めたので、さわりだけなのだが、ロートレックに似ていたり、フジタに似ていたり、シャガールのようでもある。その誰よりも色彩は落ちついている。抽象画のようで具象的。ピカソのようでもある。彼の芸術は、どこからきたのか。

1889年(明治22年)、国吉康雄は岡山市出石町に生まれる。出生の地には記念碑があるらしい。両親は比較的豊かだったが、どうも康雄が生まれてからは貧乏になったらしい。岡山の工業系の学校に17歳まで通ったあと、中退する。そして、突如、米国へ移民の旅に出たのである。1906年。ヴァンクーヴァーからシアトルへ、そしてロス・アンジェルスに彼は流れていく。工事現場の土木作業員や靴磨き、そしてレストランの皿洗いなど、典型的な日系移民の姿だった。特筆すべきは年齢を13歳と偽っていたことだ。

8c567796.jpgこれらの彼の画家になる前の歴史は本人はまったく公の席では話したことがなく、後に(1919年)結婚し、やがて離婚した妻キャサリンの証言によるそうである。こども時代のことには話したくないことが多かったのだろうから、妻も多くは知らないのだろうか。(もちろん、私もまだよく把握していない)

そして、彼は4年間のロスでの生活の中で、「画家になろう」と固い決意を持つ。そして、当時、米国の唯一の国際都市だったニューヨークへ向かう。ナショナル・アカデミーという美術学校に入り、腕を磨いていくわけだ。そして、一気に省略してしまえば、いいスポンサーにめぐり合い、さらにパリに留学し、米国に戻りついに1922年に個展を開催。その後、フランスと米国で画家活動を続けるが当時の米国はバブル景気のさなか。そのため、芸術家も景気がよかったようだ。そして運命の1929年10月24日からの大恐慌が始まったわけだ。

ニューヨークは成金の町から一年後には浮浪者の町にかわるのだが、幸い国吉は株はやっていなかったようだ。彼の絵画に投資していた人はいたようだ。

1930年代に4ヶ月だけ日本に戻ったことがあったようで、親友のフジタから右傾化した日本での言動についてアドバイスをもらったりしているようだ。日本は、まったく水に合わず逃げるようにニューヨークへ戻る。

その後、第二次大戦となり、西海岸の日系人が収容所に送られる中、東海岸の日系人は、なんとか手を回して収容を免れていたようだ。同じ米国邦人芸術家協会仲間のイサム・ノグチは収容所から脱出するのに多くの苦難を強いられた。この苦い体験は彼を日本だけでなく米国までも嫌いにさせたようだ。亡くなった1953年の直前まで、彼は米国国籍を申請しなかった。法的には日本人でありながら米国を代表する大画家になった彼の人生を思うと、心が痛くなる。

8c567796.jpgそして、絵画についての話だが、彼の絵画の多くが研究されていないのをいいことに、勝手に書けば、ユダヤ系の妻キャサリンから、多大なスピリットの影響を受けていると思う。絵画の中の物語性、神秘性。背景にうっすら描かれる影に潜むさまざまな謎。シャガールも同じ線上だ(国吉の方が先だ)。きっちり輪郭を黒い線で描くのはパリ時代にフジタと影響し合ったのだろう。

そして、シャガール絵画のベースカラーが深い青であるのに対し、国吉絵画のベースカラーは薄い陶土色である。私は、国吉の出自など知ることなく彼の絵画を観たのだが、一瞬、関東にはない西日本の土の色のようだ、と感じたのだが、後に彼が岡山出身ということで、納得した。まさに薄茶色の岡山の土の色が、彼の絵画を支配しているベースカラーになっているのではないだろうか。


さらに、日米両国の間にまたがる不幸に翻弄された彼の絵画は、没後ふたたび不幸な状態に陥っていく。日本人コレクターの存在である。彼自身は日本が嫌いだったのに間違いないはずだが、1980年代の日本人コレクターは彼の絵画が大好きになってしまったわけだ。そのため、本来、米国人画家になり切ったはずの彼の作品が大量に日本に流れていったわけだ。そして秘蔵されてしまう。そうなると、芸術家としての評価も立たないし、優れた作品も世間から消えていってしまうわけだ。

しかし、その所在のほとんどはある個人というか法人の元に集まっていたことがわかる。岡山に本拠地をおく福武書店。今はベネッセ・コーポレーションである。こういうコレクションの多くと同じように、ついに個人所有の手を離れ、現在は岡山県立美術館に移管された、ということだそうだ。そのうち多くは、近代美術館に出張中なのだろうから、その後、時期をみて、岡山に行ってみようと思うわけだ。

それまでに、もう少し、彼の個人史の謎をうめられたらいいのだが。

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