モエレ沼公園・大地の彫刻

2014-09-10 00:00:02 | 美術館・博物館・工芸品
造形アーティスト、イサム・ノグチのことに長い間こだわっているのだが、日本で、はずせない場所が2ヵ所。一つが香川県の牟礼にあるイサムノグチ庭園美術館。晩年、日本での拠点としていた。たまたま、源平合戦の最終局面の屋島合戦の古戦場と同じ場所にある。以前、苦労しながら行ったことがある。庭園内は撮影禁止になっていて残念だが、そこで彼が汗を流しながら石を削っていた事実が感じられる。

そして、もう一か所のポイントとなるのが、札幌市郊外にあるモエレ沼公園。本州からはなかなか行きにくいが、ついに門をくぐることになった。こちらは、もともと札幌市がごみ処理場としてモエレ沼を埋め立てることにしていて、ごみが一杯になった後の有効活用としてイサム・ノグチ氏に公園の設計を依頼。イサムは若い頃に思い描いた「グラウンドをデザインする」という構想を、ついに手がけることになった。すでに80歳を超えていた。

実際、彼によるデザインが完成した年、デザイン完成のパーティを前述する牟礼で開催した後、約1か月後にニューヨークの病院で他界する。彼の人生を語る上、その前半生の苦闘をともにした母親のレオニーのなくなった病院のすぐそばである。


まず、公園に着いて、最初に行くべき場所はどこか?何しろ、入場無料。

レンタサイクルである。200円。公園は広すぎる。しかし、よく考えると最近しばらく自転車に乗った記憶がない。10年ほど前に電動自転車に5分乗ったことがあったが、その前がいつか覚えていない。もしか数十年前?

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で、用意されたのは、派手な赤いチャリ。車輪は小さく、上り坂が心配。

大ざっぱに教わったコースを走り始めると、なんとかスピードを上げることができる。調子に乗ってオフロードを走ろうとするが、やはり無理だった。

なんとなく思っていたのは、広い公園内のあちこちに子供用の遊具があるのかと思ったのだが、どうもそういうのは奥の方の一角のようだ。大部分は、グラウンドデザイン型の大作品。何しろ、山がある。元々が沼なのだから山を作るにはずいぶんと大変だっただろうに、二つもある。モエレ山とプレイマウンテン。いくらなんでも二つの山を登る気にはとうていなれない。

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とりあえず、高い方を一つ上ってみようかと、プレイマウンテンの登山を始める。冬になると、ソリで遊ぶ子が多いそうだが、ソリは禁止されているようだ。遊びってそんなものだ。山は草の中を上るか、階段状に積まれている石段を上るかになるが、草の上の方が歩きやすい。自分の歩幅で登れるからだ。途中で何度も休息しながら頂上に到着。眼下に、メインシンボルであるガラスのピラミッド「HIDAMARI」が見える。安室に同名のバラードがあるが関係あるのだろうか。

そして、振り返ると大ショックである。高い方の山に登ったつもりだったが、もう一つの山であるモエレ山の方がずっと高い。プレイマウンテンは30mでモエレ山は60m。プレイマウンテンの「プレイ」が、「遊び」を意味するのか「祈り」を意味するのか、よくわからず(スマホをバッグと一緒に預けてしまったので、山の上で確認する方法は皆無)、この霊感的構造からして、祈り(PRAY)の方だろうと決めつけ、山上で願い事を祈る。実は「遊び(PLAY)の方だった。

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そして、テトラマウンド、ミュージックシェル、アクアプラザなどの構造物を巡ったあと、意を決してモエレ山に這い上がることにする。階段と草の道。草の上を上がり始めるが、傾斜がきつい。途中で写真を撮影するフリをして休憩を取りながら上に向かうが、上に行くにつれ、足を滑らした場合のリスクが高まっていることに気付く。最後の10mはスキーの横歩きみたいに横向きにステップを刻む。頂上は風が強いが、結構、大勢がいた。ここまで来ると、簡単には降りたくないのが人情だ。

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若い夫婦が小さな子供を抱いて階段から登ってきた。夫の方がこどもを抱いたまま草の道を下りようとして、妻から叱責されていた。「○○ちゃんは置いて行って!」。すべるなら一人でということだろう。戦場に向かうジャーナリストみたいだ。私は階段で降りることにする。232段ぐらい。地下鉄永田町駅の階段の2.3倍だ。

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そして、「サクラの森」と名付けられた遊具のエリアへ、赤の愛車を走らせる。微妙に続く登り坂・・・