イサム・ノグチ氏のことは、今月の初めに彼が生涯の最後の仕事として設計した北海道のモエレ沼公園に行ったことでとりあえず書くことを止めようと思っていたのだが、たちまちの間に元妻だった山口淑子氏が亡くなった。資料を調べ直す気にはならないが、二人とも戦争の時代の中で幼年時に祖国を見いだし切れなかったという共通項で引きあったのだろうか。
米国に生まれ、日本に育つも、いる場所を失い、戦争中は慰問に行った日本人収容所に幽閉されてしまったイサムは、戦後広島では米国人として作品展示拒否にあったり、米国では日系として差別される。淑子も満映出身ということで、戦後は戦犯の疑いをかけられたり、イサムと結婚したものの、マッカーシズムの影響で「アカ」の疑いをかけられ米国には入国できず。
結局、鎌倉の魯山人の居候風の生活になってしまう。
しかし、そういう非日常的で過酷な運命が、二人の個性をそれぞれ輝かせることになったのだろうと思ったりする。
米国に生まれ、日本に育つも、いる場所を失い、戦争中は慰問に行った日本人収容所に幽閉されてしまったイサムは、戦後広島では米国人として作品展示拒否にあったり、米国では日系として差別される。淑子も満映出身ということで、戦後は戦犯の疑いをかけられたり、イサムと結婚したものの、マッカーシズムの影響で「アカ」の疑いをかけられ米国には入国できず。
結局、鎌倉の魯山人の居候風の生活になってしまう。
しかし、そういう非日常的で過酷な運命が、二人の個性をそれぞれ輝かせることになったのだろうと思ったりする。