シンカイサンはシンダノカイ

2005-04-05 20:29:50 | 書評
4fdb9562.jpg4月3日19時からのフジテレビ「タモリのジャポニカロゴス」で、三省堂「新明解国語辞典」が紹介されていた。かなり表白な展開で、辞書の解釈と用例を取上げ、「みんなで笑って」、「金田一秀穂教授がコメントする」といった内容だが、国語関係者には広く知られているように、新明解の中心人物は山田家の男「山田忠雄」。かたや、「金田一家の男」とでは、「裏千家と表千家」のようなもの。秀穂先生もあいまいなコメントでお茶を濁すしかなかった。フジテレビのレベルがよくわかる瞬間だった。それとも公正な報道を目指した結果だったのだろうか。

さて、この辞書、いつしか「シンカイサン」と言われてきた。おそらく赤瀬川原平氏の命名と思われる。その社会派的私観に基づく、驚愕の表現が売りで、「日本で一番売れている国語辞典」だそうだ。例えば、

世の中:社会人として生きる個々の人間が、誰しもそこから逃げることのできない宿命を負わされているこの世。一般に、そこには複雑な人間関係がもたらす矛盾とか政治・経済の動きによる変化とかが見られ、許容しうる面と怒り・失望を抱かせる面とが混在するととらえられる。

恋愛:特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたといっては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身をおくこと。

公僕:〔権力を行使するのではなく〕国民に奉仕する者としての公務員の称。(ただし実情は、理想とは程遠い)

賄賂:決定権を持つ役員などが相手に便宜を与えた謝礼として、私的に受け取る金品。そでの下。(公務員がこれを受け取ることは法規上禁止されている)

なかなか社会派的だが、実はこの第六版、大いに後退している。社会派性を探すのはなかなか困難だ。表現も後退している。例えば、上記の「世の中」や「恋愛」は、第5版では次のとおり。

世の中:同時代に属する広域を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。

恋愛:出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られること。

なぜ、第六版で、路線転向に向ったのか?それには、明快な理由がある。それまでの主幹、山田忠雄氏が亡くなられたからだろう。第5版の上市前に他界されている。しかし、第六版の主幹も山田忠雄と書かれている。おそらく辞書というのは、版を替える場合、いくつかの用語についてのみ書き換えるのだろうから、依然として辞書の大部分は山田忠雄氏による記載なのだろう。そして、主観の強い部分のみを書き換えている途中なのか。しかし、それではただ普通の辞書というだけだ。


冒頭に金田一家と山田家の話をしたが、山田家もそうそうたるものだ。忠雄の父、孝雄は国文学者だ。そして忠雄の弟二人も国語学者で、特に三男の俊雄は新潮社の国語辞典の主幹だ。こちらの辞書はかなりの本物指向で、例文に世界の名著を用いる点が特徴で、案外、牙のなくなった三省堂からトップの座を奪うのかもしれない。そして忠雄の息子が明雄で、こちらは数学の教授なのだが、新明解の科学的分野も担当している。実は、新明解は科学的用語に結構詳しい。

そして、この三省堂の新明解では、第三版までは、山田忠雄氏と金田一春彦氏は共存していたのだ。そして、ある用語をめぐる論争(?)のすえ、二人は袂を分かつことになったとされる。その単語は「マンション」だ。

マンション: スラムの感じが比較的少ないように作った高級アパート。(第二版)

よく読むと、マンションは本当は「スラム」だ、と断定している。歴史は少し違ったところに向ったわけだ。堀江貴文氏もマンション暮らしだ。マンションとスラムの関係を現代的に言い換えるとこうなるのだろう。「バブル期に高額のマンションをローンで買って、ほとんど返済できないまま、60歳の定年を迎えた団塊世代の一部が失うことになる住処」。スラムまたはホームレスはその後の転居先だ。

しかし、第六版に至り、「マンション」はまったく向きを変えた。
マンション:高級性を思考した高層アパート型の集合住宅。

そして、「新明解」の中で、過去の面影がまだ残るのが「用例」である。フジでは「逃げる」の用例で「刑務所から逃げる」というのを紹介していたが、パラパラと第6版をめくると、いくつか面白い例をみつけた。
約束:有権者への約束〔=公約〕は守ってほしいものだ。
風情:学生風情が生意気に高級車を乗り回している。

しかし、これはどうだろう。
埋設:農地に埋設されたままになっている地雷。

日本語の辞書なのに、地雷とは・・・。しかし、もしかしたら、未来語辞書なのだろうか。10年後には外国からの侵害をうけ、自らの国土に地雷を埋めるようなことが起きるのだろうか?ないわけでもない。私が編集中の未来語辞書には、他にもこんな用語が必要かもしれない。

西武:池袋駅行きの通勤専用バス路線。以前は鉄道があったが破綻。所沢-池袋間は2時間。
三菱:日本陸軍の装甲車専用メーカー。タイヤやキャタピラがはずれやすい。
小泉純一郎:現在の大統領の父親。日本に世襲制の大統領制度を導入した。
フジテレビ:ネットショッピング専門会社。社長はタカタ氏。

さよならミスター・ソール・ベロー

2005-04-05 20:22:41 | 書評
ソール・ベロー氏(1915/7/6‐2005/4/5)89歳。

かなり以前だが、彼が来日した時の講演会に行った。話の内容はまったく覚えていない(元々、理解できていたかどうかも不明)が、ジャケットを脱ぐと、紫色の半袖シャツを着て、銀色のネクタイを締めていたことだけが記憶にある。さすがにアメリカの作家は違うなって・・・

以前はアメリカの作家をよく読んでいたのだが、ソール・ベローは、フォークナー、ヘミングウェイ、スタインベックという大御所ご三家の後の世代だ。

ソール・ベローの少し年下の世代には多くの人気作家がいる。生まれ年順に並べてみたら、みんなおじいちゃんだ。
カート・ヴォネガット(1922-)85歳、ノーマン・メイラー(1923-)84歳、ジョン・アップダイク(1932-)73歳、フィリップ・ロス(1933-)72歳、イエールジ・コジンスキー(1933‐1991)58才、リチャード・ブローティガン(1935‐1984)49才、トマス・ピンチョン(1937‐)68歳。

ちょっと分類は違うが、ミステリのロス・マクドナルドはベローと同じ1915年生れ(1915‐1983)だった。

私のお気に入りは、ブローティガン、コジンスキー、初期のアップダイク。つまり、もう楽しみがない。

ついでに花粉症ネタ1本。アップダイクは過度の花粉症(特にブタクサ)だったのだが、その結果、ベトナム戦争当時の徴兵制でも、召集免除になったということだ。塹壕を掘ってゲリラ戦をするのに、くしゃみばかりしていたら、すぐに手榴弾を投げ込まれてしまうからだ。花粉症にも功名ありだ。

松本城は「なんとなく」

2005-04-04 20:55:44 | The 城
2e91ddc8.jpg現存天守閣シリーズはこれで第8回目。自分でも意外な展開になっている。しかし、ちょっと疲れる。横浜線で八王子から中央線に乗り換える。首都圏以外の場所にでかけるのに、新幹線も飛行機も使わないのは珍しい。だからと言って、松本の市民が「新幹線誘致運動」をするのだけはやめたほうがいい。ライバルの長野市には、信越線方向からの新幹線はあるが、松本に直接新幹線を引き込もうとすると、東京=新宿=八王子=甲府=松本といった路線になるだろうが、たぶん国民的合意は得られないだろう。かけるコストに対して得られるメリットが少なすぎるし、既に途中駅の金丸先生はいない。

さて、現存12城のうち、4城だけが「国宝」、8城が「重要文化財」の指定を受けている。国宝は姫路、松本、彦根、犬山。国宝と重文では、なにか、良い子と悪い子のような差別を感じる。この差には若干の疑問を持っているが、まだ書かない。少なくても「国宝」松本城のせいではない。

まず、容姿だが、甲冑で武装した武士の立ち姿のようなスタイルだ。黒が基調色。DELLのパソコンファンにはたまらない。奇妙なのは、外から見ると5階建てのように見えるが、内部は6階建てなのだ。その秘密は3階にある。3階は窓がなく、天井が低い中二階的つくりになっている(金融工学でいうメザニンだ)。武器置き場だったらしい。そして、はしご状の階段は、一階ごとに場所が違い、まっすぐ上がっていけない。敵が侵入した時の防御用らしいが、果たして実戦で役に立ったかどうか。もちろん実戦には使われていない。

そして、明治の初めに老朽化が激しくなり、自然倒壊のおそれがでてきて、地元の寄付金で大修理が行われている。そのために、少しは観光しやすくなっている。さいわい明治時代には鉄筋コンクリートはなかったため、木造の修繕になっている。

ところで、建物はやや細身の長身だが、この城はまったくの平城だ。ほとんど平地に浅そうな水堀を切り、石垣はきわめて低い。考えてみると、沿海地の城でないため、巨石、大石を手に入れることが困難だったのだろう。したがって、1590年とまだまだ実戦の可能性の高い時期に築城されたにもかかわらず防御能力は低い。そして、比較的大きな天守閣であるのに、現在まで残っていること自体、いくつかの好運が重なったのだろう。

松本の市街は、この天守閣を中心とした観光地と商業都市の造りが混在としていて、なかなか文化的だ。確か多くの作家を輩出しているような記憶があり、現知事の田中氏も生涯最高の作品で芥川賞をとっている。現存12城の中でも多くの城は、非日常的な場所に存在し、「さあ、登るぞ」という決意(おおげさかもしれないが)が必要なのだが、松本城にはまったく決意が要らない。町の公園の中に普通に立っている。「なんとなくクリスタル」ならぬ「なんとなく松本城」。まあ、そういうのもいいかな。

ディズニーランドに出没したものは?

2005-04-03 20:56:56 | 市民A
47eb7b14.jpg東京ではないのに東京と名乗るものの一つに東京ディズニーランド(TDL)がある。とある理由で久しぶりに出没してきた。思い出すと2年前にディズニーシーに行ってから久しい。以前、何度も何度も何度も通ってアトラクション的にはほとんど制覇しているのだが、そのつど、行くところがある。ブックマークしたブログみたいなものだ。”カリブの海賊”と”ホーンテッドマンション”。また行ってしまった。そして、いつも空いている”イッツ・ア・スモール・ワールド”の企業スポンサーは、以前と同様に、破綻した「そごう」のままだったが、よく考えるとアトラクションはスモールワールドなのにデパート経営はノットスモールの借金地獄だったわけだ。

ところで、2004年のTDLは入場者数が前年比で減少したそうだ。1.8%のマイナスで2505万人。それでもすごい人数だ。毎日、愛知万博と同じようなペースで21年目を迎えている。しかし、相変わらず中華系が多い。そして、結構古くなってきている。”ピノキオの冒険旅行”は乗車直前に緊急停止装置が働き、全員避難していた。最近チョクチョク故障する。少し不安だ。公表では入場者数減少の理由として、「猛暑、台風」をあげているが、会社四季報では「20周年記念の反動」となっている。そして2005年は360度回転のコースターが夏に完成予定。2006年には劇場がオープンの予定らしい。

しかし、今回、期待はずれだったのは「リロ&スティッチ」の扱いだ。ランチタイムのショーに顔を出す以外、ほとんど露出度ゼロ。前もって調べていかなかったのが悪いのだろう(私は、”イキアタリばった”という新種の昆虫だし)。が、「リロ」は21世紀のディズニー王国を引っ張っていく、ミッキーに代わる新しいキャラクターだったはずなのに。
リロ・・女、非白人、アンチヒロイン
ミッキ-マウス・・男、白人、スーパーヒーロー
もはや、米国は白人男性の国ではない。もしかしたらブッシュは白人男性最後の大統領かもしれない。そして白人最後の大統領はヒラリー??。

そういうあぶない視点で、TDLをながめて見ると、出演者は白人ばかりだ。ピーターパンにシンデレラにマーク・トゥウェイン・・・。色が黒いのはカリブの海賊ぐらいだ。そんなことを考えると、ディズニー・ランドって古きよき20世紀の思い出のイリュージョンランドになってしまうのだろうかと心配してしまう。

ところで、夢の王国にふさわしくない話がアメリカのウォルトディズニーではずっと続いている。退職金だ。まず、任期が僅か1年4ヶ月(1995/8-1996/12)だった前CEOのオービック氏に対し、後継のアイズナーCEOが、140百万ドル(150億円)の退職金を支払いを決めた件だ。裁判となって無効になった。その前にはアイズナーはカッシェンバーグを追い出し、逆に高額退職金の支払いを要求され、支払った。そして今度はアイズナー本人の退職金問題である。さすがに金額もファンタジーというしかないが、最大の問題は、振り込み先の口座は、夢でも幻でもなく本物の銀行だというところかな。

もう一つの激震は香港ディズニーランドの開園だ。今年2005年9月12日だ。目標入場者数は年間560万人とのこと。TDLの2500万人から考えるとずいぶん控えめだ。1/3は香港、1/3は中国本土、1/3はその他ということらしい。香港DLが開園することで、TDLの入場者が減るのか(代替効果)、あるいは香港の次は、東京にも行こうと思うのか(相乗効果)、まったく想像もつかない。香港DLでは従業員約3000人を採用するらしいが、従業員教育の困難さが目に浮かぶようだ。

弁当の持込まで口を出す首相も珍しいが

2005-04-02 20:58:20 | 愛・地球博
愛・地球博の「弁当持込問題」は「自宅製造弁当のみ」という条件付で解禁になった。「米国産牛肉は、米国内での出産が確認された場合のみ輸入解禁」というようなルールだ。コンビニ弁当を持ち込む場合は、一旦、自宅で詰め替えなければならない。「アサリ・ロンダリング」ならぬ「ロンダリング弁当」になる。

弁当解禁になって、入場者が若干増加したのは、名古屋人がケチだからではなく、レストランの前で「昼食のために2時間待つ」ことがなくなったからだろう。しかし、会期7日目の3月31日現在、入場者の累計は42万6千人。1日あたり6万1千人。期間日数185日をかけると、1,129万人になる。目標の1,500万人からは25%の落込みになる。まだマラソンで言えばスタートした競技場の中にいるようなものなので心配は早計かもしれないが、先日、名古屋に寄った時に名古屋駅周辺の方の意見を聞く機会があったのだが、予想もつかないことを言われていた。

名古屋人の言い方は、こうだ。「万博は高いが、セントレアはタダだ。」そして、セントレアには大勢の人間が押しかけ、重みで人工島が沈みそうなのに比べ、万博会場に盛り上がりがない、ということらしい。興味深い別の話もある。セントレアと万博では化粧も服装も違う。とのことだ。高級感のある方が無料で、大衆的な方が有料。そういうことなのか・・・

元々、万博と中部国際空港はパック商品と言われていた。小牧空港の方が万博会場に近いのだが、それでは「名古屋市におカネが落ちない」という理由で名古屋の南北で空港と万博を別にしたという話を聞いたことがあった。しかし、空港建設だけが目当てなら、先に人工島で万博を開催した跡地に空港をつくれば良かった。時差開催だ。森林破壊もなかった。

それにしても、セントレアに集客力があり、万博に集客力がないということでは本末転倒。民営対官営の差かな?

しかし、入場者数が少ないと発生するのが、「赤字問題」だ。ここで万博に伴う「皮算用」を確認してみる。総予算は1,900億円。これが事業費(固定費)1,350億円と運営費(変動費)550億円に分かれる。1,350億円の事業費は450億円ずつに3分割される。それぞれが国、地方自治体、公営競技(ギャンブル)収入だ。次に運営費550億円だが、事業者参加料160億円と入場者収入390億円である。要するに総経費の47%が税金、24%がテラ銭、8%がショバ代、そして21%が入場料金収入である。

そして、さらに入場料収入を分解してみると、予想入場者数1500万人で予想収入390億円を割ると、平均単価は2,600円になる。一方、大人料金は4,600円、12歳以下のこども料金は1,500円。大人とこどもの比率を求めるには、一元一次方程式(鶴亀算)が必要だ。
4600×A+1500(1-A)=2600 A=0.353
つまり大人35人に対しこども65人の比率だ。タダ券でも配っていなければこの数字は理解できない。

そして、予想入場者数が25%落ち込むと、この390億円の見込み収入も落ちることになる。残念ながら計画書には、入場者数が減少して赤字になった場合のツケ回し先は、明示されていない。

それにしても、1500万人の予定数というのもずいぶん控えめのように感じる。超ジミだった横浜博でも1200万人。大阪の花博は2300万人。そしてあの暑い暑い大阪万博には、何と6421万8770人が訪れたのだった。

そして、さらに入場者数を引っ張る要因がある。その一は「新世紀・名古屋城博」。金のしゃちほこをクレーンで下ろしたのはてっきり万博会場内での展示と思っていたら、そうではなく名古屋城内での3ヶ月の博覧会。敵対的だ。名古屋には「相乗効果」ということばはないのだろう。その上、気付いたのは「JRタワーズの繁盛振り」だ。12階、13階のレストラン街は朝の新宿駅のような混み方だ。やっとの思いで、濃厚鶏がらスープの「江南ラーメン」カウンター席に座れた。JRタワーズには弁当持参者はいないはずだ。

さらに、かすかに聞こえたのだが、万博最大の目玉商品である冷凍のユノカルマンモス。会期終了後、直ちには帰国しないという噂がある。歩くマンモス??

ただし、地球温暖化のおかげで猛烈な夏が名古屋を襲い、大停電で冷凍装置が壊れてしまったら話は別だ。そのままドロドロに溶けてなくなってしまうのかもしれないし、その逆に、長い数万年の冬眠から覚め、涼を求めて森の中に逃げ込んでしまうのかもしれない。

  夏空に高く吠えろや古代象  葉

国会議員実名ブログは成功するか?

2005-04-01 20:59:08 | 市民A
ブログの特性は、開示性(HP機能)、双方向性(コメント)、連関性(TB)と思っている。もちろん中心的機能はホームページとしての開示性であり、ほとんどのHPがそうであるように、組織ではなく個人の管理と責任の元に存在する。

そのあたりの「個人性」と既存ジャーナリズムの特徴である「集団性」の差が、「新聞・テレビとブログの差」を読み解く一つのキーになっているだろうとは思うのだが、それはそのうちツッコムことにする。

さて、ブログをつかっている政治家は数人いるらしいが、コメント、TB機能を塞いで個人ホームページ型にしたり、機能的にはブログでも、たまにUPしたりしている例が多いらしい。その中でほとんど一般のブログと同じ形態で運営しているのが「ふじすえ健三ブログ」だ。民主党参議院議員で41歳。一応、若い。「ほとんど同じ形態」というビミョーな表現は、「コメントを書き込んだ後、何らかのチェックが入り、1日くらいたってから表示される」というもので、炎上防止策ではあるだろうが、第三者同士のコメント上での論争を行うにはちょっと難がある。

そして、この辺で自分の立場を明示しておくのだが、特にこの政党のシンパではない。基本的に、どこの政治団体にも宗教法人にも参加していない。選挙の時に選ぶ基準は「どこの政党(候補者)がよりダメでないか」という消去法によっている。

実名記者ブログの多くが、挫折していることと若干の関係があるのだが、実名の場合、所属組織と個人の切り分けが問題になる。特に議員の場合だと、政党(民主党でも自民党でも)は、多数の課題に対して見解を持っているので、議員個人の考え方とそれぞれの課題ごとに一致しているわけではない。当然だ。しかし、ブログに期待されているのは、まったくの「個人的見識」であるわけだ。そうなると、そういう集団と個人の意見に差がある場合、「意を決して書く」か「あえて書かない」かということになる。

理想的には、ブログによって民意を集め(アンテナ機能)、論争のページを作って自分の意見も開示し、さらに、党と意見の調整をして、「私は○○という意見を持っていますが、党と話し合ったところ、○○という理由で、○○になりました」というようなのが理想的なのだろう。ただし、かなり難しい。新人議員にとって「党」は絶大だ。「新米記者」が大新聞に入社してすぐに、新聞社と違う意見を公表するようなものだ。一方、政党の看板があってこそ、人脈ができ、情報も集まるといった言い方もできる。

しかし、まあ、その辺は割り引いて考えてあげよう。なにより議員実名ブログが生き延びることが重要だ。

彼のブログの中で触れているのだが、先日、3月15日に経済産業委員会で、はじめての大臣質問をされたそうだ。相手は、自身が出身の役所。経済産業大臣の中川昭一氏。内容は本人ブログを読んでいただけばいいのだが、残念ながらテレビ放送は行われない。視聴率に耐えられないのだろう。事実、多くの委員会はこうして公開されない(議事録は後日公開されるので丹念に読めばいいのだが、個人が読むような代物ではない)。次回は実際にカメラを持ち込み、個人のネット上で動画配信したらどうだろうかと思っている。国会の委員会中継では視聴率はきわめて低いだろうが、りっぱな個人テレビだ。それは、「ブログの次」の方向の一つの候補ではないかと思っている。

現在、「企業ブログ」というのが一つのジャンルを成しているのだが、その目的は、企業側がユーザーの考え方や嗜好を取り込むというアンテナ的商品開発要素を含む。企業とユーザーが近づくことが悪いはずはない。しかし、一方、政治家の場合は多少違うかもしれない。企業にとって変革(Change)は善であるが、政治家が自らの思想や行動をコロコロ日替わりにするのは、例えば選挙制度からいっても問題がある(もちろん変わってはいけないということではなく、芯もなく夜の六本木を千鳥足で歩くような変節は困るということ)。というような、きわめて不安定な状況をブログが作り出す可能性をふじすえブログを読むと感じる。

難しい話を書いたが、本当は彼のエントリで楽しみにしているのは「議員専用の特権シリーズ」だ。先日は「議員専用エレベーター」が紹介されていた。専用シリーズが楽しいのは、「国会のアナクロ性」が笑えるせいだ。ただし「議員専用年金」の話だけは絶対に読みたくない。