北海道開拓の村

2014-07-16 00:00:43 | たび
新札幌駅からバスで20分ほどのところに『北海道開拓の村』がある。ちょっと二重三重に勘違いしていて、北海道で生活する人たちの古くからの民家を予想していたのだが、バスからおりて最初に目にするのは、かなり立派で大きな駅舎。札幌駅(旧札幌停車場/明治41年)。

kaitaku1



そして、北海道庁(旧開拓使札幌本庁舎)にはサッポロビールと同じ星マークの旗が掲げられている。白地に赤い星マークではビール会社と同じなのだが、戦前は紫地に赤い星というのが多く使われていたのだが、白地に赤い星の由来は後で調べてもよくわからない。もしかしてビールがスポンサーなのかな。

kaitaku2



わらぶき、板の間の民家というのが、あまりなく、基本的に、北海道は開拓という名の移住が行われたわけで、明治年間に、どんどん欧米系の建物が建っていった。つまり、北海道版明治村だったのだ。伝統的民家は「北方民族資料館」に行くべきだ(行ったことあるし)。

そして、ボランティアの方が多く、建物ごとにあれこれ説明してくれるのだが、そこはボランティアの限界というか、話していると、私の方が詳しそうなこともあり、そっといなくなってしまったりする。


kaitaku3


にしん御殿(旧青山家漁家)は、半分が船頭や漁師の部屋で、上級船員以外は畳一枚しか占有面積がなく、調理場が意外に狭い。ボランティアの人は、「狭い調理場で苦心して調理していた」という意見だったが、「全部、味噌スープで煮込んでしまうので、調理場は要らないのです」と言ってあげたら納得してもらった。「荒天の時は出航しないので、部屋が広いと博打場になってしまうので、広間がない」というのは、納得してもらえなかったようだ。明治版「蟹工船」。


kaitaku5


小樽新聞社。石造り。札幌軟石というらしい。小樽で新聞と言えば、石川啄木が小樽日報の記者だったこと。ボランティア氏は知っていて、石川啄木ともう一人有名な詩人が勤めていたと言っていた。名前は失念したようだ。正解は、野口雨情。童謡作詞家。「啄木は数週間勤めてやめてしまい朝日新聞に移籍した」と言われていた。誰だって小樽の新聞社より朝日新聞の方がいいだろうが、ちょっと説明に違和感があり、帰宅後再調査すると、啄木が小樽日報に就職してすぐに労働争議があり、実際に働いたのが数週間だったようだ。そして、退社後、いくつかの場所でいくつかの仕事をしたあと、東京で朝日新聞に入社するも記者ではなく校正係。


kaitaku4


有島武郎亭。代表的な札幌の住宅なのだろう。白樺派を代表する作家。この家で処女作を書く。なかなか気品のある文体の作家である。建物内に年譜がある。妻の死後、女性記者と軽井沢の別荘で心中した。ボランティアはいなかった。

帰る前に休憩所に入ると、レストランがあり、屯田兵定食として、みそおでん、いももち、石狩汁などの組み合わせなのだが、カロリー過多は間違いないので遠慮。