「夢」の話

2022-01-18 00:00:43 | 市民A
昨年12月、米国が民主主義国サミットを開催し、中国とロシアを仲間外れにした時に、中国政府は、「米国は民主主義と言っているが、黒人差別があり、さらに選挙により国が分断されている。とても民主的ではない。中国の方がずっと民主的な国だ」という意味のことを主張し、驚いてしまった。

確かにリンカーンの時代に奴隷制が廃止されても黒人の公民権が確保されたのはケネディの時代まで100年以上かかり、さらに60年経っても差別は残っている。とはいえ、差別を縮小する方向にあるわけで、これから少数民族差別を強化しようという国とは違うと思う。

また、民主的と言うのは、投票の自由と立候補の自由という二つの参政権が必要だが、どうなのだろう。

次に国家統制にかかわる政治体制として民主主義よりも独裁制の方がいいというのは、古くはギリシア時代に論議され、ソクラテスからプラトン、プラトンからアリストテレスへと議論が高まっていった。

プラトンは、国家の形態として、法律や秩序が「保たれた状態」と「保たれない状態」と二つのケースで「独裁制」「寡頭制(少数支配)」「民主制」の優位比較をした。

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そして、アリストテレスはソクラテスやプラトンといった理想主義者とは違うアプローチで政治制度を分類した。

「政治の目的」として、『公共のため』か『私事のため』かに2分割し、さらに支配制度として『単独支配』『少数支配』『多数支配』を3分割し、その組み合わせの6種類について命名するとともに優劣を論じている。

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結局、独裁制は優れた独裁者がいて、社会の秩序が保たれていれば、最良だが、そうではない人物や組織を前提とすると最悪ということになり、民主政治の場合は個々の私事都合により方向が揺れ動いてしまうが、それでもなんとか持続可能ということに落ち着くのだろう。

現在「中国の夢」ということばで語られるいわゆるシートピアだが、法と秩序をねじまげて独裁に向かっているようにも見えるがどうなのだろう。「」ということばは、決して実現されないところが良いのだが、無理やり実現させようとすると惨事が起きるのが通常だ。

民主主義が破綻した有名な例としては、一つがギリシア都市国家の直接民主制。民主制の欠陥である個人の自由を追求し過ぎた結果、国家・国民全体の最適値から大きくはずれてしまった。

もう一つの例がワイマール憲法下のドイツ。国民的熱狂の中でヒトラーが登場し、独裁者になると同時に法・秩序を捻じ曲げた。

他国のことは置いて、日本の状態は「おともだち内閣」という単語が表すように「私事都合の少数支配」の近くにいて、このあとどちらに向かうかということだろう。