海賊展

2009-04-12 00:00:49 | 美術館・博物館・工芸品
kaizoku横浜市歴史博物館で5月10日まで開かれている「海賊展」のこと。この場合の海賊とは、東京湾の海賊のことである。と言っても防衛大臣のオヤジのことではなく、戦国時代の海賊のこと。

ところで、海賊話といえばソマリア沖の海賊退治。自衛隊がやっと出動した。この件についていえば、単に海賊退治と割り切ってしまえばいいのだと思う。実際、日本関連船という妙な単語を編み出したり、武器使用のマニュアルとか作っているようだが、だいたい、相手は海賊で無法者もいいところである。例えば、行きすぎた攻撃をしたといって、どこかの国と戦闘状態に入ったり、どこかの国の顔に泥を塗って将来への遺恨を残したりすることは、まったく考えられないわけだ。単にソマリア政府が解体してしまい、正規沿岸警備隊が海賊化しただけである。背後関係なし。堅いこと言う必要はないだろう。

というように、とかく海賊は嫌われるだけである。展覧会をしても、海賊礼讃調にはならない。それよりも、海賊の歴史を調べること自体が難しいはず。都合の悪いことは歴史から消されることが多い。

たとえば、東アジア史上、忌み嫌われていた「倭寇」。元々は日本人だったのだが、そのうち「ニセ倭寇」が多発することになる。半島人であるが、そんなことは間違いなくあちらの歴史書には書かれていないだろう。だいたい歴史の始まりが日韓併合からだったりする国だ。

わが国では瀬戸内海賊。例えば、しまなみ海道にあたる伯方島。地元の人は、工業の町というが、島の最高地には「ふるさと創生1億円制度」で作られた、伯方城ならぬ海賊の砦が復元している。本当は海賊の島で、歴史を覆い隠そうとしていながら1億円の公共事業に目がくらみ、海賊砦を作ってしまった。

そして東京湾の海賊だが、小田原の北条早雲による関東統一に関係がある。東京湾西側の東京・神奈川は北条方勢力が支配し、東岸の千葉は里見氏の縄張りだった。両者は市川のあたり(つまり東京湾の最も奥)で何度も地上戦を戦っている。その二大勢力は海上でも激突している。

北条側は伊豆国や紀伊国から傭兵として山本氏や梶原氏がやってくる。一方、里見側は、正木氏や安西氏などこちらは内房地区の漁業関係者の出が中心である。

そして、両者は抗争をつづけ、沿岸の漁村の人々は、両者に上納金を納めることによりなんとか生き延びていた。

そして、結局は、劣勢だった里見氏が、秀吉による小田原攻めでは秀吉側についたことで、逆転勝利。とはいえ、江戸時代になって、お取りつぶし同様の仕打ちを受け、鳥取県の倉吉においやられてしまうのだった。