東海道中の味は・・

2006-08-22 00:00:59 | 市民A
9db4a250.JPG以前、弊ブログ2006年6月19日号「和菓子で楽しむ道中日記」展(とらや)で軽く触れた、江戸時代の和菓子の話である。

「東海道中膝栗毛」や「田中国三郎の道中日記」などの道中記で数多く登場するのが川崎や鶴見の米饅頭(よねまんじゅう)。そして明治になって自然消滅していたこの菓子が何年か前に復活した、という情報を得た。さっそく出陣してみる。そして、店主と思われる方と二言三言、話してみたがあまりピンとこなかったので、あれこれ調べるとなかなか面白い話があった。

まず、その店舗だが、「御菓子司 清月」という。JRおよび京急鶴見駅から海側の国道15号線(第一京浜)に向かう道の途中左側にある。駅から2分位だ。この第一京浜が旧東海道と思われているが、微妙に旧道とは異なっていて、この「清月」のある場所あたりが旧道だったらしい。店頭には「よねまんじゅう」ののぼりも出ている。そして、店内のショーケースの中に無造作に三色の饅頭は積まれている。縦4センチ、横幅2.5センチの小判型である。色は赤、緑、白の三種。イタリアの国旗である(並び方を変えれば、ブルガリアでもありハンガリーでもある)。梅(しそ)、抹茶(こし餡)、しろ餡(いんげん)の味である。季節が夏のため、冷蔵庫や冷凍庫で冷やしてから食べるとさらに美味とのことである。実際には冷蔵庫で冷やしてみたのだが、薄皮の羽二重餅と中の白餡の冷え方が異なり、むしろ全体を凍結させてしまった方がいいかもしれない。「雪見大福」のようになるだろう。まず、見たままの味である。

ところで、なぜ鶴見に米饅頭なのかということなのだが、それは東海道と関係がある。さらにこの饅頭というものが江戸の菓子として確立していった歴史があるわけだ。ところが、こういった食べ物や菓子というのは歴史の表には出てこないものなので諸説あいまいなものが多いわけだ。

少しひねって普通の歴史とは逆に、近いほうから書いてみる。

明治初頭。米饅頭が滅亡してしまう。原因は鉄道敷設である。東京(江戸)から西に向かって横浜方面には、徒歩か馬、駕篭で移動していたわけで、それらの人々がちょうど、この辺で一休みしていたわけだ。茶を飲み、饅頭でエネルギーを補給する。このパターンが崩れる。新橋で乗車した汽車は僅か1時間で横浜に着くのだから、途中駅で下車するはずもない。

少し遡り江戸末期。東海道、鶴見川の渡しの両岸にあるのが市場村と鶴見村でここに約40軒の茶店があった。有名なのが鶴屋とかめやで、奈良茶漬け(お茶で炊いた茶飯を使う)と米饅頭を食して、目的地へ向かうということだったそうだ。東海道は江戸から言えば、品川・川崎・神奈川・戸塚というように進むのだが、ここ鶴見は川崎と神奈川の中間で、昼の腹ごしらえという場だったのだろう(江戸時代は昼食の習慣は一般的でなかった)。

9db4a250.JPGさらに1800年頃に遡ると、山東京伝(1761-1816)がいる。彼は読本として「米饅頭始」をあらわしていて、その中で浅草の鶴屋という店に「よね」という名の看板娘がいて、その女性が米饅頭の名前の起源としている。それは、本当なのかあるいはフィクションなのかなのだが、やはりパブリシティの影響は大きく、この京伝の読本以降はこれが通説になっていたようだ。

ところが、史実はあいまいで、実際に浅草の茶店で饅頭を出し始めたのは1680年から1700年の頃らしい。昼は饅頭、夜は酒の肴ということだったのだろうか。

そして、歴史をここまで遡ると、米饅頭の語源について、諸説あることがわかってきた。まず、「よね=女性のある部分」という説である。あるいは、饅頭の楕円形の形が似ているという説もある。つまり吉原とか深川というようなそれを目的とした場所へ行く前の腹ごしらえということだそうである。景気づけに途中の茶店で一服して、「きょうは、ウメマンとチャマンをダブルで」とか・・

また、形が米粒に似ているから、という説もあるが、弱い。

一方、まったく正統食文化史で論ずる説もある。本来、中国では小麦粉でつくっていた饅頭を、日本で餅米仕立てに変えた時に、麦粉饅頭に対するコトバとして米饅頭というようになった、という説である。中国旅行をすれば感じるように華北の北京などでが米文化ではなく麦文化である。麺や饅頭が主食である。饅頭は日本のアンマンや肉マンの具がないパンの部分だけである。マントウという発音が近いそうだ。確かに、中国菓子の中には日本の饅頭に似ているものもあるが名前は異なる(月餅とか)。もっとも合理的な説明ではないかと思う。

案外、この米饅頭というコトバは日中文化の接点で妥協的に生まれたリンクワードなのかもしれない。中国型饅頭(マントー・小麦粉)→米饅頭(もち米)→饅頭(日本の菓子一般用語)。

それに、冷やした米饅頭をどのように味わったとしても、ウメマンの気分になることはないだろうとも思えるからだ。葱饅頭とかニンニク饅頭なら話は別なのだが・・