品川歴史館へ

2024-05-30 00:00:25 | 歴史
大森貝塚を見学したあと、今年の春に完成した品川歴史館に行く。貝塚跡から5分ぐらい。まだ、ピカピカというところだ。一枚の画像に入りきらない。東京都は金持なので、あちこちに文化施設が増えている。神奈川は新設の予算はないので、リニューアルばかりだ。千葉県は美術館も図書館も数十年前のままで、あまりにも古びていて、映画のロケに使われる始末だ。次の県知事には落選後の都知事を招聘した方がいいかもしれない。



ただ、品川の歴史というのは、少し苦しい。江戸時代の宿場町といっても、人々の楽しみは遊郭だった。それも公営の吉原と違って、非公認の岡場所だった。品川宿は今の品川駅より京急で一つ横浜寄りの北品川駅のあたり(品川駅より南にあるのに北品川というのが通っぽい)。

まあ、数枚の浮世絵で、そういう町であったことも表示されていて安心する。

展示資料の中に、延喜式の中で「大井」という「駅」が定められていることが地図として展示されていた。延喜式は927年に完成し、967年に改定された法律(律令格式例の中で具体的定め)。道としての、東海道の中の一つの駅。今の大井町のことかな。実際には三浦半島の東側から千葉県に向かう航路と品川に向かう航路があったはず。大井と豊嶋の間に道があったことになる。現在の地図を見ると、ほとんど同じ場所に道路がある。大井ジャンクションから大井町の駅から荏原を通り、学芸大学や三宿屋から中野通りと呼ばれ、中野駅から豊島区の東長崎へ道がある。



さて、前段で「道としての東海道」と書いたのは、地域としての東海道という言葉もあるから。五畿七道といって全国の行政区を七つの地域に分けていた。(東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道の七つの道と畿内五か国)。たとえば品川歴史館の地図の区域は東海道の一部と東山道の一部が含まれている。現在の東京・埼玉が武蔵、千葉は安房・上総・下総、茨城が常陸、神奈川が相模でここまでは東海道。群馬が上野、栃木が下野、この二つが東山道といったところ。

さらに、上総・下総、上野、下野のように上下対や前後対になっている国も全国に多い。豊前・豊後とか肥前・肥後とか。備前・備中・備後とか越前・越中・越後とか三点セットもある。ということは、総とか野とか豊とか備とか越といった大きな国があったことになる。つまり、ヤマト朝廷が全国統一をするころの地名ということになりそうだが、記録がないわけだ。ただ、ビンとかブンとかヒとかビとか普通の日本語では聞かない発音であるわけだ。(品川の話からは大きくはずれたわけだが、何年か先にはリニア新幹線の出発駅(つまり日本の中心)ということになるわけだ。

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2 コメント

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Unknown (都民)
2024-05-31 00:54:32
東京の板橋区は公園を使って3階建て図書館を新設しました。
東京教育大学の寄宿舎跡地のようです。
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Unknown (おおた葉一郎)
2024-05-31 10:03:57
都民(板橋区民?)さま
情報ありがとうございます。図書館が大きくなって書籍の購入量が増えると、中堅以下の作家が喜ぶらしいです。読者の購入冊数より図書館の購入冊数の方が多い方もいるようです。
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