ジャガイモを食む(はむ)

2008-02-27 00:00:11 | あじ
葉物野菜が高騰しているので、ジャガイモを食べることにして大量に買ってくる(要するに中国野菜が市場から減少して国産野菜が品薄で高騰してきたということらしい)。男爵・メイクィーンは普通品種だが、サラダ用にということで、別途新種3点セット購入。『アンデス・レッド』、『インカのめざめ』、『つがる小雪』。



三種まとめて、ゆでてからサラダにすると、『アンデス・レッド』はややコリコリ感があり、さっぱりとした味で、サラダ向きかもしれない。『インカのめざめ』は味が強く、これが一番旨味系かもしれない(もちろん好き好きだ)。『つがる小雪』は、あっさり素朴な味だが、大量に主食で食べるなら癖が無くていい。一番柔らかいので、煮物にすると煮崩れる可能性がありそうだ。

ところで、新種のネーミングにアンデスとかインカとついているが、ジャガイモの原産は南米と言われ、コロンブスの船団が新大陸から持ち出したと言われる。トマトも同様だ。日本に来たのはオランダ領インドネシアからで1600年代と言われる。日本に伝わった頃には「鑑賞用の植物」ということになっていたそうだ。これもトマトと同じだ。流入ルートがジャカルタ経由だったのでジャガイモになったのだろうが、今考えると、そんな南洋でジャガイモを大掛かりに栽培していたとは思えないから不思議な話である。

一方、以前、千葉市の幕張というところに住んでいたことがあり、その駅のそばに昆陽神社というのがあった。ちょっとした丘に神社と記念碑があった。江戸時代の農学者である青木昆陽がサツマイモの栽培実験を行った記念の地である。(最近までは、地元小学生の遊び場となっていて、地元に住んでいた椎名誠も神社で遊ぶのが大好きだったと述懐している。が、超最近、道路財源の餌食になった。)サツマイモの栽培は特に水田の作りにくい関東の畑地でも安定した収穫を期待できるという目的であり、実験は成功し、千葉はサツマイモの産地にもなっている。

ところが、同じ芋でも寒冷地向きのジャガイモはどうだっただろう。ドイツは今ではポテト王国だが、寒冷地の有効利用ということで、国王自らが毎日ジャガイモを食べ、国民に栽培を奨励したそうだ。

実は、数年前、青森県に行き、弘前から五所川原、そして太宰治の故郷である金木を訪れたのだが、津軽半島の突先である龍飛崎から弘前に至る国道339号線は、天候不順により飢饉の年は餓死街道といわれる凄惨な状況になっていたとの記録があるそうだ。なぜ、津軽藩は米作のみならず馬鈴薯作に挑まなかったのか。私は、単に藩主の無能さではないかと思っている(誤解かもしれないが)。

津軽小雪食みて哀しき
太宰読みさらに哀しき

ところで、ジャガイモというのは最下層の主食ともいわれ、豊作になると価格が暴落するのと同時に、家計に余裕が生じ、ジャガイモ以外の高級食材(例えばベーコンとか)に需要が逃げていき、さらに価格が下がるという経済学用語で言うギッフェン財として知られている。半導体みたいな話である。