神田明神と名乗る神田神社

2017-11-20 00:00:36 | おさんぽ
御茶ノ水地区お散歩2ヶ所目は、『神田明神』。自ら神田明神と名乗る一方で、門の表札は「神田神社」。ということは、明神と神社の差は何かというと、特に定めがあるわけではない。正式名が神社で、俗称が明神(大明神)ということで、大きな神社にのみ明神という言われ方がするそうだ。あまり、自分から明神と名乗るものでもなさそうだ。

kandam1


そしてご祭神は、大己貴命(大国主命:大黒様)、小彦名命(恵比寿様)、平将門命の3柱であるが、これには因縁がある。

もともと神社の始まりは8世紀で、出雲出身者が出雲神である大黒天を祀って創建したそうだ。中央政府による圧迫で出雲という心霊地区を弱体化させるために追い払ったのだろう。そして200年ほど経って平将門の乱があって、破れて首を斬られた将門の首が何らかの方法で空を飛んで東京大手町付近に飛んできたそうで、彼の慰霊を行い祟りがないように祀ったとされる。

そして、東国武士の神様と敬われるようになり、徳川家康が関ケ原に出陣前に戦勝を祈り、神田祭の日(9月15日)に、日本の運命が定まった。

kanda2


一方、明治政府は天皇に反旗を掲げた平将門を祭るなどとんでもないと祭神をクビにして、茨城県の神社から恵比寿様を移してきて、祭神に据え替えた。さらに、江戸時代までは「神田明神」と呼ばれていたことを禁止し、普通の神社の総称である「神田神社」としか呼ばせなかった。神田明神の苦難の時代だった。将門の復権は1984年のこと。失権してから110年が過ぎてしまった。

ところで、先日、和歌山県の淡嶋神社で、絵馬に書かれた現代日本人の祈りを調査しようとして巫女さんの鋭い眼光攻撃を浴び断念したのだが、神田明神では誰でも絵馬を見ることができるが、大半は我々の一般的な願望を願う言葉が並べられている。

進学、就職、縁談、病気快癒、家内安全・・実際には努力もなく絵馬に書いたって助けてくれる神様はいないだろう。第一希望の学校に入れず、就職失敗、病気は快癒せず慢性化し、家内安全どころかW不倫発覚とか。しかし、数多くの絵馬の中に、一枚のまったく個性的な主張を展開する言葉があった。何しろ、神様に頼むのではないわけだ。

  物語を作る人に 絶対なる!!

「物語を作る人」の部分には、下線が引かれている。

まったく、いい言葉だ。私が見つけてしまった以上、その言葉、いただいてしまおう。