港区歴史講座(2007)(5-1)町歩き

2007-11-25 00:00:11 | 市民A
18c1ae54.jpg港区歴史講座(麻布・六本木の巻)の第五回は最終回ということで、町歩きである。11月23日、祝日の朝、集合は六本木アマンド前。

ところで、第4回目の講座では地方出身の講師の方が担当されていて、「みなさん『アマンド前集合』で、地図無しでわかっちゃうんですね」と感心していたが、それは論外としても、例えば「赤坂見附コージーコーナー前」というのもある。最近、驚いたのだが、あの世界一地価の高い銀座四丁目交差点にもカフェがオープンしていた。三愛ビル一階にあるドトール。もちろんコーヒーは180円ではないはずだ。

そして、実際にアマンドは「ALMOND」と書かれていて、アマンドとカタカナでは書かれていないから、地方出身者は悩むかもしれない。もちろん、ピンクの縦縞そのものである。ところが、詳しくいうとアマンドは六本木交差点にあるのではなく、交差点に斜めに入ってくる「芋洗坂」という小径の角にある。この小径の先には古くは政財界の癒着の構造があったりするのだが、坂の名前の由来は、江戸時代、このあたりに芋問屋があったことに因る。つまり、ここから先は芋畑が多かったのだろう。どんな種類の芋だったかはよくわからない。

そして、集合時間に遅れること15分のオバサンが到着。さらにトイレに行くといって姿を消すこと10分。芋畑を探しにいったのだろうか。さらに25分の遅刻で80才台と思しきオジイサマ登場。大丈夫だろうか。麻布は坂の町だ。そして3名は無断欠席と判定され、やっと出発。アマンドからロアビルの角を曲がるまでほんの僅かで六本木は終わり。ロアビル前集合でよかたのではないかと思うが、「ROIビル」が読めない人がいると困ると思われたのだろうか。

18c1ae54.jpgそして、第一の目標は「麻布総合支所」。ここは、江戸時代には将軍さまの御典医だった岡仁庵の屋敷だった。敷地面積は3000坪だったそうで、見事な”しだれ桜”が有名で、「麻布に過ぎたる物ふたつ、岡の桜と永坂の蕎麦」と言われていたそうだ。江戸の将軍家が、比較的短命だったのは、主治医が実力制ではなく世襲制だったからなのだろうか。現代も医者は世襲制のままのようだが。

そして、鳥居坂を下っていくと、右手にも左手にも東洋英和学園が続く。メゾヒスト系の学校である。(元々は鳥居坂教会であって、『赤い靴』の主人公である岩崎きみちゃんが薄幸な短い人生の最後の数年をこの教会で過ごし、今は青山墓地に眠っているのだが、それを話す場ではない。)そして、鳥居坂を降りきったところから麻布十番の町に入り、麻布温泉の前を通る。(このあたりには江戸時代、詰将棋の神様と言われる伊藤宗看、看寿兄弟をはじめとする将棋家元の伊藤家の屋敷があったのだが、この話をする場でもない)

18c1ae54.jpgそして、次の目標である暗闇坂に差しかかる。今度は上り坂だ。そして細く、まがりくねっている。江戸時代には樹木が生い茂り、いつも薄暗く辻斬りが多発していたそうだ。現代では曲がりくねった坂の途中にあるオーストリア大使館が敷地一杯に塀をつくったため、その塀に接触する車が多発しているそうだ。

そして、坂を上りきったところにあるのが一本松。現在のは三代目一本松だそうだが、かなり計算が合わない。ところで、松というのは植木に持つと大変金がかかるそうである。植木屋も別料金。素人には無理。一部の種類の犬のトリミングみたいなものなのだろう。そして、松の背景には、元麻布ヒルズという「コブラの頭型」の高層マンションがあって、新築にあたってはその景観について、地元住民や近隣の宗教法人といざこざがあり、建設家が夭折したのは「祟りのせい」であるという現代の怪談については説明なし。

18c1ae54.jpgついでに、側を通った賢崇寺だが、鍋島家の菩提寺である(あった?)そうだが、以前からあった土饅頭型の墓所は、今はなくなったそうである。一体、何が鍋島家に起きているのだろうか。まあ、祟りの塊のような藩だから・・さらに道沿いにあるのが、安藤教会。大谷石の外壁である。これも手入れが大変だ。しかし、緑っぽい石の持つ固有のトーンはレンガでは出せない味である。

そして狭い路地を行くと、「がま池」が登場する。がま伝説は都内に数多くあるものの、ここのがま伝説は、「ガマに襲われる夢」を見た家の主人(山崎家)がガマ退治をしようとしたところ、夢の中にガマが登場して、「ガマ退治をやめたら、お礼に家を守ってあげるから」という約束をして、実際に火事の時に、この山崎家は燃えなかったそうである。

18c1ae54.jpg現代のガマ池は、大部分が埋め立てられ、池の一部のみが残され、マンション奥の民間駐車場に住居等不法侵入すると、池の水面を覗くことができる。ガマ池に建てられた高級マンションの地盤面は、明らかに周囲の住宅より低地にあるため、都内に洪水があった場合、必ず、元の池の姿に戻ると思われるわけだ。守りガマだって、火事にならない約束はしていても、水に沈まない約束はしていない。もちろん蛙たちにとっては、池が大きくなるのは大歓迎のことである。

(つづく)

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