いきなり富良野へ

2009-11-17 00:00:29 | たび
新千歳空港に着いたのは、夕方である。さっそく、団体バスに乗って高速道路を走り出す。大都市札幌を左手に通り過ぎ、北上。荒野が広がり、バスの両サイドには馬や牛。空には烏よりもっと大きな鳥が、暗い森の上空を旋回。旭川の手前で、一般道に降りる。もう、外は真っ暗である。富良野はちょうど北海道の中心で、大雪山系のふもとに、奇跡的に広がる平原である。

つまり、寒くなると、果てしなく寒いはず。そして、曲がりくねった谷合いの道をたどると、宿泊地である新富良野プリンスホテルに到着。裏手には有名なスキー場があるそうだが、とても冬季に自分で運転する気にはなれない(他人の運転するクルマにはもっと乗りたくない)。この過酷な道は、もしかしたら明治時代に囚人に鞭打って敷設したといわれる「囚人道路」の一つなのだろうか。うかつに口に出すことは止める。

furano1当日は、日中15度まで上昇し、直前に降り積もった雪も溶けてなくなったということだが、夜は寒い。寒いというものの、まず最初の観光は、ホテル敷地内にある「ニングルテラス」。昔から森に住んでいたといわれる小人のことを「ニングル」というそうだ。何となく先住民族虐待史を想起するが記録はない。

小さなログハウスは、それぞれ、彫金とか紙細工とかその他のミニチュアアートの専門店が何軒も並んでいる。まあ土産物店と言うと怒られそうだ。その中の喫茶店で、お目当ての飲み物を注文する。

「焼きミルク」。

furano2実はネーミングから、大きな誤解をしていた。すっかり冷たくなった体が温まるようなホットミルクをさらにオーブンで焼いたような激アツ!ドリンクをイメージしていた。さらに、登場した「焼きミルク」は、陶器のジョッキみたいな容器である。ただ、なぜかスプーンが・・

冷たいわけだ。

製法はまったくわからないが、ミルクの表面にグラタンのようにキツネ色にこげた膜ができているわけだ。さらに、それを冷やしている。つまり、零度に近いほど寒いのに、冷たいホットミルクを飲んで表面に浮かぶ膜をスプーンで食べるわけだ。「珍味」と言っていい。

さて、富良野と言えば、「ラベンダー」だったのだが、最近は、富良野のイメージは「倉本聰」ということになる。

1981年に始まったテレビドラマ「北の国から」は、平均視聴率30%を稼ぐフジのドル箱になり、続編に継ぐ続編ということになる。1年半の連ドラ終了後はスペシャル番組となり、20年の歳月をかけ2002年「北の国から 遺言」に内田有紀が登場して完結する。

そして、さらに富良野三部作として、2005年に「優しい時間」、2008年に「風のガーデン」と続く。個人的には、やや後ろ向きの登場人物が富良野にやってきて心を入れ替えて再生するという筋書きには、あまりシンパシーを覚えないので、視聴率30%には恐怖を覚える。

平原綾香は「優しい時間」では主題歌を歌ったが、「風のガーデン」ではさらに売れない歌手としてドラマに登場。あまり筋立てにのめりこむと、本当に売れない歌手になるので注意が必要だ。

ホテルの1階には、「風のガーデン」ルームがあり、たまたま、マネージャー氏は、倉本氏と携帯電話で大声で商談中だった(と思った)。


furano3そして、翌日、富良野は晴天。うっすらと大雪山系の山々が見える。よく富良野はモザイクと言われるように、それぞれの畑には農家ごとに各自異なる作物を栽培している。

「北あかり」という馬鈴薯のコロッケが冷えた体を温める。(冷えた理由は、朝一で行ったチーズ工場で、コーン入りアイスクリームを食べたからだが)

iceこの馬鈴薯のことだが、前々から不思議に思っていたことがある。サツマイモに関しては、徳川吉宗の時代に、飢饉対策として琉球から薩摩を経て伝来していたサツマイモを農学者である青木昆陽が現千葉市幕張にある幕府の御用農場で実験栽培。参勤交代で国に帰る大名達に茹でて食わせてから種芋を持ち帰らせ、栽培させたとされるのだが、なぜジャガイモはそういうことにならなかったのか。

実際、寒冷の津軽では飢饉のたびに、津軽半島から弘前までの道筋に餓死者が重なったと言われる。サツマイモではなくジャガイモ栽培はなぜ普及しなかったのか。

北海道で聞いた話は、欧州でもジャガイモを大量に食べるようになったのは、吉宗と同じ頃。フランス革命で有名なルイ16世が、王立農場で育成したジャガイモを苦心惨憺の末、民衆の常食に組み込んだそうだ。日本には、その前の時代にオランダ人がジャカルタから持ち込んだのだが、「花の観賞用」だった。トマトと同じだ。

furano4案外、吉宗のことだから(あるいは毒見係が)、ジャガイモも食べてみて、新芽に大当たりでもしたのかもしれない。


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