イサム・ノグチ展 横浜美術館(~6/25)

2006-06-09 06:24:00 | 美術館・博物館・工芸品
4989d9ab.jpg横浜美術館はまさにバブルのピーク1989年にオープンした、まさにバブル美術館である。丹下事務所の設計で、惜しみなく石材をつかっている。つまり石造りの美術館なので、妙な石彫など恥ずかしくて展示できない。そこに、正々堂々とした大家の作品が登場する。イサム・ノグチ展。副題は「世界とつながる」。

ノグチの彫刻は、抽象的な造形であるが、シンメトリーであったり、柔らかく長いシェイプラインを使ったものが多い。石材は多くは大理石を使うが、花崗岩も使う。アメリカで製作する時は、一時メタルを多用していた。ただ、それはニューヨークでは大理石の入手が難しいということからであって、やがて花崗岩やセメントを使うことになる。

4989d9ab.jpg展示を見ていて気付いたのだが、作品を作る前にデッサンとか図面とか使うのではなく、いきなり石を削りはじめるようだ。そしてちょっと原始人に近い太陽とか闇とか超自然の力を主題としたものが数多く存在する。なんとなく、お行儀のいい岡本太郎的でもある(かなり似ている作品すらある)。どちらもパリに行き、マン・レイなど共通の友人とあっている。直接会ったことがあるのだろうか。

そして、横浜には少し関係があるそうだ。一つは、米国生まれの彼が米国人の母親と日本で住んでいたのが、茅ヶ崎市であったこと。もう一つは、彼が多数設計した中で、最初に公園に登場したモニュメントは横浜北部の「こどもの国」だそうだ。

館内では、「イサム・ノグチ」という30分仕立てのドキュメント映画(本人のインタビューを中心に構成)が上映されている。彫刻家の日常や、何ヶ所かの仕事現場が公開される。まず、ことば。流暢な日本語の反面、英語には角がある。少年時代に日本にいたからだろう。さらに日本庭園の研究を重ねていたことが明らかになる。イタリアの仕事場では、大理石を彫っているところが紹介されるが、やはり、慎重に作業している。

4989d9ab.jpgその映画で紹介された彼のこども時代を年譜で追っているうちにいくつかの疑問が涌いてきた。まず、父親が日本人で詩人の野口米次郎氏で母親が米国人だというのに、なぜ、イサムは、母親と日本にきたのだろうか。そして、パリで岡本太郎と会ったことはあるのだろうか。さらに、最晩年には毎年インドに行っていたようだが、なぜなのだろうか?もちろん、美術館で考えてもわからないのだが、それぞれに複雑な事情があるようだ。そのうち、彼の人生(1904-1988)を軽くのぞいて見ることにする。  


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