デジカメを持って歩くと、様々なものを写してしまうのだが、歩道橋の上から事故現場を撮影。まあ、軽微な事故だ。場所は国道246号線の、ある場所で、交通量はきわめて多い。
ところでこの246号、名前がなかなか魅力的だ。「にいよんろく」と呼ばれて、偶数の3連続等差級数だ。和音のような響きだ。始点は東京の三宅坂で、終点は沼津。ほぼ、東名高速と同じ場所を走る。電車でいえば、都内は銀座線、渋谷からは東急田園都市線と並行する。赤坂見附から渋谷までは「青山通り」という別名を持つ。神奈川県内では「厚木街道」とか「大山街道」と呼ばれる場所があり、江戸時代は伊勢原(伊勢ではない)の奥座敷の大山神社への参詣道路でもあった。
静岡県沼津では国道1号線(旧東海道)と合流して消滅することになるが、そちらに行ったことはない。また都内側は千代田区三宅坂で内堀通りとぶつかって消滅する。その、三宅坂の交差点にある、とある建物へ行ってみる。正式名称は「社会文化会館」。社会民主党(社民党)本部の建物である。
首都高の上から一瞬、見えるのは、何か貧相な感じがする看板だ。が、間近に見ると堂々とした建物だ。看板を立派なものに交換すれば支持率は1%は増えるはずだ。そして、最近の報道では、このビルの屋上で、養蜂家が25の蜜蜂の箱を並べているそうだ。以前は自民党本部の屋上で営業していたのを追い出されたそうだ。自民党が養蜂家を追い出したのは、蜜の原料になる花粉が皇居の住人の敷地内から無断で持ち出されていることに気付いたからだ。というのはウソで、テロリストの攻撃があった時に、屋上から脱出するためのヘリポート建設のとばっちりだそうだ。
実は、ある政治評論風来坊から聞いた話では、社民党が民主党に合併できないのは、いくつかの理由によるというのだが、それを書くのは確証がないのでやめておく。また福島党首は先日、チェスチャンピオン、ボビー・フィッシャー救出のため大活躍だったので、きょうは批判しない。
そして、その風来坊からの情報で、社民党本部の地下レストランでは、結党以来続いた「コロッケ定食」が、60年間古典的な味を守り続けている、という情報を得たのだ(たぶん冗談だったのだろうが)。「守ったのは憲法とコロッケで、失ったのは議席と支持者」なのだろうか。そして、もちろん確認のため、党本部へ直行する。
党本部1階の浅沼稲次郎胸像の前を左に曲がると、地下へ続く階段がある。階段が暗いので何か危険な陰謀の香りが漂う。しかし、あらわれたのは普通のレストランだ。さっそくコロッケ定食を注文してみる。価格は内税で600円。何人かの議員や職員たちがあちこちのテーブルに座り、雑談をしているのが、自然に耳に入ってしまう。残念ながら、倒幕の密談をしているグループはなさそうだった。
そして、問題のコロッケの味だが、噂どうり、きわめておいしい。ただ、60年前のコロッケの味とはとても思えないのである。というのも、食材を持ち込んでいるのが「シダックス」であるということを運悪く突き止めてしまったからなのだ。
追記:以前のエントリで「日本橋」の歴史的価値について触れたことがあるが、「五街道の基点が日本橋」というのはわかるが、橋には北と南と二つの始点しかなく、北側は、奥羽(日光)街道、中仙道であり、南側は東海道というのは絶対的だが、江戸城の裏側の四谷、新宿へ抜ける甲州街道は、日本橋から江戸城北回りとなるのか、南回りになるのか、と考察したのだが、三宅坂の三叉路交差点の道路標示を見ると、内堀通は国道20号線となっている。20号線は甲州街道であるのだから、甲州街道は江戸城南回りということになる。とすれば、井伊直弼が討たれた桜田門外も甲州街道ということになる。そして井伊直弼の居宅は、この三宅坂の憲政会館の位置になる。登城必要時間は10分しかなく、かなり直弼が時間に正確だったからこそ、受難してしまったのだろう。少しの用心があって、出勤時間を毎日変えていれば、暗殺はできなかっただろう。そうなると現代の日本は・・・と書き始めるとまた新たなエントリができてしまうので、きょうはここまで。
ところでこの246号、名前がなかなか魅力的だ。「にいよんろく」と呼ばれて、偶数の3連続等差級数だ。和音のような響きだ。始点は東京の三宅坂で、終点は沼津。ほぼ、東名高速と同じ場所を走る。電車でいえば、都内は銀座線、渋谷からは東急田園都市線と並行する。赤坂見附から渋谷までは「青山通り」という別名を持つ。神奈川県内では「厚木街道」とか「大山街道」と呼ばれる場所があり、江戸時代は伊勢原(伊勢ではない)の奥座敷の大山神社への参詣道路でもあった。
静岡県沼津では国道1号線(旧東海道)と合流して消滅することになるが、そちらに行ったことはない。また都内側は千代田区三宅坂で内堀通りとぶつかって消滅する。その、三宅坂の交差点にある、とある建物へ行ってみる。正式名称は「社会文化会館」。社会民主党(社民党)本部の建物である。
首都高の上から一瞬、見えるのは、何か貧相な感じがする看板だ。が、間近に見ると堂々とした建物だ。看板を立派なものに交換すれば支持率は1%は増えるはずだ。そして、最近の報道では、このビルの屋上で、養蜂家が25の蜜蜂の箱を並べているそうだ。以前は自民党本部の屋上で営業していたのを追い出されたそうだ。自民党が養蜂家を追い出したのは、蜜の原料になる花粉が皇居の住人の敷地内から無断で持ち出されていることに気付いたからだ。というのはウソで、テロリストの攻撃があった時に、屋上から脱出するためのヘリポート建設のとばっちりだそうだ。
実は、ある政治評論風来坊から聞いた話では、社民党が民主党に合併できないのは、いくつかの理由によるというのだが、それを書くのは確証がないのでやめておく。また福島党首は先日、チェスチャンピオン、ボビー・フィッシャー救出のため大活躍だったので、きょうは批判しない。
そして、その風来坊からの情報で、社民党本部の地下レストランでは、結党以来続いた「コロッケ定食」が、60年間古典的な味を守り続けている、という情報を得たのだ(たぶん冗談だったのだろうが)。「守ったのは憲法とコロッケで、失ったのは議席と支持者」なのだろうか。そして、もちろん確認のため、党本部へ直行する。
党本部1階の浅沼稲次郎胸像の前を左に曲がると、地下へ続く階段がある。階段が暗いので何か危険な陰謀の香りが漂う。しかし、あらわれたのは普通のレストランだ。さっそくコロッケ定食を注文してみる。価格は内税で600円。何人かの議員や職員たちがあちこちのテーブルに座り、雑談をしているのが、自然に耳に入ってしまう。残念ながら、倒幕の密談をしているグループはなさそうだった。
そして、問題のコロッケの味だが、噂どうり、きわめておいしい。ただ、60年前のコロッケの味とはとても思えないのである。というのも、食材を持ち込んでいるのが「シダックス」であるということを運悪く突き止めてしまったからなのだ。
追記:以前のエントリで「日本橋」の歴史的価値について触れたことがあるが、「五街道の基点が日本橋」というのはわかるが、橋には北と南と二つの始点しかなく、北側は、奥羽(日光)街道、中仙道であり、南側は東海道というのは絶対的だが、江戸城の裏側の四谷、新宿へ抜ける甲州街道は、日本橋から江戸城北回りとなるのか、南回りになるのか、と考察したのだが、三宅坂の三叉路交差点の道路標示を見ると、内堀通は国道20号線となっている。20号線は甲州街道であるのだから、甲州街道は江戸城南回りということになる。とすれば、井伊直弼が討たれた桜田門外も甲州街道ということになる。そして井伊直弼の居宅は、この三宅坂の憲政会館の位置になる。登城必要時間は10分しかなく、かなり直弼が時間に正確だったからこそ、受難してしまったのだろう。少しの用心があって、出勤時間を毎日変えていれば、暗殺はできなかっただろう。そうなると現代の日本は・・・と書き始めるとまた新たなエントリができてしまうので、きょうはここまで。