港区歴史講座(2007)に出席(4)

2007-11-20 00:00:37 | 市民A
麻布・六本木の歴史シリーズ第4回目の講義を受ける。新橋駅近くにある生涯学習センターのいつもの席。元小学校(あるいは中学校)の校舎を利用した文化施設で、いつも同じ席に座るので、本当に学生になった感じだ(学生の時はよくサボっていたけど)。今回は明治以降。講師の方は、またも多くの大学掛け持ちのフリーター講師の男性の方。どうも地方から東京の大学にきて、江戸の露天商の研究を主たる範囲にされているようで、六本木には20代後半にクレジットカードを入手してから初めて探訪されたようだ。やや心配・・

どうも六本木は戦後の若者文化の発祥の地といわれるけれど、「お金持ちの若者しか入場資格がなく」「地方出身で早稲田大学へ入学した場合は高田馬場あたりしか行かない」と断定されていたが、いくらなんでも型にはめすぎではないだろうか。あるいは自分のことなのだろうか。早大文学部史学科卒とか(もし、あれば)。

まず、江戸が終わって明治初期。六本木は陸軍の町だった。軍人町。現在の国立新美術館は、元々は伊達家の藩邸。その後、陸軍の第一師団第3歩兵連隊兵舎となる。つい最近までは東大の研究所(つまり、ほぼ空き地)になっていた。また、旧毛利家(萩の本家の方)藩邸は陸軍東京鎮台を経て第1歩兵連隊の兵舎。戦後、防衛庁になり、最近、ミッドタウンとなる。なぜ官軍側の藩邸が政府の物になったかというと、もう参勤交代もないし、家来もいないし、ただの一介の貴族であるだけで、国許には別の県令・知事がいるからだ。広大な土地は管理費が高すぎる。

そして講義では、いきなり戦後になる。大急ぎで補足すると、明治からすぐに戦後になるのではなく、戦争があって、空襲があって、米軍が接収して、アメリカ人の町になった後、ごちゃごちゃの世界の町になる。

390927e9.jpgそして、戦後の六本木のことなど、講義するまでもないのだが、特に今回は「ニコラス」の話。R.W.ホワイティング氏の著書『東京アンダーワールド』に書かれている世界である。ピザの店だが、イタリアンピザではなく、アメリカンピザ(何度も行ったことがあるが、ピザ以外の方が美味い。何しろ、経営者が元のアメリカ人から替わって、日本交通グループだそうだ。川鍋家だ。)。

出入りする有名人は、明仁皇太子(現在の天皇)とフィアンセ、力道山、石原慎太郎(現芥川賞選考委員)、町井久之(有名な暴力団のボス)、児玉誉士夫(フィクサー)。要するに、スパイ天国日本で、米韓日のアンダーグラウンドプレーヤーが正々堂々とピザをつまみながら談合していたわけだ。ロッキード事件の時、お金を示す符号に「ワン・ピース」というように使われていたのは、案外、ピザからの連想だったのかもしれない。椎名誠(元小説家)は残念ながら皿洗いのバイトをしていた。

実際には「ニコラス」は六本木の一番端の飯倉の方にあって、もっと六本木に近い方にイタリア料理「キャンティ」があって、こちらは川端康成、三島由紀夫などの文化人が集まっていた。さらに俳優座には石坂浩司など。誰も紹介してくれないが、霞町に近い方にあった「アントニオ」には星新一や中尾ミエがいた(のを見たことがある)。

そして、そのあとバブルになって、ディスコ・クラブ系になり、さらに不良外人が集まって合法・非合法入り混じった移動薬局などが開業し、ついに防衛庁が逃げ出した。


390927e9.jpgそして、現代の錬金術師が登場する。森稔氏。森ビル社長である。1986年に赤坂と六本木にまたがる土地にアークヒルズを建設。サントリーホール、全日空ホテル、マンション、オフィスなど。そして、その後、六本木ヒルズを建設。ヒルズ族を集める。ヒルズシリーズは安藤忠雄設計の表参道ヒルズを経て、現在は上海ヒルズに発展中である。


週刊文春2006年4月20日号に、森社長と阿川佐和子さんの対談が載っている。都市再開発のモデルとして、「コンパクトシティ」という発想を考えた、というように書かれている。そして、2010年には、マッカーサー道路の上に天井(あるいは床ともいえる)をつけて、虎ノ門と愛宕山の上とつないでしまい、再開発しようという計画らしいのである。そして現在、愛宕山の上にあるのは由緒のある二つの建物。愛宕神社とNHK放送博物館なのである。さらに先には新宿も狙っているようだ。

ところで、森社長の提唱する「コンパクトシティとしてのヒルズ」は、一方でアジア的都市作りとして、六本木ヒルズ内にあるアカデミーヒルズで、地方の再開発担当者の教育として広められている。そのうち、ミニヒルズのような地方都市再生計画がタケノコ状態になるのだろうか。また上海を皮切りに中国各地、さらにインドのムンバイあたりにも建てようとするのだろう。欧米では無理だろう。

しかし、一方で、アークヒルズの中のショップは、既に客足が遠のき、空き室が目立っている。六本木ヒルズだって、よくみればチェーン店ばかりで、わざわざ来るかなってものばかり。さらに、一店あたりの床面積が大きいので、小さな事業者は出店無理。


390927e9.jpg講師の先生も、「既に矛盾が現れているが、ヒルズ路線を突っ走っている」とやや批判的に聞こえた。

私は、もう少し複雑に考えていて、「儲かるビル作り」がモットーだった森ビルのことだから、本当の収益源はヒルズ内の賃貸オフィスや賃貸マンションの家賃収入にあるのだろう、と思っている。ショップはおまけだろう。つまり「ヒルズ・プレミアム」を演出するための小道具。したがって、ヒルズ神話が剥離してしまうと、大変苦しい負のスパイラルが始まる可能性すらあるのだろうと思っている。

ダイエー式である。だから、地方都市の駅前に第三セクターで「ヒルズもどき」を作ったりしたらいけないのである。

そして、最後に一言だけ書けば、「六本木ヒルズ」の場所は、ホンモノの六本木からは、僅かに外れているのである。



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