仁徳天皇陵とされている大仙陵古墳

2017-11-07 00:00:52 | たび
大阪府堺市方面に行った。まず、JR百舌鳥駅から近隣の大仙陵古墳へ。今のところ世界最大の墓地であり、異論はあるものの地元では仁徳天皇陵と決め込んでいる。

実際に、写真でよく見る前方後円墳を確かめようにも、地面をいかにうろついても、絶好の撮影ポイントはない。百舌鳥(もず)駅の陸橋の上がいいと書かれていたが、単に地面よりマシという程度だ。高層ビルの堺市役所の展望会が最も眺望が良いようだが、遠くから見るより近くを歩く方を選んだ。

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そして、もっとも古墳の核心に近づいた場所で墳墓を見上げると、その全長よりも高さの方が驚きだった。大きさは全長500m程度なので歩くのは問題ないが、高さは35mほど。そこに生えている木々は15mほどだそうだ。小山全体が迫ってくる迫力がある。江戸の最後(慶応時代)の頃に、朝廷が大掛かりな改修を行ったそうだ。

ガイドの方が近づいてきたので、詳しく話してみたのだが、堺の海岸に沿って横長に展開する前方後円墳(大阪の方が丸く和歌山の方が四角)は大阪の方から和歌山の方に船で航行した時に最大規模に見えることになり、日本の大王の権力を見せるためだったということだそうだ。実際の難波宮は堺より北にあり、一方、つまり中国との接点の港は堺の南にあった。当時、中国からの公船は瀬戸内海を抜け、おそらく淡路の北側の明石海峡から大阪湾に入り、難波宮の面前を通過し、大古墳を見てから日本の地を踏んだはず、とのこと。

巨大古墳時代は、日本の主権主張のための大道具だったと解釈されているようだ。

江戸末期から明治の初めに、手を入れられたままで、発掘品も稀少であるのだが、ちょうど東京の三の丸尚蔵館で発掘品の一つが公開されるようなので楽しみにしている。

古墳時代の歴史研究が霞がかかったように不透明であるのは巨大古墳の調査が拒まれていることがかなりの要素だが、天皇家のルーツを明らかにしたくないのかもしれないが、普通の国民は天皇家のルーツよりも原日本人のルーツそのものが知りたいのだから、次代の皇室には是非、おおらかな気持ちで対応してもらいたいものだ。