古本五種五冊

2007-02-13 00:00:23 | 書評

465776d4.jpg最近、続けて五冊の古本を入手した。すべて、ソースが違う。もちろんAmazonでは用が済まないから苦労した結果でもある。「Jcross」や「日本の古本屋」を使っている。それぞれの本にはそれぞれの理由があるので、多くは今後のブログネタに消化されそうなので、本日は詳しく内容は触れないが、簡単にこれらの本の曰く因縁を書いてみる。

1.朝鮮史(梶村秀樹・講談社現代文庫)
  ブックオフで数百円だったと思う。 実は、だいぶ前から「朝鮮史」を読もうと思っていたのだが、探してみると、これがない。大きな書店には朝鮮史の類が並んでいるが、そのほとんどが、20世紀から歴史が始まる。奇妙なことに、過去のことがまったく書かれていないのだが、ちゃんと歴史ストーリーになっている。つまり、占領され、民族が独立したことから朝鮮が始まったように書かれている。

 もちろん、そうではなく、バルカン半島のように、大国(ほとんど中国)に占領されたり、内戦を続けたり、国内がいくつもの小地域に分裂したりしたはずだ。確か、非常に難しい歴史だったということは知っているのだが、読み直ししたかった。

 1冊だけで、歴史を語ってはいけないのは、歴史の常識なので、さらに追及予定。長く気をつけていて、店頭で発見したもの。

2.中国人と名古屋人(岩中祥史・はまの出版)

 東急の駅構内で購入。新古本。500円位だったか・・定価は1500円。1995年の初版なので、10年以上前。題名がおかしすぎる。普通は、「中国人」と対比するなら「日本人」とか「ユダヤ人」とか、かなり大きな民族対比となるべきなのに、一都市である名古屋と較べるとは。

 著者はまず、明治の人権主義者である内村鑑三を引き合いに出す。キリスト教博愛主義に満ち溢れた大先生だが、なぜか、妙なことを言っている。「人間はすべて罪人だが、愚かな者でもキリスト教を信じることで、救済される。しかし、中国人と名古屋人だけは救いようがない」というようなことを言っているわけだ。酷過ぎる。というか、それは真実のような。

 何が書いてあるかというと、その救われない二つの人種に共通するのが「道徳心の欠如」と「あざとさ」ということで、それを一冊245ページを使って延々と記載するのである。

 時は、この本が出版されてから10年経つのだが、果たして何か変っているのだろうか。

3.花筐(坂田武雄の足跡・大木英吉・坂田種苗株式会社)
 ここから先の3冊の本は非売品である。だから定価はない。それぞれ1000円程度で購入。

 この本は、到着後、後で郵便振替。 まず、坂田武雄氏の伝記だが、現在の「サカタのたね」の創業者である。今や、この社は世界のベストテンに入ろうかと言う日本最大の種屋さんである。現代農業では種は買うものになっている。種の雑種交配を防ぐことが一つ(品質の管理)。そして、ハイブリッドシードは、もともと種をなさない。一代限りである。

 坂田氏は1888年生まれ、日本とアメリカの間を行ったりきたりして、ドラマチックな大貧民ゲームを演じていたのだが、なかなかその素顔を追うことができなかったのだが、とりあえず、会社でまとめた公式伝記を発見。この本は昭和56年の刊だが、この時は93歳で存命となっている。

 もちろん、会社の公式伝記だけでは、資料不足ということなので、今後、どうなることやらだ。

465776d4.jpg4.老耄語録(頴田島一二郎・灯叢書)
 この本には驚く。封筒に入ってきた。まさか注文した本とは思わなかった。先払いで代金を振込むと送られてきたのだが、「開けてビックリの豆本」だった。全部で500部限定の44番と奥付けに書かれている。

 まず、題名の「耄」という字は「もう」と読み、もうろくのことである。つまり年寄り。1983年の刊なのだが、作者82歳ということになる。この作者が書いた「カール・ユーハイム物語」を調べ直したのが、「おおた版カールユーハイム物語」なのだが、その際、この著者のことをもっと知りたかったのである。

 ところが、よくわからない。色々と調べると、まず読み方が「えたじま、いちじろう」である。1901年に東京神田で生まれ、京城中学卒。和歌の道に進み、1931年文芸時報社に入り、投稿歌集ボトナムの編集にあたる。その後、不明の時期があり、戦争協力をしていたらしい(想像)。1945年に京城で終戦をむかえ、戦犯にならないように逃避行を続ける。以後46年間尼崎に居住。歌集ボトナム編集長にもなっている。1993年に横浜市戸塚区で没。92歳。戦前は6冊の小説を書き、歌集は戦前戦後に計7冊。戦前の小説のうち何冊かは、駐留軍により没収されている。「カール・ユーハイム物語」は72歳の時の作である。

というように、人生のあちこちがわかっているのだが、全体がつかめない。そして、この奇妙な姓と奇妙な名前。尼崎、神戸、神田、横浜戸塚の電話帳を見たのだが、この姓の方は見当たらない。一二郎という名前からは12人の男兄弟がいるようにも読めるが、女も産むだろうし多すぎるかもしれない。などと、とりとめもないのだが、このエッセイを読むと、少しは見えてくるのではないだろうか。

5.将棋紳士録(昭和49年版・斉藤銀次郎編)
 これも、問題の本である。予約してから池袋の古書店に取りに行く。なにしろ、郵送は箱代と郵送料と振込み手数料で600円も要求されたので、古書店のある夜の池袋に行く。まだ銃撃戦は池袋までは拡大していないようだ。

 そして、何が問題かというと、この本をまとめた「斉藤銀次郎」という棋士は、この本が出版されてしばらくで、日本将棋連盟を除名されている。いまだに除名された棋士は二人だけである。一人目は阪田三吉であるが、彼は後年、名誉回復されている。つまり、今のところ除名されたままなのは、この斉藤銀次郎だけなのである。そして、この斉藤氏のひ孫弟子が渡辺竜王であり、斉藤氏の師匠(石井氏)の孫弟子が米長会長になる。

 一説では、単に、斉藤氏が同僚に執拗に借金を要求し、いつまでも返さなかったという正統的な話もあり、また一方では。この「将棋紳士録」が除名の原因という説もある。確認してみたかったのだが、この本は要するに、全国の有段者の個人情報(住所)がナマでそのまま収録されている。現代ではありえない書である。

 そして、その紳士録に名前が載っている紳士たちのトップは、というと「六段、田中角栄」である。その他、政治家・実業家・芸術家・県知事・一般の人などゾロゾロなのだが、そういった有名人の段というのは、当時は、どういう構造だったのだろうか。ページを繰ったところ、全体に妙な感じが漂うのである。何があったのか?

 これが、どんな料理になるのか、まだ不明である。