介護保険雑感(3/3)

2006-06-08 00:00:31 | 市民A
0ce65b9b.jpg介護ビジネス自体が要支援、要介護となるかも

介護ビジネスといっても、大中小規模はさまざま。全国展開を狙う大型企業にしても、ベンチャー系や他業種からの進出組、また自社内の余剰人員対策と思える電話系大会社まである。また、老人ホーム系の会社もあり、その延長としてのサービスに強いところもある。さらに遊休地の活用として小規模で機能を絞った個人経営の通所施設もある。それらが、制度改革のつど、割を食ったり、大当たりになったりする。

そして、介護保険の中で「自己負担率1割」という、言わば補助金型の政策に頼り、送迎車や移動浴槽とか次々に導入しているのだが、競争は厳しい。介護制度自体、民間企業によるマーケット型均衡を目指しているのだろうが、規則改定が次々と起こり、業者に負担がかかっているのも事実である。窓口であるケアマネさんと話しても、そういう会社が抱えている不満が聞こえてくる。デイケア施設での火災で犠牲者が出たということから、室内にスプリンクラーの設置が義務付けられたが、これだって、設備投資の上乗せという問題もあり、また利用者は頭の上にむき出しのスプリンクラーという非日常的な倉庫的な雰囲気を感じてしまうわけだ。

在宅での人的サービスの単価が時給4,000円という大企業の係長クラスになっている点も、一割負担なら400円なので、高く設定しても利用者はいる、という側面もあれば、仕事の内容からいって人員確保の困難さ(要するに嫌な仕事で長続きしない)や不稼動率の高さ、それと会社自体の必要利益水準もある。これだって、きわめて微妙なバランスになっている。


また、今回の改定できわめて大きな問題とされているのが、ケアマネさんの報酬である。要するに、ケアマネージャーというのは国家資格が必要であるし、介護の必要な個々の人間に対して、適切なアドバイスを行い、月ごとの介護プランを立てるわけである。その結果、必要な介護プランが立案され、介護保険との兼ね合いで、個人負担が決まる。これを個人で行おうとすると、まず無理だ。使いたいデイサービスがあるからといって、いまや需要増で順番待ち。体調が悪化したからといって、ショートステイを使いたいといってもどこの施設があいていて、どうやって介護保険で申請するかということもプラニングが必要。要するにマネージメントである。そして、当然ながら個人の能力差が大きい。「良い老後を送るには、良いケアマネさんを見つけることだ」という格言まである。

ところが、このケアマネさんの報酬というのは、介護保険から出ることになる。悪質ケアマネが特定施設と癒着したりしないようにしているわけだ(そういう事例があるかないかは知らない)。そして、例の介護のランクによって、収入が変わる。非常に簡単にいうと、介護レベルの低い要支援1などは、毎月1件4,000円。要介護で10,000円から13,000円である。では、たくさん仕事をすれば、もうかるかといえば、まさにそうだったのであるが、優秀な人がたくさん仕事をするのは、きわめて正しいことなのだが、優秀でない人がたくさん仕事をしてトラブルが起きることがあったわけだ。だいたい、介護というのは24時間無休のような側面があり、ケアマネさんの携帯にはどんどん電話がかかってくる。下手なプランをたくさん書いてしまうと、問題が多発して収拾がつかない。

それで、今まで50件以上抱えていた人に対して、35件までということになったわけだ。そうすると、次の問題が起きるわけだ。ケアマネさんの収入減である。たくさん契約できるなら問題はないが、数が減れば単価の高い人を相手にしなければ、収入減になってしまう。結局、介護レベルの低い人は後回しになり、無能ケアマネが担当するか、ケアマネ難民となり、結果、症状は悪化していく。新聞などはケアマネ側の倫理観を責めるが、もともと年収が低いのにさらに収入減となれば、優秀なケアマネは業界には入ってこないのは明らかである。結構、若い有資格者(男女)は、他業種の中に眠っているのだが、収入を見ながら転職を狙っているのだろうと推測できる。(本来、高齢者向きの仕事なら退職者再雇用的な採用がいいのだろうが、残念ながら重労働で、若くないと厳しい)


全体システム(国)の問題

国を批判するのが正しいかどうかわからないのは、「何が理想のシステムか」というのが誰もわかっていない、ということが問題なわけだ。国民的議論もなければ合意もない。

また、自民党は「個人負担を1割から2割にする」という案を考えているそうだが、これは大雑把過ぎる議論である。弁当を1食50円で食べようとしているナマクラ老人に、一発食らわそうというならわかるが、寝たきり老人の入浴回数が月2回から月1回になったりするのではどうかしている。国の負担が9割から8割に変わるのは1割減だが、利用者負担が1割から2割に増えるのは2倍になることを考えておかなければならない。といって、制度を細分化すればするほど、老人の頭は混乱するばかりである。

そして、システムが動いている中で、制度が少しでも変われば、たちまちあちこちで損得勘定が爆発するような状態になっていることわけだ。

つまり、国というのは個人の集合体であるのだから、多くの国民が現在の諸制度を理解した上でなければ、政策立案も場当たり的にならざるを得ないのもしかたがないかもしれない。とりあえず、制度の名前でも親しみやすく改名したらどうなのだろう。

といっても、老人の自尊心を傷つけないネーミングは難しいのだが・・

このままでは、たぶん団塊世代が年金制度の次に介護保険を食いつぶすものと思われるが、まあ、それを耐えしのげば、その後(25年くらい先)は何とかなるのだろうと、一応、思っているのだが。

おわり


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