国会議員実名ブログは成功するか?

2005-04-01 20:59:08 | 市民A
ブログの特性は、開示性(HP機能)、双方向性(コメント)、連関性(TB)と思っている。もちろん中心的機能はホームページとしての開示性であり、ほとんどのHPがそうであるように、組織ではなく個人の管理と責任の元に存在する。

そのあたりの「個人性」と既存ジャーナリズムの特徴である「集団性」の差が、「新聞・テレビとブログの差」を読み解く一つのキーになっているだろうとは思うのだが、それはそのうちツッコムことにする。

さて、ブログをつかっている政治家は数人いるらしいが、コメント、TB機能を塞いで個人ホームページ型にしたり、機能的にはブログでも、たまにUPしたりしている例が多いらしい。その中でほとんど一般のブログと同じ形態で運営しているのが「ふじすえ健三ブログ」だ。民主党参議院議員で41歳。一応、若い。「ほとんど同じ形態」というビミョーな表現は、「コメントを書き込んだ後、何らかのチェックが入り、1日くらいたってから表示される」というもので、炎上防止策ではあるだろうが、第三者同士のコメント上での論争を行うにはちょっと難がある。

そして、この辺で自分の立場を明示しておくのだが、特にこの政党のシンパではない。基本的に、どこの政治団体にも宗教法人にも参加していない。選挙の時に選ぶ基準は「どこの政党(候補者)がよりダメでないか」という消去法によっている。

実名記者ブログの多くが、挫折していることと若干の関係があるのだが、実名の場合、所属組織と個人の切り分けが問題になる。特に議員の場合だと、政党(民主党でも自民党でも)は、多数の課題に対して見解を持っているので、議員個人の考え方とそれぞれの課題ごとに一致しているわけではない。当然だ。しかし、ブログに期待されているのは、まったくの「個人的見識」であるわけだ。そうなると、そういう集団と個人の意見に差がある場合、「意を決して書く」か「あえて書かない」かということになる。

理想的には、ブログによって民意を集め(アンテナ機能)、論争のページを作って自分の意見も開示し、さらに、党と意見の調整をして、「私は○○という意見を持っていますが、党と話し合ったところ、○○という理由で、○○になりました」というようなのが理想的なのだろう。ただし、かなり難しい。新人議員にとって「党」は絶大だ。「新米記者」が大新聞に入社してすぐに、新聞社と違う意見を公表するようなものだ。一方、政党の看板があってこそ、人脈ができ、情報も集まるといった言い方もできる。

しかし、まあ、その辺は割り引いて考えてあげよう。なにより議員実名ブログが生き延びることが重要だ。

彼のブログの中で触れているのだが、先日、3月15日に経済産業委員会で、はじめての大臣質問をされたそうだ。相手は、自身が出身の役所。経済産業大臣の中川昭一氏。内容は本人ブログを読んでいただけばいいのだが、残念ながらテレビ放送は行われない。視聴率に耐えられないのだろう。事実、多くの委員会はこうして公開されない(議事録は後日公開されるので丹念に読めばいいのだが、個人が読むような代物ではない)。次回は実際にカメラを持ち込み、個人のネット上で動画配信したらどうだろうかと思っている。国会の委員会中継では視聴率はきわめて低いだろうが、りっぱな個人テレビだ。それは、「ブログの次」の方向の一つの候補ではないかと思っている。

現在、「企業ブログ」というのが一つのジャンルを成しているのだが、その目的は、企業側がユーザーの考え方や嗜好を取り込むというアンテナ的商品開発要素を含む。企業とユーザーが近づくことが悪いはずはない。しかし、一方、政治家の場合は多少違うかもしれない。企業にとって変革(Change)は善であるが、政治家が自らの思想や行動をコロコロ日替わりにするのは、例えば選挙制度からいっても問題がある(もちろん変わってはいけないということではなく、芯もなく夜の六本木を千鳥足で歩くような変節は困るということ)。というような、きわめて不安定な状況をブログが作り出す可能性をふじすえブログを読むと感じる。

難しい話を書いたが、本当は彼のエントリで楽しみにしているのは「議員専用の特権シリーズ」だ。先日は「議員専用エレベーター」が紹介されていた。専用シリーズが楽しいのは、「国会のアナクロ性」が笑えるせいだ。ただし「議員専用年金」の話だけは絶対に読みたくない。