秀吉,伊藤博文,芭蕉,一茶

2007-02-12 00:00:51 | マーケティング
42280616.jpg何時間か前に、フグを食べた。刺身、しゃぶしゃぶ、鍋&ヒレ酒。ある筋のご配慮により、自宅に黒猫さんがきた。そして、その中に御禁制の部位が・・。「KIMO」である。

一説には、大分県の杵築市では、禁止されていないという俗説があるが、そんなことはないそうだ。そして、話が話だけに、入手先については、あいまいに書かざるを得ない。また、冗談を混ぜて、本気にされてもこまるので、危険な話は書けない。

事実、現代でも毎年数十人がフグ毒の中毒になり、うち数名が亡くなり続けている。多くは、釣り人が自分でさばいた場合だが、調理師の失敗の例もある。調理師の失敗ということは、御禁制品の「KIMO」の調理に失敗するということだ。

中毒は、食してから30分から2時間の間に発症し、呼吸不全をひき起こし、8時間頑張ると生き返る。死ぬ時まで意識がはっきりしているという嫌な症状だそうで、「手遅れです」という医師の宣告を聞いても生還例はかなりあるようだから、早まって枕元で遺産分割の話などしてはダメだ。

発症してからだと、すぐにコトバが話せなくなるので、119番では、単に「フグにあたった!」と言って、住所をしゃべること。そして、すぐに救急隊が突入できるように、あらかじめ玄関の鍵を開けておくことが注意点だ。


そして、すでに、食べてから2時間以上経過しているので、玄関の鍵を掛けたところだ。「KIMO」は刻まれて皮と一緒に湯びきにされていて、一瞬、舌先が痺れたような感じがあったり、食後、体が痒くなったのだが、まだ生きている。味は秘密だ。また、毎日、ブログを書かねば・・


ここから、軽くフグの話なのだが、フグはトラフグをもって最高とするのは異論がないと思うが、これがまた毒が強い。日本人が現在のようにフグ調理師免許というような形で、(一部のバカを除き、)危険を押さえ込むまでに、何人が犠牲になっただろう。たぶん1万人以上は犠牲になっただろうと思う。

そして、この危険と美味が背中合わせの魚については、実は豊臣秀吉が食を禁止した、と言われる。例の朝鮮の役のための、日本側の出兵基地である九州名護屋は玄海フグの本場である。出兵前の兵士が、フグにあたって次々に斃れたそうなのだ。そして、長い期間の後、伊藤博文が下関条約締結の際、フグを食った時に、あまりの美味ゆえに解禁した、と言われる。

しかし、この話、かなりの与太と思えるのは、伊藤博文の話は、確かに日清戦争講和の下関条約締結の時の話のように思えるのだが、そんな重要な時に、肝試しするとはとても思えない。さらに、伊藤博文はもともと長州藩なのだからおかしすぎる。そして何より、人口密集地の江戸では、この危険なフグを食することについての句が多数読まれている。もちろん当たる率が1割以上もあれば、危険すぎるのでもっと率は低かったのだろうが、もちろん、当たったら呼吸困難になるのだから、薬を飲ませて治るものではない。もちろん穴を掘って土に埋めて治るものでもないだろう。


さて、フグについて詠まれた句は多数あるが、大部分は、分類すれば「川柳」ということだろう。しかし、大御所である芭蕉は、こう読む。

「ふぐ汁や 鯛もあるのに 無分別」芭蕉 

思うに、芭蕉は晩年にはフグは食わなかったのだろう。彼にとって重要なのは「旅に出て、一句したためること」だったのだから、旨いものを食って死ぬことと天秤に掛ければフグを選ぶ可能性はなかったのだろう。しかも、だいたい山道を歩くのが好きだったので海の幸にめぐり合うことはめったにない。たまたま、明石あたりで瀬戸内物のフグを薦められ、「いやいや、拙者は鯛のあら煮の方が好物なので・・」とか逃げまくったのだろうか。

「あら何ともなや きのふは過ぎて 河豚(ふくと)汁」芭蕉

この句は、芭蕉が若いときに詠んだらしい。いかにも批判的だ。味のことは書かれていない。まだ、旅に命は賭けていなかった時期なのだろう。

「河豚食わぬ 奴には見せな 不二(富士)の山」一茶
「五十にて 河豚の味を 知る夜かな」一茶

この二句は小林一茶で、フグ肯定派だ。本当に50歳を過ぎて初めてフグを食ったとは思えないが、彼は、年老いて信濃の山間にこもる。フグは食えなかっただろうが、若い女性と不健全生活を続けることになったのだから、彼もまた、晩年はフグよりも重要なものを見つけたのかもしれない(愛?)。

その他にも、大家では
「河豚汁の われ生きている 寝ざめかな」蕪村
「河豚くうて 尚生きてゐる 汝かな」高浜虚子
「俳諧の ために河豚食う 男かな」虚子(言い訳がましい)

無名人も負けじと、
 ふぐ食えば 仏も我も なかりけり
 河豚食うて 北を枕に 寝たりけり
 片棒を かつぐ夕べの ふぐ仲間(当時の棺桶は本物の桶型)
 もう他に 死に人無しかと ふぐ仲間
 それほどに 命惜しいか ふぐもどき(あんこう鍋のこと)

どうも、俳句と川柳の区別がつかなくなるのが、フグの句のようだ。


そして、江戸時代の生活について色々と読み解いていると、このフグは、江戸では、案の定「肝試し」に使われていた。

若い衆は冬になると、皆でフグ鍋を囲むという風習があったわけだ。もちろんフグは個体によって毒性が違うのだから、当たったり当たらなかったりロシアンルーレットになる。嫌な制度だ。会合に出なければ村八分だ(江戸は村ではないが)。多産・短命時代だったから人の命は安かった。

ところが、この危険な会合に出席しなくてもいいという資格があった。それは、「妻帯」ということだそうだ。結婚したらフグリスクから開放されたそうだ。

現代でも、少子化対策の決め手にならないだろうか?