「ローマ世界の終焉」で終焉

2007-02-08 00:00:15 | 書評
f19a6c1b.jpg昨年末(2006年12月15日)、塩野七生著、「ローマ人の物語・第15巻”ローマ世界の終焉”」が刊行された。1992年7月7日の第一巻に始まり、毎年1冊ずつの刊行で、当初の予定通り、15年、15冊で完結した。新潮社の書評誌「波」1月号に、各巻の発売数が公開されている。

 第1巻 299,000冊 ローマは一日にしてならず
 第2巻 232,000冊 ハンニバル戦記
 第3巻 194,000冊 勝者の混迷
 第4巻 203,000冊 ユリウスカエサル ルビコン以前
 第5巻 185,000冊 ユリウスカエサル ルビコン以後
 第6巻 161,500冊 パクスロマーナ
 第7巻 149,500冊 悪名高き皇帝たち
 第8巻 133,500冊 危機と克服
 第9巻 123,000冊 賢帝の世紀
 第10巻 124,000冊 すべての道はローマへ通ず
 第11巻 110,000冊 終わりの始まり
 第12巻  98,000冊 迷走する帝国
 第13巻  90,000冊 最後の努力
 第14巻  87,000冊 キリストの勝利
 第15巻       ローマ世界の終焉

f19a6c1b.jpg第14巻までで、約220万部。まあ、右肩下がりなのはシリーズ物の常と、客観的には言えるが、後述するように著者はまったく違うことを考えていたようだ。このハードカバーの他に第10巻までが28冊の文庫本になっていて、こちらは530万部売れている。文庫版の表紙にはそれぞれのローマの時代に使われていたコインの写真が使われ、結局、両方買う人も多いようだ。コレクションとしてのハードカバーと通勤電車で読むための文庫本。

そして、海外では、韓国でも1995年からハードカバーで14巻まで200万部発行しているそうだから、人口比から言えば日本より上ともいえる。さらに台湾では1998年から刊行開始。今後、中国や西洋圏でも発行が始まるのだろうが、一体、どういうことになるのだろうか。


さて、塩野七生だが、第一巻が出版された1992年7月7日は、彼女の55歳の誕生日である。七生と書いて「ななみ」と読ませるのは、彼女が7月7日生まれだからだそうだ。「七生報国」とは無関係。その55歳の誕生日に彼女は15冊を15年で書くと宣言する。そして以後、ローマに住み、1日も休むことなく「ローマ人の物語」を書き綴る。彼女の文章は、きわめて強いコトバで組み立てられる。声を出して読みたい日本語である。第一巻の中で、ローマの繁栄に関しての読者に対するメッセージは、こう書かれる。


 人々の営々たる努力のつみ重ねでもある歴史に対して、手軽に答えを出したのでは失礼になる。また、私自身からして、まだはっきりとはわかっていないのである。史実が述べられるにつれて、私も考えるが、あなたも考えてほしい。
「なぜ、ローマ人だけが」と。

 それでは今から、私は書きはじめ、あなたは読みはじめる。お互いに、古代のローマ人はどういう人たちであったのか、という想いを共有しながら。

 1992年、ローマにて  塩野七生

1300年もの歴史を通史として一人で書く、というのは世界に例がないそうだ。もちろん彼女は自らは歴史家とは認めない。あくまでも歴史をストーリーとして描きたいと考えていたそうだ。史実を解釈していくということで、通史を書くには史観が必要ということなのだろう。

そして、何より55歳から15年と言うと健康が心配になるのだが、彼女は健康チェックを受けないことにしたそうだ。受ければ、どこかに悪い箇所が発見され、治療のため日本に帰ってくる。そうすると執筆が続けられなくなるからだ。ということで、その間はローマの30万と日本の800万の神様に「書いている間は生かしておいてくれ」と祈っていたそうだ。そして、その間の最大の恐怖は体力の衰えではなく、疲労からくる筆力の衰えだったそうだ。冒頭で紹介した、微減していく発行部数が、かなり気になっていたのかもしれないが、ともかく終わった。

この終わり方に対して、「あっさりし過ぎる」とか「東ローマ帝国はまだ続くのだが・・」とか異論を唱える人も多いようなのだが、そう思う方は自分で続きを書けばいいだろう。塩野七生は「衰退史」を書くのが、間違いなく嫌いなのだ。

そして、彼女は今、何も予定がないそうだ。たぶん、そのうちに、彼女の大好きなカエサル(シーザー)について、さらに八つ裂きに解体してくれるのではないかと、期待している。あるいは、エッセイを1ダースくらい書いてみるのかもしれない。イタリア料理店を開業することだけは、やめた方がいい。本物に凝りすぎると、倒産するかもしれないからだ。

なお、新潮社ではブログを開設中。