千葉県中部のゴルフ場で、プレー終了後駐車場に行くと、西方に絶景が眺められた。茜色の空に遠く富士山をのぞむ。マジックアワーの直前。
江戸時代の後期になって富士山は庶民に親しみを持たれるようになったが、最後の爆発があったのが1707年のこと。宝永地震の49日後に大爆発。江戸の近くまで大被害を与えている。その後、おとなしくなり信仰の対象にもなっている。
しかし、平時は終わり、もはや、いつ爆発してもおかしくない臨界状態のようで、単独爆発でなくとも東海地震、東南海地震、南海地震など巨大地震がおこれば、まちがいなく連動するのだろう。
美しい姿を眺められるのも今のうちということだろうか。
ところで、直近の爆発が起きた1707年だが、「おおた家」が本家から分かれた初代の「藤吉さん」が生まれた年なのだ。
いわば、現在の富士山とともに生まれた家ともいえる。そして、次なる爆発とともに・・(いや、考えるのは止めようか)
江戸時代の後期になって富士山は庶民に親しみを持たれるようになったが、最後の爆発があったのが1707年のこと。宝永地震の49日後に大爆発。江戸の近くまで大被害を与えている。その後、おとなしくなり信仰の対象にもなっている。
しかし、平時は終わり、もはや、いつ爆発してもおかしくない臨界状態のようで、単独爆発でなくとも東海地震、東南海地震、南海地震など巨大地震がおこれば、まちがいなく連動するのだろう。
美しい姿を眺められるのも今のうちということだろうか。
ところで、直近の爆発が起きた1707年だが、「おおた家」が本家から分かれた初代の「藤吉さん」が生まれた年なのだ。
いわば、現在の富士山とともに生まれた家ともいえる。そして、次なる爆発とともに・・(いや、考えるのは止めようか)