旗本御家人2 幕臣たちの実像(上)

2010-04-19 00:00:47 | 歴史
hatamoto1国立公文書館で開催中の『旗本御家人2 幕臣たちの実像』に行く。前回の「旗本御家人I」では、いわば公務員である彼らの仕事を中心に特集していたが、今回の「2」では、どちらかというと、こぼれ話的な変化球が多い。

まず、幕臣の出生だが、まず「出生届」を出さなければならない。今も同じだが、当時でも国民の義務だったはず。ところが、公務員たる彼らにとっては、こどもが生まれたからと言って簡単に届を出すわけにはいかなかった。生まれた時には届を出さず、何年かしてから「丈夫届」を出すことが多かったとされる。

表向きは、「丈夫届」は、生まれた幼児が病弱の場合、すぐに亡くなる可能性も高いので、何年かして丈夫だったら、遡って、実際の年に生まれたように届けるものだった。一応合理的。



ところが、実際には、ここでサバを読むことが多かったそうだ。例えば3歳なのに13歳とかである。どうも跡取り息子(当主)が17歳未満で亡くなった場合、お家取りつぶしとされてしまうという理不尽なルールがあった。これを回避するため、とりあえず嘘でもいいから当主は17歳以上でないと、家が安定しない。

そのため、生まれてすぐに届け出すると、年齢をごまかせなくなるため、時期をずらして年齢を上げて届けていたそうだ。


それと同様の主旨だが、「急養子願」というのがある。当主に跡取りがなく、突然に死にそうになった場合、死ぬ寸前に養子を取ることが認められていた。その当主から幕府への申請書を「急養子願」という。実際には、亡くなってから慌てて申請することも多かっただろうが見て見ぬふりである。



幕府への願文書であるから、当主が署名した後、サインと呼ぶべき花押が必要なのだが、だいたいが印鑑になっているそうだ。重病で手が震え、花押が書けず、やむなく印鑑としたというようなことが書かれる。もちろん、手が震えているのではなく、もはや手が冷たくなり、硬直してしまったからに違いない。


案外、花押から印鑑へと公式文書のサイン方法が変わったのは、これが原因かもしれない。それが、日本の会社でよくあるメクラ判(=個人無責任体制)につながっているのかもしれない。


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