246・三宅坂・コロッケ

2005-04-16 20:08:19 | 市民A
f9c142c7.jpgデジカメを持って歩くと、様々なものを写してしまうのだが、歩道橋の上から事故現場を撮影。まあ、軽微な事故だ。場所は国道246号線の、ある場所で、交通量はきわめて多い。

ところでこの246号、名前がなかなか魅力的だ。「にいよんろく」と呼ばれて、偶数の3連続等差級数だ。和音のような響きだ。始点は東京の三宅坂で、終点は沼津。ほぼ、東名高速と同じ場所を走る。電車でいえば、都内は銀座線、渋谷からは東急田園都市線と並行する。赤坂見附から渋谷までは「青山通り」という別名を持つ。神奈川県内では「厚木街道」とか「大山街道」と呼ばれる場所があり、江戸時代は伊勢原(伊勢ではない)の奥座敷の大山神社への参詣道路でもあった。

静岡県沼津では国道1号線(旧東海道)と合流して消滅することになるが、そちらに行ったことはない。また都内側は千代田区三宅坂で内堀通りとぶつかって消滅する。その、三宅坂の交差点にある、とある建物へ行ってみる。正式名称は「社会文化会館」。社会民主党(社民党)本部の建物である。

首都高の上から一瞬、見えるのは、何か貧相な感じがする看板だ。が、間近に見ると堂々とした建物だ。看板を立派なものに交換すれば支持率は1%は増えるはずだ。そして、最近の報道では、このビルの屋上で、養蜂家が25の蜜蜂の箱を並べているそうだ。以前は自民党本部の屋上で営業していたのを追い出されたそうだ。自民党が養蜂家を追い出したのは、蜜の原料になる花粉が皇居の住人の敷地内から無断で持ち出されていることに気付いたからだ。というのはウソで、テロリストの攻撃があった時に、屋上から脱出するためのヘリポート建設のとばっちりだそうだ。

実は、ある政治評論風来坊から聞いた話では、社民党が民主党に合併できないのは、いくつかの理由によるというのだが、それを書くのは確証がないのでやめておく。また福島党首は先日、チェスチャンピオン、ボビー・フィッシャー救出のため大活躍だったので、きょうは批判しない。

そして、その風来坊からの情報で、社民党本部の地下レストランでは、結党以来続いた「コロッケ定食」が、60年間古典的な味を守り続けている、という情報を得たのだ(たぶん冗談だったのだろうが)。「守ったのは憲法とコロッケで、失ったのは議席と支持者」なのだろうか。そして、もちろん確認のため、党本部へ直行する。

党本部1階の浅沼稲次郎胸像の前を左に曲がると、地下へ続く階段がある。階段が暗いので何か危険な陰謀の香りが漂う。しかし、あらわれたのは普通のレストランだ。さっそくコロッケ定食を注文してみる。価格は内税で600円。何人かの議員や職員たちがあちこちのテーブルに座り、雑談をしているのが、自然に耳に入ってしまう。残念ながら、倒幕の密談をしているグループはなさそうだった。

そして、問題のコロッケの味だが、噂どうり、きわめておいしい。ただ、60年前のコロッケの味とはとても思えないのである。というのも、食材を持ち込んでいるのが「シダックス」であるということを運悪く突き止めてしまったからなのだ。


追記:以前のエントリで「日本橋」の歴史的価値について触れたことがあるが、「五街道の基点が日本橋」というのはわかるが、橋には北と南と二つの始点しかなく、北側は、奥羽(日光)街道、中仙道であり、南側は東海道というのは絶対的だが、江戸城の裏側の四谷、新宿へ抜ける甲州街道は、日本橋から江戸城北回りとなるのか、南回りになるのか、と考察したのだが、三宅坂の三叉路交差点の道路標示を見ると、内堀通は国道20号線となっている。20号線は甲州街道であるのだから、甲州街道は江戸城南回りということになる。とすれば、井伊直弼が討たれた桜田門外も甲州街道ということになる。そして井伊直弼の居宅は、この三宅坂の憲政会館の位置になる。登城必要時間は10分しかなく、かなり直弼が時間に正確だったからこそ、受難してしまったのだろう。少しの用心があって、出勤時間を毎日変えていれば、暗殺はできなかっただろう。そうなると現代の日本は・・・と書き始めるとまた新たなエントリができてしまうので、きょうはここまで。

三角形の「のろい」

2005-04-15 20:09:30 | MBAの意見
ffc5c568.jpg会社勤めの経験のある方や、経営している方にはよくわかる話だろうが、決算書でマイナスをあらわす記号に「△」がある。「-」と書くと見にくいからだろう。EXCELの表示形式では指定できないので、1列使って、(ifマイナスなら△)というような論理式を使うことになる。特にビジネスでは嫌われる記号なのである。しかし、わざわざこの三角形の形のビルを芝浦に作って、自業自得になった会社がある。カネボウだ。

昨年、再生機構入りをしたばかりなのだが、4月13日に過去の粉飾決算を明らかにした。読売新聞によると2,156億円とのこと。そして9年前から債務超過だったことが判明した。記事だけではよくわからないのだが、粉飾の大部分はかなり初期の時期に発生しているように読める。カネボウのHPを見ると過去5年分の決算書の修正を一気に公開している。(経理部門は大変な仕事だったろうと思うが同情はできない。実際には、連続性の原則があるので、もっと前の分から計算したのだろう。どの役員の時にいくらの粉飾をしたかが明らかにならないと責任の比率が明確にならない。)


そして、実際に粉飾自体に驚く人はあまりいないだろう。粉飾しなければ即死だったはずだからである。また、債務超過というのは、借金(負債)と資産をすべて清算して会社を解散しようとしても、赤字になって、清算しきれなくなることを意味するのだが、そうなると資金繰りが途切れた瞬間にアウトになる。カネを貸してくれる人がいなくなるからだ。となると何らかの粉飾に追い込まれることになる。

実は、これから注目したいのは、「粉飾の手口」である。以前勤めていた会社はいつも穴のあいた泥船のような状態で、必死の決算をしていたので、手口はずいぶん知っている。だからと言って粉飾決算をしていたということではなく、「A:これ以上やると、違法だ」とか「B:これ以上やると、発覚する」というようなラインに詳しいということなのだ。このAとBでは実際に大違いで、最初はA止まりだが、次にBになる。そしてこういう行為の常として「C:これ以上やっても、発覚しないだろう」というところまでエスカレートする。

そして、債務超過になる時点が問題で、今回もそうだろうが、役員はさまざまな裁判の被告になるわけだ。したがって、普通は直ぐにギブアップする。カネボウはどういう手口だったのだろうか?そして監査法人は何を見ていたのだろうか。監査法人もレッドカードものだ。

読売の記事では、売上げの水増しや経費の過少計上という手法が書かれているが、そんなに簡単ではないはずだ。今までの粉飾で有名なのは、山一方式のように海外子会社に差損を付回してしまうケースや大手商社や石油会社、大和證券などがデリバティブ取引の失敗で将来の収益に穴をあけてしまったケースが多い。しかし、メーカーのようなリアルな業態だと、隠すにもどこかに矛盾がでてくるはずだ。よくあるのが連結子会社の決算月を1、2ヶ月ずらして利益の移転をする方法や、本来は在庫なのに倉庫の中で売上げを立ててしまうような架空売買なのだが、それらは短期的には隠しおおせても(バランスシートの欠陥は、特定の1日の資産状況をあらわすだけで期間全体をあらわすものではないからだ)長期には難しい。バランスシートに矛盾がでてくる。特に無理な粉飾をした場合、前後の年のバランスシートを比べると、違う会社のように見える場合がある。さらにに、グレーゾーンである各種仕組債。実際には使われていない土地や倉庫や休止設備の滅却をしないでおいておくとか、無形固定資産(本当は無価値固定資産と言った方が正しい)の価値評価、といったキャッシュフローに影響しない手法も人気がある。

以前報じられたのは、子会社の毛布を穴に埋めたとか、市況対策(?)で化粧品を買い取って、これも穴に埋めたとか聞いた事がある。アナに埋めるなんか文字通りアナログ手法だ。近い将来、カネボウの保有地を格安で入手した企業がマンションでも建てようかと穴を掘ると仰天するかもしれない。カップラーメンや風邪薬やアイスクリームの箱なんかが大量に発掘されるかもしれない。

どうして、そんなに粉飾できたのかというのは、かなり参考になるはずだ。おそらく、じっくり調べた記事が来月あたり経済誌などに登場すると思われるので、研究してみるといいだろう。まさにカネボウは研究材料にはもってこいのモデルである。1.なぜ収益力がなくなったか?(これは、既に色々報道されている)2.再生可能か?(ダイエーと同じかもしれない。事業を小分けしてカーブアウトすると、優良分野だけが売れてしまい、手元に残った現金で残存債務を穴埋めすると、ちょうどゼロになり、その段階で解散して、あとかたもなくなるというようなことを「再生」とは言わないだろうに。3.いかなる手法で9年間も発覚しなかったか(これが一番面白いかも)。そして4(番外).訴訟の山と審判。

ところで、こういう手法を研究して、にやにや自己満足に浸る人たちのことを日本語では「帳簿まにあ」と言うのだが、英語に翻訳すると「analyst」というらしい。おおたアナか。

相当以前だが、カネボウハリスという会社があったのを覚えているだろうか。製品は「風船ガム」だった。暗示的であったわけだ。・・・・・ パッチン!!

シャボン玉は割れると消えてなくなるのだが、風船ガムは後に無残な姿を残したのである。

関東最大(級)リサイクル店?

2005-04-14 20:12:16 | マーケティング
0094695e.jpg近くに不思議な店ができた。関東最大級リサイクルショップと黄色の看板に書かれている。しかし、店名が書かれていない。そして、この店舗の入った三階建てのビルは、毎年のように店舗が入れ替わる。リサイクルショップの前は、大型電器店、その前は家具店だった。だんだん格落ちになっていくようで寂しい。今度の店はどうなのだろう。

黄色の看板には大きく「リサイクル」の文字があるが、よくみると自転車の安売りもやっているようだし、100円ショップの表示もある。さっそく、中に入ると、一階は全部駐車場だ。来店数から言うと大きなダメージがある。ドロップ・イン・レシオは極めて少ないだろう。店舗が2階にあっても来客数に影響が少ないのは「医者」と「本屋」だそうだ。「リサイクル」では集客力は今一つかもしれない。ただ、ちょっとした歩道の構造の関係で、この店の前を歩く人は非常に少ない(道の向側の歩道を歩く方が駅に近い)ので、関係ないかもしれない。

店舗は階段を上がった2階だが、向かって左側がリサイクルショップだ。テレビと洗濯機が異常に多い。そしてかなり安い。パソコンやビデオはジャンク品が並べてある。家具は南方系の新品が置いてある。そして売れていないようだ。薄型テレビを買ったので不要になった厚型テレビはやはり買いたくないだろうし、洗濯機というのも、中古はちょっと清潔感にかける。近くには中古PC専門店もあるのにジャンク扱いパソコンでは、せいぜい・・・。

目をフロア中央に戻すと、そこは新品自転車が制圧している。7000円台からで、国産もある。が、よく見ているとギア無しばかりだ。横浜は坂道ばかりなので、ギアなし自転車は、苦しい。さらに自転車の安売り専門店も10分くらいのところに2軒ある。調査不足だ。ギア付きも数台あったが中古だ。リサイクルサイクルかと語呂合わせが頭に浮かぶ。

そして、最後の驚きは店舗右サイドの100円均一(通称100キン)ショップコーナーだ。この店の道路をはさんだ向い側にあるスーパー内には、最大手の「ダイソー」が店を出している。正確に言うとダイソーは105円ショップだ。そして、この名前のわからない100キンはなんと88円均一になっているのだ。16%引きだ。利益率は半分くらいになっているかもしれない。4月から横浜市のゴミ回収方法変更のため大量に必要になったハサミを2本カゴにいれる。そして、88円の棚から移動すると、なんと、48円の棚が現れる。半額以下だ・・・。

さらに、奥に進むと驚愕のコーナーがあらわれた。10円均一だ。10キン。それでも新品だ、ボールペンや鉛筆や消しゴム、その他雑貨多数が並ぶ。価格破壊ではなく価格消滅という感じだ。ここまでやるか?と思ってしまう。

この「リサイクル」「自転車」「100キン」の3店舗は同一のレジを使っているのだが、みたところ売れているのは「100キン」ならぬ「88・48・10キン」ショップばかりのように見える。他の売り場面積をどんどん侵食していくのだろう。でももうかるのかな?どうも今度の店は1年もたないような気もするのだ。

マスターズ&アスリートの結婚

2005-04-13 20:13:33 | スポーツ
f50f0ac9.jpgマスターズはタイガー・ウッズが勝った。プレーオフの結果、ディマルコを振り切る。しかし、毎年のマスターズがそうであるように、日本時間の朝9時前に試合が終わるので、テレビ中継を見ていても、15番ホールくらいであきらめて会社へ通勤しなければならない。そして出社してからネットで結果を確認することになる。今、政府と経済界がひそかに画策しているのが京都議定書対策のサマータイム制導入だが、逆サマータイムで1時間遅らしてしまえば、結果を見てから出社できる。あるいは、どうしてもゴルフを見てから出社したいなら、自分が社長になればいいのだが、動機が不純だ。

ともあれ、久しぶりのメジャー大会優勝だ。

実は、個人的には、「タイガー・ウッズ打法」を使っている。と書くと、すごいスーパー・パワーヒッターのように聞こえてしまうが、彼のマネをするのは危険だ。ややクローズド・スタンスにもかかわらず、インサイドからクラブヘッドが出て行き、左に引っ掛けそうなものを右に打ち抜き、ボールはほぼまっすぐ飛んでいく。かなり無理のあるスイングだ。タイガーと同じように振っていると、馴染みのカイロプラティックの先生を喜ばせるだけの結果になる。

実は、使っている「タイガー・ウッズ打法」とは単に、スイングのタイミングを取る時に「タイガー・ウッズ」と口に出して打つこと(本当は声は出さないが)。ははは。

アドレスからバックスイングに入る時に、「タイガーーー」とのばしていって、トップで一瞬の間を作って、左側への体重移動と同時に、「ウーーーーーーー」と一気に振り切ってクラブヘッドが540度回転したあと、シャフトが背中にぶつかって止まる時が、「ズ」になる。かなり正確に英語で発音しなければならない。この方法を、他人に教えてあげる時は、かならず発音を直してあげてからでないといけない。「タイガーーー」の部分は簡単だが、Woodsを日本語的発音で、「ウ」「ッ」「ズゥ」と発音しようとすると、振り下ろすクラブを、一旦、「ウッ」と腰の高さのあたりで停止させなければならない。そして「ズゥッ」とボールを打つことになるが、きっと同伴プレーヤーは、爆笑を通り超えてしまうだろう。地球上にはありえないフォームだからだ。離陸しようとした飛行機が一旦離陸をやめようとスピードを落としたものの、またも気が変わって加速するようなものだ。

ところで、昨年の不振ぶりについてタイガーの言い訳は、「結婚式の準備で忙しかったから」というのだ。確かにスウェーデン人女性との結婚式は2004年10月5日なのだが、彼が1年間も忙しかったという話を聞いて納得する人はいないだろう。世界中に散らばる彼の親戚一同を集めた時の席順でも悩んでいたのだろうか?

同様に、変な結婚話が、ブラジルサッカーのロナウドだ。今年2月14日にパリで同じブラジル人モデルのダニエラ・チカレリと結婚パーティを開いたのだが、実は、この両者ともまだ以前の離婚が成立していないとのこと。ただしチカレリさんは米国で結婚したため、離婚も米国で行わないといけないらしい。この結婚制度と国籍の問題というのはかなりやっかいであいまいになっている。イスラム圏で妻を4人登録できるからといって日本人男性がインドネシアで2号、3号と登録しても日本では無効だが、逆にイスラム圏の国籍の男性が日本に来ても重婚罪で逮捕したりはしない。まあどうでもいいのだけど、4月になって、ダニエラさんは妊娠1ヶ月と発表。「1ヶ月」で発表するのも珍しいのだが、もうそろそろロナウドもサッカーを再開する頃ではないかな。

もう一人、変なのが、大魔神こと佐々木投手。落ち目の上に、離婚して次のお相手の所にいるようでは高額慰謝料は間違いないところだ。そして、試合に出るたび打たれる。
思い出せば、全盛期の彼のパターンは、1球2球とスピードボールでストライクを取り、3球目には、鋭角的なフォークボールで三振をとることだ。ちょうど彼の野球人生を重ねて考えれば、ベイスターズを優勝に導いた時が1球目のストライク。マリナーズで活躍したのが2球目のストライクだったのだろう。そして、不調を窮める現在の状況は、不安定に揺れ動きながら鋭角的に落下して、もうすぐ地面に落ちそうな3球目のフォークボールのようなものなのだろうか。そして、おそらくワンバウンドしたボールは誰も知らないどこか遠くまで転がっていくのかもしれない。あたかも180ヤードパー3、5番アイアンから放たれた会心の高弾道が、予期せぬ突風に押し戻され、グリーン手前に静かに広がる暗緑色の池の深みに、バックスピンの渦を作りながら、ゆっくりと沈み込んでいくようなものなのかもしれない。

将棋名人戦の先に見える和服精神

2005-04-12 20:14:39 | しょうぎ
3f3e05fa.jpg将棋ファンにとって4月は特別な意味がある。江戸初期から伝わる名人位をかけての戦いが始まるからだ。

今年は4月12/13日の二日間で七番勝負の第一局が行われる。対戦は、森内俊之名人と羽生善治王位・王座・棋王・王将(四冠)。ほぼ2週間に1局のペースで第二局以降が行われるが、正直言って、かたや絶不調の森内名人と超絶好調の羽生四冠では、「勝負は論外」とする向きが多い。プロ棋士は約150名ほどだが、当の二人を含め、全員が羽生名人返り咲きを予想しているのではないだろうか。名人を通算5年以上獲得した棋士には、永世名人の称号が与えられるのだが、今まで通算4年間名人に就いている羽生善治四冠は今回、名人に返り咲けば18世名人の資格を手にする。

さて、今まで17人の永世名人だが、11人は家元制度による江戸時代の人物である。そして明治になり、ゴタゴタの末、2人が名人位につき、その後、昭和12年から実力名人制度に移行した。実力名人制になってからは、14世名人木村義雄、15世大山康晴、16世中原誠、17世谷川浩司までが確定している。そして羽生善治18世の次の19世が誰になるのかは、まるでわからない。


私も、棋界の隅っこでボランティア「こども教室」を開いているのだが、将棋関係者の最大の悩みは、「囲碁より格下」ということだ。明らかに国内の競技人口は将棋の方が多いのにスポンサーは少ないし、プロ棋士の数は1/3程度だし、企業のお稽古クラブだって、囲碁棋士の方が口が多い。名人戦など将棋のタイトル戦に出場する棋士は、必ず羽織袴の正装で向うのだが、囲碁のタイトル戦はみんな平服だ。普段の対局でも囲碁は脇息に背もたれがついているが、将棋では脇息だけで背もたれがない。かなりストイックになっている。

では、その囲碁と将棋の差がいつ発生したのかを辿ってみると、相当古い話になってくるようだ。しかし、将棋側の資料では囲碁を悪く書くし、囲碁側の方でも逆である。多少、間違いがあるかもしれないがご容赦願いたい。

囲碁にしろ将棋にしろ現在のルールとほぼ同じになったのは戦国時代末期と考えられている。戦国武将の多くは、このボードゲームを楽しみ、強豪を指南役として招いていた。その一人が京都に名声を成した本因坊算砂(法名:日海)である。1559年の生まれだ。そして算砂の一番弟子が後に初代将棋名人となる大橋宗桂である。年は逆に算砂より4歳年上。そして、この二人のコンビは信長、秀吉、家康の三大権力者にぴったりと取り入ってしまうのである。そして囲碁所と将棋所の二つの役職が認められることになる。当初は算砂が両者を兼ねていたが、その後将棋所は大橋宗桂に譲る。記録上、将棋は宗桂の7勝1敗。囲碁の方は不明だ。あてがい扶持は各50石と、この時には囲碁将棋同格であった。

ところで、江戸時代の身分制度は何でも「終身制」が多い。将棋所にかかわる名人位も終身制だったのだが、この大橋宗桂は80歳まで長寿を誇ることになる。そして、その跡目問題でゴタゴタが始まる。これが大名なら「即、御取潰」だが、こと将棋という技術分野ではそういうわけにもいかず、結局、大橋家、大橋分家、伊藤家の三家並立になった。そして50石あった石高は三家各20石ということになった。1石100万円として計算すると、5000万円だった売上高が2000万円になったようなものだ。そして、しばらく将棋界が停滞している間に、囲碁界では年に一度の「御城碁」がはじまる。1626年のことだ。江戸城内で将軍の前での対局である。ここで差がついてしまった。

それから約10年ほど経つと、将棋指しの登城も始まる。「御城将棋」だ。場所は江戸城内黒書院である。お城シリーズブログも書いている立場で解説すると、黒書院は本丸ほぼ中央にある。小泉首相が「郵政民営化が本丸」と言うので、本丸=天守閣と勘違いしている人が多いが、天守閣はただの芸術作品のようなものかもしれない(あるいは毛沢東流に言えば「はりこの虎」)。どこの藩でも政務は本丸とか二の丸とかいう普通の部屋で行われていた。事実、江戸城の大天守閣は1657年の振袖火事で焼失してしまい。再建工事は途中まで行われたものの土台ができた段階で財政難で中止された。道路族に知らせてやらねばならない。
さて、この江戸城内での対局だが、囲碁と将棋と同時に行われていたのだ。将棋側の歴史には、毎年11月17日に登城していたと記載されているが、囲碁側も同様だ。日本将棋連盟は11月17日を将棋の日と決めているが、自分勝手に決めてよかったのだろうか。

そして、黒書院は4部屋より成っていて合計78畳であることがわかっている。想像だが二つの対局は別室で行われていたのではないだろうか。なにしろ対局者以外各10名ほどが控えていたというのだから、一室では狭い。制度が始まった頃は、対局者がライブで指していたのだが、その後は、予め対局した手を将軍の前で再現するようになった(現代で言えばVIDEO放送だ)。二つの部屋を将軍が行き来し、対局者は、お目見えの間に10手くらいずつ指すのだろう。

そして歴史はまた、囲碁・将棋に差をつける。当初は囲碁所、将棋所とも羽織着用が認められたのであるが、江戸中期になると、囲碁所にはさらに袴(はかま)の着用が認められるようになる。限りなく武士階級に近づいたのである。将棋の方は初代大橋宗桂の時代から袴なしだ。宗桂像とされる図画にも袴はない。袴がないと裾が乱れるので正座しかない。つまり背もたれは不要だ。(座布団は元々殿中では使われなかった)


そして、その身分の差を引きずりながら、現代の将棋指しは「袴」に対して異常にこだわる。制度的に認められなかった反動かもしれない。また囲碁棋士へのあてつけの意味もあるだろう。若手棋士など、タイトル初挑戦の時など、対局料以上の大金を和服につぎこんだりするのである。しかし、私見であるが、囲碁界とのステータスギャップを埋めるには、そうした外見によるデモンストレーション行為では、解決にはならないようにも思えるのである。

ただし、和服購入費用はタイトル戦で着用する場合には、その全額が必要経費として税務署に認めてもらえるそうだ。「それなら」と、私もこども教室に浴衣でも着ていこうかな。悪ふざけの過ぎるこどもには、「天誅!!」、「破門!!」、「成敗!!」とか叫んで、竹刀を振り回してみれば効果的かもしれない。

追記:江戸城黒書院のことが少し判明。他の建物がヒノキ作りに対し、この建物だけは赤松材を用いている。白書院が公式な来客に対して使われたのに対し、少しフランクな来客用だったそうだ。そして約80畳の建物が「田の字」型に4分割され、左奥が上段の間、左手前が下段の間、右奥が囲炉裏之間、右手前が西湖の間というようになっている。上段の間と下段の間は高さが約20センチ違い、右側の二部屋は控えの間になっていた。将棋と囲碁の棋士は11月17日に将軍の前で公開対局を行ったのだが、どのように配置されていたのだろうか。両者とも10人近い御付がいたと考えられるのだが、プレーヤーのみが上段の間で、控えのものは下段の間とか・・
なんとなく、上段の間が囲碁で下段の間が将棋、というような気もするのだが・・・

うっすらと漂う、4-1の噂

2005-04-11 22:41:56 | 市民A
a32d09fd.jpg東京都内に昨年末からうっすらと流れている噂がある。それは北方領土3島返還論だ。実際のリークからの噂なのか、意図的にどちらかの国から流されているのかはわからない。かなり、噂には肉付けがされていて本当らしくも感じる。うわさを考える前にいくつか、整理しておこう。

まず、北方4島の面積だが、歯舞は100平方キロ。色丹は253平方キロ。国後は1,499平方キロ。択捉は3,184平方キロで合計5,036平方キロ。つまり歯舞+色丹は全体の7%、国後が30%、択捉は63%である。

次に、二国間の条約の推移だが、説明の便宜的に広義の北方領土として4つの地域を設定する。
A.歯舞+色丹
B.国後+択捉
C.ウルップ島からシュムシュ島(北千島)
D.南樺太。

もっとも古くは1855年の日魯通好条約ではBとCの間に国境を定め、樺太については国境を決めなかった。

次の条約は、1875年の樺太千島交換条約で樺太全体をロシア側に譲渡する一方、Cの北千島を日本領とすることになる。

その後日露戦争が勃発。結果として、1905年にポーツマス条約が締結され、Dの南樺太を日本が領有することになる。(ABCDのすべてを日本が領有)

その後、第二次世界大戦が勃発し、昭和20年8月8日にソビエトが対日参戦をし、日本はポツダム宣言を受諾する。しかしその後もソ連軍は進駐を進め、9月5日に北方4島を占有する。

この第二次大戦終局部分は複雑だ。

まずポツダム宣言(1945年7月26日)は当初米英中の三カ国の宣言であり、その後ソ連が参加することになる。領土問題の記載の背後にあるのは、一つはカイロ宣言(米英中1943年11月27日)であり、もう一つはヤルタ協定(米英ソ秘密協定1945年2月11日)だ。

時系列で追うと、カイロ宣言では、
It is their purpose that Japan shall be stripped of all the islands in the Pasific which are she seized or occupies since the biginning of the first world war in 1914, and that all the territories that Japan has stolen from the Chinese, such as Manchuria, Formosa, and Pescadores, shall be restored to the Republic of China.

Japan will also be expelled from all other territories which she has taken by violence and greed.( November 27,1943)

前段では第一次大戦開始以前に戻すことが規定されている。中国関係には固有名詞が使われている。
後段は、一般的規定で、この節だけでは、いつ以降ということが明確でないが、otherという単語は前節を受けていると考えられるので、前節同様に第一次大戦開始以前と解するのが一般的だろう。(となると、千島のすべてと南樺太は日本領となる。


次がヤルタ秘密協定である。この協定は主にヨーロッパ戦線の終結後の体制を決めたものだが、日本問題については、ソ連の参戦を規定してあり、その果実として
一 外蒙古(蒙古人民共和国)の現状は維持する。
二 1904年の日本国の背信的攻撃により侵害されたロシア国の旧権利は、次のように回復される。
  (イ)樺太の南部及びこれに隣接するすべての島を、ソヴィエト連邦に返還する。
  (ロ)大連商港を国際化し、この港におけるソヴィエト連邦の優先的利益を擁護し、また、
    ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地としての旅順口の租借権を回復する。
  (ハ)東清鉄道及び大連に出口を提供する南満州鉄道は、中ソ合併会社を設立して共同に
    運営する。但し、ソヴィエト連邦の優先的利益を保障し、また、中華民国は、満州に
    おける完全な利益を保有するものとする。
三 千島列島は、ソヴィエト連邦に引渡す。

実際には、ヤルタ協定は、米国が議会で批准していないし、実際には中国の主権を侵害する条項は実行されなかったため有効性はないと考えられる。もちろん秘密協定で日本側は知らないわけである。


次にポツダム宣言の領土規定である
The terms of the Cairo Decleration shall be carried out and Japanese sovereignty shall be limited to the islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, Shikoku and such minor islands as we detarmine. (July 26, 1945)
前段がカイロ宣言の確認であり、後段が固有名詞である。such minor islands as we detarmineというのがその対象個所である。そしてそれは不明確であり、米国はヤルタ協定ではないと言っているわけだ。


そして1951年にサンフランシスコ平和条約があり、樺太と千島の領有権を日本は放棄した。この千島の中に、択捉、国後は含まれているかどうか明確になっていない。さらに放棄した領土の行き先は書かれていない。沖縄や小笠原は米国信託統治と規定してある。さらに言えば、ソ連は調印していない。

問題は、この時1951年に全権大使である吉田茂は「歯舞、色丹は固有の領土」というスピーチを発しているが。国後・択捉についても日本の固有領土であると言うべきだったわけだ。(もっとも。言わなかったから放棄したとは解釈はできない)


ここから先が、戦後の交渉になるのだが、1956年日ソ共同宣言(両国批准)では平和条約締結後、歯舞、色丹を日本に引き渡すことが規定されている。いかにも2島返還に合意しているようだが、日本側の解釈では、2島返還と平和条約締結を行っても、領土交渉は続くということである。そして平和条約は締結されていない。ロシア側も、2島を引き渡すといっても主権は別だということを言っている。

次に1993年の東京宣言では、「4島全体が領土交渉の対象である」ということを確認している。実質的にはこの段階でロシアも国後択捉問題をテーブルにのせることに同意し、日本は北千島と南樺太の領有権がロシアにあるということを認めたことになるだろう。

このあと、川奈提案という、「主権を日本と認めれば引渡時期は先延ばしする」という案があったがロシアが拒否をしている。

両国間の最後の宣言は、2001年のイルクーツク宣言で、交渉の原点が1956年の日ソ共同宣言であるということを確認している。(つまり、サンフランシスコ条約以前のごたごたした部分にはふたをしようということである)

つまり、それなりに交渉は煮詰まってきているのは確かなのである。

ここから先はライブな話になる。
プーチン政権の豪腕さがどこまで続くのかはわからないが、州知事を簡単に任命制に変えたりする男であるから独裁者に向いつつあるのは間違いない。その中で領土問題では、昨年、中国と国境を確定した。アムール川の2島とウスリー川の1島である。中国の固有の領土3島を実効支配していたロシアが、1島を中国領にし、1島を1/2に分け合う形で解決した。要するに半分ずつということだ。そしてその方法を日本に使えないかと、アドバルーンを上げ始めたのかもしれない。

が、どうみても日本が歯舞・色丹の2島の7%の面積で満足するわけがないことは明らかであるため、ロシア国内で1956年の2島返還論をベースして、プラス1(国後)を足して決着しようと考えている可能性がある。それでも面積的には択捉は4島合計の63%もある。(国後は沖縄島程度だが、択捉は鳥取県程度である)日本は島の数で3/4、ロシアは面積で63%と主張するわけだ。

そして実際ロシアが譲れないのは、国後択捉間にある国後水道のロシア海軍による自由航行のはずだ。もちろん核兵器搭載の原潜のことだ。ここが通れなくなるとロシアの潜水艦艦隊は太平洋への北側の出口に苦労することになる。だから択捉は日本に渡せないのである。

しかし、この3島案の最大の問題は、どちらの国内でも損失論が沸騰することが目に見えている。そこで、逆にどこからともなく3島論が聞こえてきたのかもしれない。非公式世論調査というか・・・

もし3島案が俎上に乗るとするなら、どちらの国ももう一つプラスアルファの要因が必要なわけだ。領土に替わるべき、巨大プレゼントである。喪失感を埋め合わせる実利が必要なのだろう。そして、少し前から考えているのではあるが、ロシア側が日本に期待する実利はたぶん各種あるだろう。よりどりみどりかもしれない。しかし、一方日本がロシアに領土一島に見合って求めるものは何かあるのだろうか?実際に見当がつかない。今の日本に必要なものは、物質ではなく、「不良債権処理」とか「土建屋国家からの脱却」とか「赤字国債依存の終焉」とか「拉致被害者奪還」とかの課題であり、そこにロシアの必要性は感じられない。そう考えると、結果として3島論はあっという間に風の中に吹き飛んでいくのかもしれない。

しかし、皮肉にも3月に開始される愛知万博の最大の目玉は「ロシア製冷凍マンモス」であるらしい。死せるマンモス、生ける政治家を走らすというような話があればまた展開は進むかもしれない。

2国間交渉は時に不自由で進まないものであるが、もし交渉の仲介者をさがすなら、冷凍マンモス以外に一人適任者がいるかもしれない。それは米国政府の中でもっともロシアに近いと言われる新国務長官ライス氏である。もっとも彼女が親日家であるという話はさっぱり聞こえてこないのではあるのだが。

汽笛一声は新橋ではなかった!

2005-04-11 20:17:38 | 日本最古鉄道
b375128d.jpg汐留再開発で生まれた街を総称してシオサイトというのだが、高層ビルが林立した一角に2階建ての石造り風の洋風建築が再建された。旧新橋停車場を模した建物で、その中に「鉄道歴史展示室」が入っている。

一般に、鉄道は新橋=横浜間に運行されたのが最初とされ、明治5年10月14日(1873年)、明治天皇を乗せた御覧列車が新橋=横浜間を往復した日を記念して10月14日を鉄道記念日という。いきなり天皇陛下が文明の利器に乗るというのも「ちょっと変だな?」と引っかかるものがある。現代で言えばリニアモーターカーのようなものだ。そしてもう一つ、かなりこどもの頃から謎に思っていたことがある。それは、「なぜ始点が東京駅でなく新橋駅だったのか」ということだ。そして、その謎を解くために、入場料無料の鉄道歴史展示室の資料にあたったのだ。実は、目的の新橋駅選定の理由にはおぼろげしか肉薄できなかったのだが、もっと驚いたことに、最初の鉄道は、新橋発ではなかったことを発見したのだ。実に、会社の昼休み3回を使って足を運んで調べた。(その割に書き栄えは?だが)

何しろ、明治5年当時の事情につき、丹念に資料にあたると、いくつかの食い違う記載があることがわかる。明治は遠くなりにけりだ。そして、乗車運賃の表などを見ていてやっとわかったのだが、日本で最初に鉄道が走ったのは、明治5年5月7日である。そしてその時の区間は、横浜=品川の2駅間である。要するに部分開業である。そして、4ヶ月間の商業運転の後、品川=新橋間が開通した。既に運行している列車なので、明治天皇も安心して乗車することができたわけだ。

5月7日の早朝に横浜駅から汽車は走り出し、途中駅なしで品川まで約1時間で到着する。その後まもなく、横浜=品川間に神奈川と川崎という2駅が誕生。そして4ヵ月後に新橋まで鉄道ができたわけだ。実際に鉄道が新橋まで延伸したのは記録上は9月12日なのだが、後に太陽暦に換算され10月14日に改められている。途中駅が品川、川崎、神奈川というのは、今の東海道線(湘南電車)とほぼ同じだ。時間は1時間強で1日6往復。料金は上等が1円12銭5厘、中等75銭、下等37銭5厘だ。当時は米1斗(15kg)が37銭5厘だそうだ。下等でも米15kgとイコールということは8,000円くらいと考えられ、かなり高い。が新幹線に1時間乗って静岡まで行くと12,000円くらいだから、それほどおかしくもない。


「汽笛一声新橋を」は鉄道唱歌だが、この唄が発表されたのは、27年遅れて1900年である。すでに、東海道線も東北線も中央線も開通していて、唱歌の中で各線ごとに駅が順に紹介されていくのだが、最初が新橋駅ということだ。そして、当時は東北線は上野が始発で、中央線が東京になっていた。要するに各線バラバラで不便だったわけだ。欧州の大都市ではよくある形態だ。

現代でも、鉄道路線の予定地選定となれば混迷するのだが、当時も鉄道路線については大論争があったわけだ。技術的には、なるべく海岸線に近いところを走れば、資材の運搬に便利だし、平らである。しかし、これに反対したのは、「漁民」である。要するに、魚が逃げるということだろうが誤解だ。それで、若干海から離れたところに線路が敷かれた。そして、問題の新橋駅の場所だが、いくつかの要素がある。

まず、今でも「外国人(投資家)打払い令」を出しかねない政党もあるぐらいだが、当時も外人問題があったそうだ。外人が多く住む場所の一つは横浜である。そして東京市内では築地居留区である。現在の聖路加病院や新阪急ホテルのあるあたりだ。築地に近いところに駅を作ると、外人がどんどん横浜から東京へ入ってくるではないかとの危惧を持つ筋がいたわけだ。その人たちは、今の浜松町のあたりを終点に考えていたらしい。これも無論、誤解だ。また兵部省は浜離宮のあたりを海軍基地にしようとしていて、そうなると浜離宮より品川寄りの浜松町止まりにしなければならなかった。もし浜離宮から内陸に向って海軍基地になっていたら現東京の都市機能は大いに変わっていたはずだ。

ところが論議が密室で続けられている間に、線路より先に駅舎の用地が決まってしまったのだ。それが、この汐留の銀座寄りの場所である。そこにあったのは二つの大名屋敷で、一つは会津藩、もう一つが仙台藩であるが、どぢらの藩も官軍ではないため、おそらく政府に没収されていたのだろう。結果として、築地に近い新橋に駅ができ、あっという間に線路が敷かれたため、浜離宮が海軍基地になることはなかった。その新橋駅は、現在の東海道線より少し海寄りに位置するため、さらに都心まで延伸しようとすると新橋遊郭をなぎ倒す必要があったはずだ。そういうのはいつの時代でもなかなか立ち退かないものだ。

そして、時代は移り変わり、現代の「旧新橋駅停車場」は、一見石造りの鉄筋コンクリート石張り仕様で復活したわけだ。しかし、「駅舎」そのものを忠実に復元することは可能でも、その駅までの「線路」を復元することは極めて難しい。なにしろ、新橋停車場から横浜方面に線路を敷き直すためには、いくつか邪魔なビルを取り壊す必要がある。まず最初に倒すのは、完成したばかりの高さ215メートル43階建ての汐留シティセンターだ。次に倒すのがロイヤルパークホテルと日テレのビルだ。駅舎の横の松下電工ビルは倒さなくても支障がないと思われるのだが、こちらは松下電産と経営統合するのでビルが不要になる可能性があるのかもしれないのだ。

80年前にも迷走した常任理事国問題

2005-04-10 20:19:47 | 市民A
常任理事国問題が大騒ぎだ。アナン事務総長のうっかり発言から、韓国、中国が「日本の安保理常任理事国入り」に反対したのは、予想どおりだが、米国まで慎重論に変わってきた。まあ、60年前の戦争の結果をまだ引き継いでいこうというのは、旧戦勝国の考えなのだろうが、もう既得権も時効なのだろう。

日本、ドイツ、ブラジル、インドに対して、それぞれ、「中国・韓国」、「イタリア」、「アルゼンチン・メキシコ」、「パキスタン」が反対している。アフリカ勢は今のところ静かだが、特定の国名が出たとたんに、大騒ぎとなるだろう。要するに、中国以外は、「オレも仲間に入れろ」ということだが、そんなに増えたら権威もなくなる。「ネタミ、オネダリ、ヨコドリ」は社会の基本的3大要素だ。


ここで、国連の前身である「国際連盟」の時代のことを調べてみると、やはり常任理事国問題で迷走している。1926年のことだ。

国際連盟が誕生したのは1920年1月10日。ジュネーブ。当初は28ヶ国で米国もソ連も未加盟だった。そしてその後60ヶ国まで増えるのだが、誕生当初、4ヶ国が常任理事国だったのだ。日本・フランス・イギリス・イタリア。選定の基準は何と、「海軍力」だった。つまり武力による基準だ。今の国連発足時とたいして変わらない。そして、わずか5~6年後に常任理事国の拡大問題が浮上してきた。きっかけは、中南米コスタリカが、地域紛争への解決不能として、連盟を脱退したことから始まる。四ヶ国では世界をカバーできないということだ。その騒ぎの結果、まず、ソ連と米国(参加した場合という条件で)の2国は理事国決定。さらに浮上してきた候補国が、敗戦国ドイツなのだが、この段になり、スペイン、ブラジルが自薦候補になる。さらに奇抜なのが、「ポーランド+ベルギー」の2国が1議席・輪番でいいからといってレースに参加する。そして、時の国際連盟の議長国は、運良く(悪く?)日本。議長は石井菊次郎である。

ところで、この騒ぎの後、石井は米国議会で感動的な演説をして、中国権益について日米争わずという有名な「石井-ランシング協定」を結ぶ。日米開戦直前には、この協定を破ったとか破らないといったことが論点になっていくわけで、締結した当の石井が終戦間近の1945年5月に都内の空襲で亡くなるのは歴史の皮肉だ。国際連盟と言えば、脱退した時の松岡洋右ばかり有名だが、石井菊次郎も常任理事国増加では大きな1ページを残している。そして、余談の余談のような話だが、この石井氏は私の高校の先輩だ。総理大臣には届かなかった。また、現在の与党第二党の党首と野党第二党の党首も同窓らしいが、どちらも総理大臣になることはないだろう。話を1926年に戻す。

大きな混乱を経て。最終的に石井がまとめた追加案は、米(参加すれば)ソとドイツだけ追加。この結果、スペインとブラジルは逆上してしまい、国際連盟を脱退してしまったのだ。(その後2年でスペインだけは再加盟。ブラジルはやめたきりになった。そして、ポーランドとベルギーの運命は歴史が示す通りだ。第二次大戦で列強各国の餌食になった。つまり、走り始めたら、チャンスを逃してはいけないことがよくわかる。負け犬になってしまうわけだ。

さて、歴史を振り返ったあと、再び現代に戻ると、「日独インブラ」連合だが、案外ブラジルは必死になっている。インドは重要性がよくわかっていない。日本は重要性がわかっている人とわかっていない人がいる。ローマ法皇葬儀への参列者人選を見るとわかる。実は、良質の愛読ブログ、「ブラジル・サンパウロから世界へ、そして渋谷」さんの4月8日号で報じられているが、ブラジル発イタリア往復の特別機には、現大統領夫妻、前大統領、元大統領、上院議長、下院議長、最高裁判所長官、さらにプロテスタントにユダヤ教にイスラム教にロシア正教の代表が乗っていったそうだ。世界最高のラインナップだ。案外、次の法皇の椅子も狙っているともとれる。

それに比べて、”郵政だけは民営化反対”という「もう一つの日本論者」のため、首相を「板付きのかまぼこ」にしてしまうなど、魚眼レンズ政治家ばかりである。

まだ、正攻法をあきらめるのは早いのだが、国際連盟の時には「ベルギー・ポーランド連合」という奇策もあったのだから、旗色が悪ければ、4ヶ国で3議席とか2ヶ国で1議席というような弱気な手で妥協する方法もあるのかもしれない。が、2002年のワールドカップで手を組んだ相手とは、今回だけはご遠慮するしかないだろう。社会の3大要素を思い出せば・・。

頑張れ原田氏&1?

2005-04-10 14:05:38 | 市民A
4ff856c4.jpgブログ用のいくつかのピースがあっても、なかなか完成しないジグソーパズルみたいなネタがあったのだが、突然、最後の1ピースがトラックバックとともにやってきたので書いてみる。ただし、ピースの形が色々ちがうので、スキマだらけになるかもしれない。

3月は多くの日系企業にとっての決算期である。そして、「定期異動」や「定期昇格」などがあるのが一般的だろう。そうなるとサラリーマンにとって重要なのは、上司による「査定」だろう。3月のはじめ頃に行われるのだろうか。そして、その直前になるとがぜん働き出す社員がいる。要するに、一年中ぶらぶらしていて、査定直前に印象点をあげて、査定で追いついたり、他人より有利な雇用形態を獲得しようということだ。ちょっとダーティだ。同様なことは、実はボクシングの試合でもあって、毎ラウンド3分の最後の30秒を特に頑張って、そのラウンドのポイントを有利にしようという作戦で、専門用語で、「ラストサーティーセカンドラッシュ」と呼ばれる。これを多用して世界を制覇したボクサーがファイティング原田氏だ。これが1枚目のピース。

と書くと、怒り狂った彼のファンから殴られそうになるかもしれないが、そういうことは日本人が世界チャンピオンになると、誰も言わない。”クレバー”とか英語になってやや肯定的な作戦となる。そして、実際に彼は頭がいい。クリンチも得意だ。要は結果だ。62年にフライ級、65年にバンタム級と2階級の世界チャンピオンになり、3階級制覇も、もう少しだった。日本人2人目の世界チャンピオンと言われるが、一人目の白井氏とはかなり時間が離れている。原田氏以降、続々と日本にもチャンピオンが登場していった。まさにボクシング界の大功労者。そして日本プロボクシング協会の会長をやっているのだが、3年任期で6期目とのこと。すごいロングタームだ。そして61歳。ここまでがピースの2枚目。

新聞を配達してくる青年がいる。自宅前はかなり急坂なのだが、身軽に自転車で上ってくる。あまりの身軽さに、一度聞いてみたら、「ボクシングやってるからとのこと」「どこのジム?」「原田さんのジムが近くにあって」とのこと。ちょっと調べてみると、私の自宅のある港北ニュータウン内に、ちょうど1年前に隣の川崎から移転してきたとのこと。さっそくデジカメで写しにいくが、ジムの中からはサンドバッグの音とか聞こえてくるので、怖いので望遠で撮影。引っ張り込まれて何の間違いかでジム通いになったりすると困るから・・・(理由1:軽い顎関節症で顎を大切に使っている。理由2:キレ易い性格だし、赤いものを見るとさらに狂ったような性格になる可能性あり。)これが3枚目のピース。

ジム通いといっても何か変なのは、今度のジムの場所は、まぎれもなく新興住宅街の中だ。こんな場所にハングリーボクサーがいるのだろうか。以前、ちょっと頭を突っ込んでいた世界に、ジムに通っていた人物がいた。その人物に聞いていた話では、ジムに通うのは2種類の人間しかいなくて、1種類目は「けんかで強くなろうと思っている半端人間」もう1種類は「健康と美容とストレス発散のため、トレーニングにきて、サンドバッグをたたく女性」だそうだ。
しかし、この2種類の人間は、原田ジムの周りには、いそうもない。それで、怖いので電話で聞くことにした。これなら絶対に痛くない。
女性の方が対応された。簡略化して書くと、鷺沼から中川に移った理由は、単に「ジムを新しくするため」とのこと。けんかを強くしたり、ストレス発散のための女性が多いかとの質問には、「ボクシングをすることに特化していて、本人たちがどういう気持ちなのかはわからない」とのこと。そしてファイティング原田氏こと原田政彦氏は普段は怖いかということについては、「まったく怖くないし、オーラも発していない」とのことだ。人望があるのだろう。そして、あやうくジムに引き込まれそうだったが、すばやくクリンチに持ち込んで逃げ出した(というか通話を終わりにした)。これが4枚目のピース。

そして、実は、この私の「しょーと・しょーと・えっせい」のだいぶ以前のエントリにトラックバックがあったのだが、なぜか民主党参議院議員からである、ふじすえ健三氏blogからである。議員ブログはほんの数人が書いている(もちろん本名以外で書いていればわからないのだが)のだが、それはそれでなかなか大変だろうと思っている。結果としてガードを高くして硬い文章で書くことになり、読者数が伸びないということになるのかもしれない。私の勝手な想像だが、読者数の増加のためのかなり有効な手法はトラックバック、コメントの発信であるので、その一環でトラバされたのかなって思ってしまうのだが、ぼちぼちと読んで見る。ふじすえblogから弊blogに流れて来訪される方も、毎日、何人もいらっしゃることが判っている。
実は、民主党の政策は、かなり広く多岐にわたるために、議員個々によっては、かなり私の考え方と反対向きの方もいるし、まったく同感の方もいる。blogからだけだと、ちょっとわからないので、TOP PAGEからつたっていくと、ファイティング原田ジムに通っていて、原田氏が選挙の応援をしていたことがわかった。もう、なんていう人たちだ。それとも政治も「けんか」や「ストレス発散」の場なのかな??これが最後の5枚目のパズルであればよかったのだが、最後に追加情報が必要になった。

ことし1月23日、原田政彦氏は運転中に具合が悪くなり(後続車が友人だったこともあり、緊急停車させられたそうだ)、すぐに病院へ搬送。MRIで脳内出血を発見。緊急開頭手術になったことを知る。
しかし、1ヵ月後の3月初めには退院して、今はもう公務復帰したとのことだ。何しろ、協会の会長だ。そして、記事を読むと、ジムにも顔を出しはじめたそうだ。ただし、もちろんスパーリングの相手はしないそうだ。

ボクシング協会の会長の任期は2007年までだそうだ。そのあとは、のんびりとジムの奥のソファーにでも座って、コーヒーでも飲んでいてほしい。ダルビやサトヤなんかもこういうスポーツマンを見ておかなければならないのだろう。
さて、頑張って欲しいのは原田氏だけではなく、ふじすえ氏の方もなのだが、まだよくわからないので、とりあえずは「弊ブログ読者としての部分だけ」は”応援”ということにしておく。

追記:ふじすえ氏は、3月15日に国会の経済産業委員会で経産大臣の中川氏に質問兼提言をするとのことだ。後でチェックしよう。ただし、中川大臣が答弁中に靴を脱いで、靴下の足を左右にぶらぶらさせても、驚いてはいけない。彼の癖なのだから。

犬山城は個人固定資産か?

2005-04-09 20:20:28 | The 城
401691a4.jpg現存12城のうち9ヶ所目は犬山城だ。先週末に横浜から中央線で松本城を制覇。その日のうちに名古屋まで中央線を下る。在来線特急の連発乗車はなかなか辛いものがある。さらに自由席は喫煙車両で妥協。ずっとマスクをする。そして、名古屋から名鉄線で犬山へ。何度行っても慣れない名鉄新名古屋駅は慎重にも慎重を重ねる。間違えたら、天国から地獄へ落ちそうなスリルがある。行き先も難しいし、車両のグレードも小田急ロマンスカーのような車両が普通電車だったりする。どうも老齢化してスピードがでなくなると普通電車に格下げになるようだ。伊良部投手が二軍とかバピになるようなものか・・・

さてさて、犬山城は国宝である。そして成瀬さんという方の私有財産であった。もともと1537年の築城と古く、織田信康に始まり、何代かの城主替わりの末、1618年に成瀬氏が入城。その後、長く成瀬氏が継いで明治維新を迎えるのだが、明治4年廃藩置県で廃城がきまる。そして政府が没収したのだが、そのうち潰さなくてもいいじゃないかというようになったらしい。しかし、20年後に濃尾震災が発生。崩壊の危機を迎えるわけだ。

史事では、このあと、再び成瀬氏が修繕を条件に買い戻す。このあたりの事情はよくわからないが、官営工場の払い下げなどの時期でもある。また日清、日露戦争といった戦費調達が必要な時期でもあったのかもしれない。まあ、都合の悪いことは後世まで残ることは少なく、想像して歴史を楽しむしかない。

そして、この犬山城。たいへん内部が綺麗だ。天守閣最上階からは、外に張り出したデッキ上に出ることが可能だ。外に出られるのは、今まで見た中ではここだけだ。見渡せば、濃尾平野と木曾御岳、恵那山、そして直下に流れるのは木曾川である。成瀬氏が私財をもって築300年の木造住宅を買い戻したのは。この景色を独り占めするためだったのだろう。そして、個人資産となれば、手入れが行き届くのが常だ。創業者が引退したあと、ボロボロになった会社は枚挙に限りないことを思い出す。また転々と所有者の変わった、ボロボロの「ボルボ」に乗ったことも思い出す(ボロボ)。惜しむらくは、天守はちょっと小さい。天下の大城である名古屋、広島、福山などが戦災で焼失(広島城は消失という字の方が正しい)したため、序列が上がったともいえるだろう。ただし、荘厳さは感じない。まだ稼働中で生きているということだ。あちこちに金箔が見え、なごや的ともいえる。

これで12城のうち9城まで到達。しかし少し疲れた。残り3城は西から、松江城(島根)、丸岡城(福井)、弘前城(青森)。地図を見ながらため息が出る。何年かかるかな・・・今後しばらくは、お城シリーズblogは搦め手から書くことにする。

桜咲く(サクラサク)公園で・・

2005-04-08 20:21:35 | 市民A
b065fa4c.jpg厚生労働省に行った帰りに、桜に惹かれ、向かいの日比谷公園に入る。桜は50%咲きくらいだ。わざわざ厚生労働省に行ったのは、薬剤師試験の合格発表を見にいっただけだが、私が受験者であるわけではなく、単に会社の近くにあるという理由。何人分かの受験番号と受験者名を合格リストに付き合わせ、数ヶ所にメールで連絡。本来画像データの方が証拠能力が高いのだが、なぜか禁止(意味不明)。まさに、「サクラサク」と「サクラチル」だ。

ところで、この「サクラチル」というのは、電報用語である。遠い過去の話だが、地方出身者が大学を受験するため単身上京したようなケースで、当該大学の掲示版にのみ合格発表が張り出されるといったアナログ時代の産物だ。大学の運動部が、ヤクザ的縄張りを決め、合格発表を代理で確認し、地方で淡い期待に胸ときめかしている少年少女宅に、高額料金をとっていながら最低料金で電報を送るシステムだ。そして必ず、大学当局は、「合格確認業者は当大学とは無関係で、大学は責任はとれません」というような掲示をしている。そして、実際には、「サクラチル」が届いた学生は、再度上京して確認したりしないので、間違えていても発覚しない。

「サクラサク」の代わりに、「ゴウカク」というのもある。濁点も1字分だったので、これも合計5文字だ。最低料金。ところで、NTTのHPから現在の電報料金をさがしてみると、一般電報は25字まで462円となっている。5文字ではない。つまり、サクラチルを見ることは当面ないのだ。もっとも、合格と不合格は単に二元論なので、料金の最低単位が1文字だったら、「OかX」になったかもしれない。そして、今や電報の役目は慶事と弔事だけかなと思ったら、NTTでも同様に認識しているらしく、「電報はギフトです。」と堂々と宣伝している。NTTはギフト品販売業者でもあったのだ。

しかし、「桜散る」とは平和時では、単に不合格をあらわし、それは、人生に数多くある二また選択の一つに過ぎず、幸福と不幸を意味するものではないのだが、戦時下での「桜散る」では、本人には選択肢は残らない。

そういうように考えると、東京九段にある桜の名所「千鳥ヶ淵」の道をはさんだ対面にあるのが靖国神社、というのも何か奇縁なのだろうか。靖国問題は、国内世論は多種多様で、かつ近隣国は大騒ぎをしているのだが、その独特の雰囲気を感じるためには、一度、「見学」をしてみたらどうなのだろう。


話を植物学に戻すと、桜は根を浅く広く張るそうだ(浅根性)。樹木の専門家、小島愛一郎氏が言うので、間違いないだろう。墓地などによく植えられているのは、深く埋葬された霊魂を樹木の根が傷つけないように桜が選択されたのだろう。よく、霊魂から発生するリン分を吸収するので墓地の桜はきれいだ、という説を聞くが、根が浅いということなので、単に俗説であることがわかった。墓地は人通りも稀なので、根に対する踏圧がなく、樹木が元気なのだろう。専門家おそろし!だ。

ついでに、墓地の樹木の話だが、「糸杉」というのがある。ゴッホの絵画に数多く登場する細く高くすらっと天を目指して伸びるスギだ。英語では「Italian cedar(イタリア杉)」というくらいでイタリアに多く自生しているそうだが、欧州の他国では墓地に多く植えられる。特徴として、桜とは逆に、根が横に張らず、まっすぐ地下に向かって伸びていくそうだ。これはこれで霊界人の眠りを覚まさないということだ。そして、そういう観点でゴッホを考えると、彼は墓地の絵ばかり描いていたということを知ることができる。やはり常人とは違う。

日本でも、糸杉は生垣などに人気がある。常緑だし手間もかからない、小さいうちはかわいらしいし、根が張らないので、狭い庭に埋められた埋設配管への影響も限定的だからだ。欧州人がみたら、「何と美しい墓地に、小さな墓守の家がついているのだろう」って思ってしまいそうだ。

が、このブログを読んでからあわてて、庭にノコギリを持ち出したりしたら、いけない。樹木は自分の子供のように丁寧に育てなければならないのだ。糸杉が成長して、暗緑色の葉を繁らせ花粉をさんざん撒き散らしたあと、長い長い寿命の先にありとあらゆる延命措置をほどこして、すべての努力もむなしく、朽ち果ててしまうまで植え替えてはいけないのである。


追記:ついでに最近仕入れた日比谷公園ネタ(?)。隣国の大統領の下向きの眉毛が上向きに変わった原因の竹島だが、東西二つの島にわかれていて、合計面積は日比谷公園とほぼ同じそうだ。

激辛!「タレント文化人100人斬り」

2005-04-07 20:24:03 | 書評
0014a7d2.jpg先週は、JR車中で三冊読書した。なにしろ新幹線や中央線といったロングである。自宅在庫本の中から軽そうなものを持っていく。

一冊目は、将棋本(「四間飛車道場・所司和晴著」)で、ちょっと専門的過ぎるのでここには書かない。

次に、「名文を書くテクニック・西岡光秋」。定価は、1800円だが、新古本として駅前で700円で売っていた。同じく700円の「早わかりビジネス用語集」と2冊合わせたら、「1000円」と言われ、「400円少ないよ」と言ったら、「いいよ、めったに売れない本だから」って・・

この歳になって、「名文」もないだろうし、全く違う文体の「おおた葉一郎」になったら、愛読者が泣いてしまうだろうが、文体って、どう考えてもフルモデルチェンジは難しい。ただし、この本は「ちょっとの工夫」の本だ。江藤淳の「作家は行動する」のようなラディカル文体論ではない。だから「ちょっと」だけ書くと、「エッセイは非常に難しい」とのことだ。なんとなくよくわかる。そして、「書き出しの一行」に注力が必要とのこと(たぶん題名も)。さらに、「最後のオチ」も重要とのこと。なんだ、わかっている。そして、切れ味のいい作家として、太宰治と志賀直哉と川端康成を提示。さらに、平成8年下期の二人の芥川賞受賞作、辻仁成「海峡の光」と柳美里「家族シネマ」から冒頭の一節を引用。同感!!

ということで3冊目が問題の書。「タレント文化人100人斬り」。著者はギター侍ではない。佐高信。ペンはギターより強しだ。1990年代の「噂の真相」紙上のコラム「筆刀両断」で、著者が「コイツ気に食わない!」と手当たり次第に、文化人の素顔を暴き、批判していったコラムをまとめたものだ。プライベートも何もない。文化人の出生から、思想の系譜、言動などを調べ上げ、立ち直れなくなるまで、完膚亡きまでにこきおろす。「講演会のギャラに汚い」とか「共産党員だった過去を隠している」とか「奥様はイメルダ並の公私混同」とか・・・さらに、相手がどこかで反撃しようものなら、再度登場させ2回斬り。さらに反論があれば、3回斬り、4回斬りと執拗だ。ああコワ。

一例を書くと、こんなことばが飛び出し、それの論理付けが行われる。
ビートたけし(「臆病な凶獣」、「気弱な奴凧」)4回斬り
長谷川慶太郎(「ホラ吹き」、「元ソ連派」、「財界のチンドン屋」)3回斬り
弘兼憲史 (「首まで松下に染まった男」、「キザなナショナリスト」)2.5回斬り
桜井良子 (「生理的に嫌いだ!」)1回斬り
栗本慎一郎(「パンツを脱がないサル」、「思考停止男」)2回斬り
猪瀬直樹 (「背伸び男」「ゴマスリ小僧」「人畜無害」「ミミズ男」)4.5回斬り
  ・
  ・
(注:弘兼氏と猪瀬氏の斬られた回数に端数がつくのは、二人まとめて4つに斬られた回があるから)


しかし、まあこの人たち、いくら斬っても斬っても不死身だ。エイリアンたちということだろう。そして、不死身人間がいるからこそ、佐高信氏も存在価値がある。警察や消防署と同じリクツだ。


ついでで恐縮だが、最後に、おおた葉一郎のブログ「しょーと・しょーと・えっせい」の文体スタイルを書いて見る。

 「80%の苦味+20%の甘味+1滴の毒薬」

しかし、最近、甘味が薄れてきて、さらに毒素も品切れのような焦りも感じている。「海峡の光」や「川端文学」に感じる人生の甘味を思い出し、佐高信氏から吸収した毒薬をポタポタと垂らしながら、またキーボードに向うことにする。
ただし、体調や感情が不調の日もあり、苦味100%の上に、劇薬をぶちまけることがあるかもしれないので、ご注意を。

スポーツ瀬戸際シリーズ(1/3)

2005-04-06 20:28:17 | スポーツ
中村紀洋の運命は?
メジャーリーグの開幕を直前にして、中村選手にマイナー行きが宣告された、という記事が多いが、もともとマイナー契約だったから、ちょっと事情は複雑なようだ。確かにオープン戦の結果から言えば、彼がマイナー(AAA)に行く必然性はない。記事を色々読んでいると、もともと、中村より先にドジャーズが契約していた別の2選手とは、「成績が悪くてもマイナーには行かない。」という条項が入っていたらしい。となれば、ドジャーズ側が中村とマイナー契約にこだわった理由もわかる。ダブルブッキングだ。要するに、他の内野手が故障者リストに入った時しか出場できない。しかし、他選手の「マイナー拒否条項」の存在がなぜ明らかになったかということは、ちょっと意味がある。通常、契約は2者間の問題であり、開示されない。ドジャーズが漏らしたのは、中村問題がこじれそうな(思いもかけず成績がよかったから)展開になってきたからだろう。

問題は、ここから先だ。
1.すなおにAAAに行って、じっとチャンスを待つ方法。
2.他のメジャーチームに移籍する方法。
3.日本でプレーする方法。
彼は、自身のHPでは、1のマイナーでチャンスを待つと表明しているが、本当は2でもいいと思っているだろう。そして3はまだ早い。

一方、ドジャーズは3を希望しているだろう。変な契約を結んだため、不調の選手を抱え込んだ時の責任問題が浮上するだろうから、彼がアメリカにいては困るのだ。

脇腹も痛めたそうだし、しばらくは潜水艦的に求職活動をして、メジャー他球団を狙うのが一番いいだろう。ただし、すぐには難しい。すでに、どの球団も新年度の構想は確定している。しかし、ゲームの特性上、勝星と負星は同数になる。調子のいいチームがでてくるのと同時に、計算違いが露呈する球団もでてくる。なにしろ30チームもある。絶対に動きがでてくるはずだ。それまでは、けがを口実に商品価値を下げないようにしておく必要がある。

元々、気が弱い性格らしいし、体内に「怒り」とか「不信感」とかを溜め込んでから爆発させた方がいいかもしれない。すぐに日本に帰るなど、論外だ。ヒールになるだけだ。

スポーツ瀬戸際シリーズ(2/3)

2005-04-06 20:27:10 | スポーツ
4d085969.jpgフェラーリ疾走ならぬ失走。

開幕2連勝のルノーに対抗するため、新車の投入を2レース早めたフェラーリだが第三戦バーレーンGPは大敗。予選2位の大本命M・シューマッハだが12周でリタイア。リタイアしたのはローマ法王に弔意をしめしたからではない。フェラーリのドライバーはドイツ人とブラジル人だ。

結果、ルノーは今回もトップ独走。結局3試合ともすべての時間、ルノーがトップを走りつづけていることになる。そして2位には、またしてもトヨタ。そしてBARホンダは2台ともリタイア。漠然とした不安が、着々と現実化している。フェラーリもホンダも焦りが焦りを呼ぶ構造だ。

レースはこれから佳境に入り、欧州シリーズ。3週間後にサンマリノGPから各国を転戦する。ここで、それぞれのチームの課題を整理してみると、

フェラーリ・・まずは、完走することだ。そのためには新開発車の機械的トラブルを減らすことだ。といっても、ルノーの独走を見ると、無理を重ねていくのだろう。

ホンダ・・ほとんど、まともに走っていないのだから、今年は白旗のようだ。

トヨタ・・とにかく、1番になるには、どこかで「無理」をしなければ、いつまでたっても2位にしかなれない。マシンの限界まで走ってみることだ。

ルノー・・実は、弱点があった。スタートそうそうに他車と接触したフィジケラ選手がピットに入ったが、メカニカルとの連携が悪く、そのまま周回を再開することになった。その結果、次にピットインした際、再起不能になった。3戦とも全く順調だったので、ピット作業に慣れていないという状況だった。要注意。

タイヤ・・ルノー、ホンダはミシュラン。トヨタ、フェラーリはブリジストン。タイヤ交換できないため、晴雨兼用タイヤを目指した結果、両メーカーとも同じような、スリックタイヤに溝を切ったような設計。実は、まだ雨のレースは経験がない(予選ではあるが)。ここは未知数だ。

第4戦にはトヨタ勝機ありだろう。フェラーリはもう1試合は必要だろう。そしてホンダはまだ迷走するだろう。

ホンダといえば鈴鹿サーキットの株主。4月4日に日本GP(10月9日開催)のチケットは発売されたがあっという間に売り切れ。そして、まもなくトヨタが株主の富士スピードウェイの改装も終了。将来の日本GP誘致をめぐり両社が争うことになるのだろう。

もう一つ、つまらない興味だが、ルノーのフロントノーズのCMはJTが提供していて、「MILD SEVEN」と表示されている。欧州の多くの国では、たばこに「MILD」の表示を禁止しているはずである。さて、・・・

スポーツ瀬戸際シリーズ(3/3)

2005-04-06 20:26:07 | スポーツ
d4ecd448.jpgジーコの悪運に乗るだけでいいのか?

予選3試合終了でイランが勝ち点7、日本6、バーレーン4、北朝鮮0。今度の予選の一つの特徴は、「すくなくても3位」になることだ。そうなれば、アジアB組3位とH&Aで戦った後、北米4位のチームと対戦して勝てばドイツにいける。

ということは、仮に北朝鮮が第4戦(イラン)で負けても、たぶんまだ3位になる可能性はあるはずだ。第5戦の日本戦では、まだ生きているだろう。そして、おそらく最終戦の時でも、代表2チームのうち少なくても1チームは決まっていないような気がする。

最後のイラン-日本戦はアジアカップの予選最終戦のような、のんびりした試合になる可能性もありそうだ。

ところで、北朝鮮戦では、ロスタイムでのラッキー。イラン戦は1-1に戻したあと、作戦の明示がなく、うかつに前がかりになり敗戦(慣れた3バックでサイドバックの守備力を使い引分けに持ち込むべきだった)。バーレーン戦では、オウンゴールでかろうじて勝ち点(オウンゴールの瞬間は、味方が12人、相手側が10人になっているということだ)。戦術的に成功しているとはまったくいえない。

そして選手交代は、「常識的」でインスピレーションもない。交代は、同じ位置の選手同士であり、スタミナ切れのフォワードの交代がめだつ。相手側が守り易いわけだ。そして、前監督トルシエと同様に「えこひいき」が目立つ(私見だが)。

今回のメンバーで最終的にどこまで狙うかなのだが、「ドイツでベスト8」になるためには、このままでは難しい。ドイツに行くまでに、ラッキーのすべてを使い切ってしまうだろう。

しかし、悪運が続いても勝ってしまうと、監督交代の口実が得られない。もう、リスクはあっても、アジア3位になって、季節はずれで、残る1議席を争うようになれば、もう監督解任に国民的合意が得られるのではないだろうか。

しかし、4位になったら、それでおしまいだ。地球の裏側の全試合の中継を録画するための、次世代高画質録画装置の売れ行きも散々なものになるだろう。