桜咲く(サクラサク)公園で・・

2005-04-08 20:21:35 | 市民A
b065fa4c.jpg厚生労働省に行った帰りに、桜に惹かれ、向かいの日比谷公園に入る。桜は50%咲きくらいだ。わざわざ厚生労働省に行ったのは、薬剤師試験の合格発表を見にいっただけだが、私が受験者であるわけではなく、単に会社の近くにあるという理由。何人分かの受験番号と受験者名を合格リストに付き合わせ、数ヶ所にメールで連絡。本来画像データの方が証拠能力が高いのだが、なぜか禁止(意味不明)。まさに、「サクラサク」と「サクラチル」だ。

ところで、この「サクラチル」というのは、電報用語である。遠い過去の話だが、地方出身者が大学を受験するため単身上京したようなケースで、当該大学の掲示版にのみ合格発表が張り出されるといったアナログ時代の産物だ。大学の運動部が、ヤクザ的縄張りを決め、合格発表を代理で確認し、地方で淡い期待に胸ときめかしている少年少女宅に、高額料金をとっていながら最低料金で電報を送るシステムだ。そして必ず、大学当局は、「合格確認業者は当大学とは無関係で、大学は責任はとれません」というような掲示をしている。そして、実際には、「サクラチル」が届いた学生は、再度上京して確認したりしないので、間違えていても発覚しない。

「サクラサク」の代わりに、「ゴウカク」というのもある。濁点も1字分だったので、これも合計5文字だ。最低料金。ところで、NTTのHPから現在の電報料金をさがしてみると、一般電報は25字まで462円となっている。5文字ではない。つまり、サクラチルを見ることは当面ないのだ。もっとも、合格と不合格は単に二元論なので、料金の最低単位が1文字だったら、「OかX」になったかもしれない。そして、今や電報の役目は慶事と弔事だけかなと思ったら、NTTでも同様に認識しているらしく、「電報はギフトです。」と堂々と宣伝している。NTTはギフト品販売業者でもあったのだ。

しかし、「桜散る」とは平和時では、単に不合格をあらわし、それは、人生に数多くある二また選択の一つに過ぎず、幸福と不幸を意味するものではないのだが、戦時下での「桜散る」では、本人には選択肢は残らない。

そういうように考えると、東京九段にある桜の名所「千鳥ヶ淵」の道をはさんだ対面にあるのが靖国神社、というのも何か奇縁なのだろうか。靖国問題は、国内世論は多種多様で、かつ近隣国は大騒ぎをしているのだが、その独特の雰囲気を感じるためには、一度、「見学」をしてみたらどうなのだろう。


話を植物学に戻すと、桜は根を浅く広く張るそうだ(浅根性)。樹木の専門家、小島愛一郎氏が言うので、間違いないだろう。墓地などによく植えられているのは、深く埋葬された霊魂を樹木の根が傷つけないように桜が選択されたのだろう。よく、霊魂から発生するリン分を吸収するので墓地の桜はきれいだ、という説を聞くが、根が浅いということなので、単に俗説であることがわかった。墓地は人通りも稀なので、根に対する踏圧がなく、樹木が元気なのだろう。専門家おそろし!だ。

ついでに、墓地の樹木の話だが、「糸杉」というのがある。ゴッホの絵画に数多く登場する細く高くすらっと天を目指して伸びるスギだ。英語では「Italian cedar(イタリア杉)」というくらいでイタリアに多く自生しているそうだが、欧州の他国では墓地に多く植えられる。特徴として、桜とは逆に、根が横に張らず、まっすぐ地下に向かって伸びていくそうだ。これはこれで霊界人の眠りを覚まさないということだ。そして、そういう観点でゴッホを考えると、彼は墓地の絵ばかり描いていたということを知ることができる。やはり常人とは違う。

日本でも、糸杉は生垣などに人気がある。常緑だし手間もかからない、小さいうちはかわいらしいし、根が張らないので、狭い庭に埋められた埋設配管への影響も限定的だからだ。欧州人がみたら、「何と美しい墓地に、小さな墓守の家がついているのだろう」って思ってしまいそうだ。

が、このブログを読んでからあわてて、庭にノコギリを持ち出したりしたら、いけない。樹木は自分の子供のように丁寧に育てなければならないのだ。糸杉が成長して、暗緑色の葉を繁らせ花粉をさんざん撒き散らしたあと、長い長い寿命の先にありとあらゆる延命措置をほどこして、すべての努力もむなしく、朽ち果ててしまうまで植え替えてはいけないのである。


追記:ついでに最近仕入れた日比谷公園ネタ(?)。隣国の大統領の下向きの眉毛が上向きに変わった原因の竹島だが、東西二つの島にわかれていて、合計面積は日比谷公園とほぼ同じそうだ。