西安からきた女子学生たち

2005-04-23 19:55:15 | 市民A
97f1223e.jpg中国陝西省(首都は西安)で日本語を学ぶ2,000名の学生の中から、選抜された3名の弁論大会優秀者が来日。経済広報センターのモニターになっている関係で、21日の東京大手町での発表会に参加した。折からの日中関係の悪化を心配してか、会場には大勢が集まっていた。選抜された3名は全員女子学生の方で、団長は男性の方1名。この方は日本語は喋れない(一人多く来るのは中国ビジネスでもよくあることだ)。

そして3名の方のスピーチは、奇しくも日本語を始めたきっかけというところで、すべて「優しい日本人」というところに一致する(審査の過程は不公正がないように日中両国の審査員が採点し、すべて公表するそうである。いつも必ず、「不公正がある」と騒動が起きるからだそうだ)。

一人目の王さんは、「ひらがなの美しさ」に興味を持ち、日本語を勉強しようと父親に相談したところ、近所のおばあさんを紹介されたそうだ。そのおばあさんは残留孤児だったのだ。中国人の男性と結婚して、今では孫までいるそうだが、どうしても故国日本で自分の親類に会ってみたいと夢を持ちつづけているそうだ。王さんが日本の魅力に引き込まれていったのは、そういう残留孤児のために何かできないかというところに原点があるということだ。

二人目の何さんは、離婚した父親が選んだ継母が日本人で、最初はコトバも通じず、よそよそしい関係だったのに、継母は中国語の学習に努力し、何さんが音楽学校の受験前に高熱の病気で倒れれば、寝ずの看病をしてくれたこと。そして、受験から帰ってきたら、不幸にも継母が交通事故で亡くなった知らせを聞き、呆然としてしまったこと。そして、なくなった継母の気持ちをどうしても理解したいという気持ちで、日本を知りたいという。

三人目の徐さんは、京都の仏教系大学の学生が西安の寺院に来た時の経験が、原体験だそうだ。まったく中国の僧侶とは異なる現代日本の僧侶の卵が、西安の寺院で中国の僧侶と同じ経典を違う発音で唱え始めたそうだ。唐の時代から長く続く古い寺院の中に響くお経の声はそこに居合わせた彼女を含む多くの人たちの共感の空間になったということだ。つまり日中は多くの共通した文化の上に乗っているということを認識したという。

話に吸い込まれてしまい、3回もハンカチを取り出すことになっってしまった。

そして、彼女達は1週間の日本旅行の感想として、
1.京都・奈良には西安と同様、唐の時代からの建物が残っていて、深く感動したこと。
2.桜の花は本当にきれいであること。
3.日本人は親切だが、話を聞いても、はっきり意見を言わないので苦労すること。
4.国土のどこにも緑が豊富なこと。
5.そして、「経済大国」であることの本当の意味は、中国社会と違って、日本社会はのんびりとした「ゆとり」を感じること。
とのことだ。

さらに、西安の大学で日本語を教えていた日本人教師から、「現場の声」として、特に日本語科の学生の感じている「疎外感」が危機的であることを訴える。上海などと違い、情報も資金も教材も少ないし、日本人の研究者もこない(西安に行くのは、観光客とビジネスマンばかりなのだろう)。そして反日感情の中で、日本からの支援がないため、学校の中でも日本語学科が差別される傾向がある、とのこと。困難な状況の中で、日本語を学び、日本に関心を持つ学生に、夢や希望を与えて欲しいということだそうだ。

ここから先は、私見の範疇なのだが、言われてみれば、残留孤児の問題だって、戦後長い間ほったらかしてしまったし、中国にいる日本ファンをフォローすることも、政府ベースでは感じられない(もちろん中国以外の国に対しても同じだろう)。種も蒔かないのに水や肥料を上から振りかけても芽は出ない。スタンドプレーばかりやっていると、世界中のどこの国からも孤立していくのかなって思ってしまう。

最近のはやりのことばである「政冷経熱」であるが、案外日中間の問題だけでなく日本国内でもあたっているのではないかと考えてしまう。最近の政府の政策について、よく「説明責任の回避」とか言われる。政策について、はっきり理由や目標を明示しないために郵政問題でも靖国問題でも議論の焦点を得ないのである。郵政問題では、財政投融資を今後どのようにするのかとか郵便局が購入している国債はどうするのかとか微妙な問題があるはずだ。国内戦争である沖縄戦で亡くなった多数の民間人や、原爆や空襲で亡くなった市民をおざなりにしてまで九段に行くのは価値観が変じゃないのかとか冷めた目になってしまう人も多いはずだ。色々な反戦行事に出席して反戦の表明をしてから九段に行くなら理解を得ることもできるだろうが、何もしないでいきなり無口になって、九段に行けば、普通の感覚なら、隣国は驚くだろう。(もっとも他の反戦記念式典にも行っているのかもしれないがジャーナリズムを通じては見えてこないのかもしれない)

そして、発表会で、何度も中国の関係者からでてきた言葉がある。それは「一衣帯水」という魔法のコトバである。実は、よく聞くことばにも拘らず、意味に明るくなかったのである。帰ってから辞書にあたると、やはり思い違いをしていた。「一衣」と「帯水」に分かれるかと思っていたのだが、「一」と「衣帯」と「水」に分かれるようだ。衣帯というのは服の帯のことで、幅に対して深さが極めて浅いことを意味する。ちょっとした帯のように浅い海が二国の間にあるだけということだったのだ。まさか「大陸棚」のことを意味しているのではないかとか勘ぐってしまう(日本も中国大陸の大陸棚の上に乗っているだけ、とか)のだが、それこそ「一衣帯水の意味はなんですか?」って聞き直すところからでも両国間の誤解の解明作業がはじまるのでないだろうか。