荏田宿のこと

2016-09-15 00:00:45 | 歴史
最近、JA(JA横浜荏田支所)に行くことがあり、自宅からは近いのだが、徒歩だと20分くらいなのでクルマで行くと、駐車場の入り口に、そこが江戸時代は宿場町であったとする掲示板があった。大山街道荏田宿(えだじゅく)。

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大山街道とはまさに現代の国道246号線で、三宅坂の社民党本部前を起点に青山、渋谷、三軒茶屋を通り、東急田園都市線に沿うように厚木に至り、さらに伊勢原方面まで行く。そしてまっすぐいけば御殿場から静岡で伊勢原からちょっと右に曲がれば大山神社であり、江戸時代のミニ旅行先として有名だった。

さすがに東海道は大旅行だが、大山詣では10日弱のはず。

資料によれば、江戸から第一の宿場が荏田宿とあるが、かなりの距離だ。30キロはあるかな。3.11の時に、深夜、東京から歩いて帰ったが、疲れ果てた。そこが最初の宿場だ。

といっても現在、宿場だった面影はまったく感じないのだが、ここには34軒が並んでいたそうだ。内、旅籠は4軒。その他は小間物、質商、古着、八百屋、油商、寺子屋、もち、染物、豆腐、馬商、風呂、髪結、米穀、提灯、鍋商、人力屋、牛馬鞍、そば屋、床屋、小物、雑貨、煎餅、大工、足袋、籠、薬、菓子、そして農家。いわばショッピングモールだ。

34軒のうち14軒は、職業は変わったものの、今もお住まいになられているそうだ。

そして、店の業種はわかっているが解読できない店が二つあるようだ。一つは「大竹屋」、もう一つが「万屋」。研究された方々にはもうしわけないが万屋は「よろずや」だろう。金物屋。「大竹屋」は不明だ。


ところで、本稿を書くのに調べると、二つの新たな地元ネタがあることがわかった。最初のネタだが、宿場より江戸寄りの場所はかつて牢場という刑務所があって、処刑(斬首とか磔とか)を行っていたらしい。時期が不明だが、少なくとも江戸時代ではないようだ。

もう一つのネタだが、宿場より大山寄りには東名高速をまたいで「荏田城」という城址があるそうだ。調べてみると私有地で厳重にフェンスで囲われ侵入困難状態のようだ。何か理由があるのかもしれない。誰の城だったかもはっきりしていない。


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