「将軍のアーカイブズ」展に行く

2005-04-25 19:51:08 | 美術館・博物館・工芸品
dde0812d.jpg東京竹橋の国立公文書館で開催されている「将軍のアーカイブズ」展に出かける。4月24日までなので閉幕直前。徳川将軍家の図書館だ。以前なら「ライブラリー」と言っていたものを、最近は「アーカイブ」という。複数形のSをつけると、特に所蔵品を示すことになる。Sをつけない場合、所蔵館のことを示す場合もある。

徳川家康は本を読むよりも、集めるのが好きだったようだ。収集癖があるように感じた。全国の領地を独り占めにしたのも収集癖のせいかもしれない。古事記の写本をはじめ、古典類の複写をかなり集めている。それらの家康本をベースとして、さらに蔵書は増加し、特に読書家の8代吉宗が将軍の時にはかなりの蔵書があったようだ。そして明治維新と同時に、ほとんどは明治政府に引き渡され、その後、現在にいたる。

ガラスのケースの中に展示されてはいるが、家康本人が手に取り、読んだ書物が、そこにある、というのが展覧会の醍醐味なのだろう。いくつか感じたことを書いてみる。

まず、家康の蔵書には古事記、吾妻鏡、などの稀少本が多く含まれるが、ことごとく「原本ではなく写本」である。家康ほどの権力者が原本をかき集めようと思えばできたはずだが、写本を集めたというのは、「もはや書籍文化財は略奪の時代ではない」という歴史認識があったのだろう。そして家康の想像どおり、江戸時代には出版業が盛んになり、時代を追うごとに出版物は増えていく。

次に徳川吉宗であるが、おそろしいほどの読書家であり、彼の時代からは、将軍がどの本を読んだか記録することになったのだが、彼は年間200冊以上読んでいたとのこと。日本史の上でもっとも勉強した為政者ということになる。余計なルールを作ったものだと、後継の将軍は困っただろう。

そして、驚くことに、将棋の本(詰将棋)が多数見つかっているそうだ。10代将軍家治はおそるべき将棋マニアで、自分で詰将棋の本を書いているくらいだ。(腕前は、「強いアマチュア」といったところだ。公開されていた家治将軍作の詰将棋を解いてみたが47手詰(専門用語でいうと「エスカレーター往復趣向」を使用)。長い割に、好手は1つだけだから、難しいとは言えない。旦那芸という言葉が思い浮かぶ。

だいたい、徳川将軍15代までのうち重要な将軍は5人くらいで、その他の将軍は、政務は実務官僚任せだったわけだ。この家治も、その他大勢の方だろう。高校の歴史の先生は勉強家であったが、家治の将棋好きを揶揄して、「毎日、天守閣から江戸の町並を見下ろして、将棋の升目に喩えていた」とキツイ評価をしていた。しかし、実は、江戸城天守閣は4代家綱の時、明暦の大火で焼け落ちてしまい、以後、再現されていないので、「天守閣に上った」というのはありえない。しかも大天守閣は約80メートルの高さだったので毎日上るのは大変だ。高校の先生が歴史に自分の想像を書き加えてしまったのだが、誤りに気付くまで長い時間がかかった。

誰しも「先生」や「教科書」を完璧と思いこみやすいのである。

さて、今回の展示であるが、欲を言えば、歴史上に残る重要書類をもう少し、公開してほしかったような気もする。もう一つは、アーカイブズの中の分野別の比率とか全体をイメージできる統計のようなものがあれば良かったかな・・・(入場料無料なのでヨクバリな望みかもしれないが)


追記:この展覧会の前には「鉄道」展があったらしい。先日来、追いかけている明治5年の鉄道事情なども詳しい資料があったようだ。気が付けば行ったのだが、当時はそれほど「鉄道」に興味はもっていなかった。横浜=新橋間の初期路線図のマイクロフィルム版がネット上で見られるようなので、品川駅周辺の事情を調べるのに大きな威力を発揮するだろう(さらに謎が広がると嫌だが・・)。