停電連発都市

2006-08-14 20:27:17 | 市民A
横浜北部は土曜日の停電に続き、月曜朝も停電。またも電気製品の時刻セットをやり直さなければいけない。うんざりだ。

奇しくも3年前の8月14日には、29時間にわたる北米大停電が起きている。翌年の、出生率が上がったという副産物もあったということだが、夏の早朝の停電では、何もいいことはない。今回は数十分で回復したが、どうなっているのだろう。事態は色々な観点で考えることができる。

まず、なぜ江戸川の送電線が切れると横浜が停電するかなのだが、これも3年前、東電の「原発事故隠し」で、原発点検停止のため、夏のピーク時の停電が予想された時の情報だが、需要電力に対して供給電力量が不足した場合、「おそらく、発電所から遠い場所から順に停電するのではないか」と、言われていた。幸いなことに(あるいは残念なことに)冷夏になり、停電パターンはわからなかった。やはり、横浜北部は問題があったわけだ。

さて、北米大停電は6000万KWが停電したといわれるが、実は、世界有数の大都市群を抱える東京電力も発電能力は大きい。やはり6000万KWを少し超えている。水力13%、火力60%、原子力27%くらい。火力はLNG、石炭、原油重油。8月の中旬であれば、かなり上限に近い稼動だったと思われる。

そして、大きな問題は、東京都内にはほとんど発電所がない、ということ。旧型の発電所が大井と品川にあるだけだ。では、発電所はどこにあるかといえば、原発は福島と柏崎(新潟)。エリア外である。水力は主に群馬県。火力発電の大勢は千葉サイドの五井から袖ヶ浦間に広がる火力発電所群で主にLNGから発電している。環境負荷の高い石炭火力は福島県広野。そしてあちこちに旧来型の重油型火力発電所がある。CO2問題に限らず最近の原油高騰では、電力不足気味のピーク時のみの稼動となっているだろう。つまり、重要地と供給地は離れ離れになっているわけで、もっとも重要な設備は「発電所」ではなく、「送電線」であるわけだ。

そして、3本のうち2本同時に切れると停電するというシステム設計だったらしいが、そもそも同じ鉄塔に頼れば、複数の電線が共倒れになる可能性が高いのは当然の話で、システム設計上の問題があると考えられるわけだ。そして都内に入ってくる電力量全体が減少したため、あちこちの変電所が連鎖的にダウンしたということだろう。

dfc143c8.jpgそして、次に問題は、江戸川の浚渫船である。どうもおかしい。画像から見ると、砂利船と台船と台船に乗ったクレーンが見える。上から見る限り、砂利船は単に箱であり、台船は単にいかだである。動力はない。タグボートで押して(あるいは曳いて)いたのだろう。となると、また責任がどこにあるのか見えなくなる。タグボート会社ということなのだろうか。

しかし、実際には台車の上でクレーンを75度に立てていたというのも、とんでもない話だ。橋などは目立つから注意するだろうが、電線は失念していた、ということだろう。クレーンをどこで立てたのかが大問題だ。もしかすると、何日も前から立てたままで走っていたのではないだろうか。主に港湾内で仕事をしている船だろうから、いつもは、電線や橋に引っかかることはないはずだ。

そして、画像を見る限りだが、この2隻は完全にぴったりとくっついているように見える。実質的には1隻なのではないだろうか。色々と法的問題があるように想像できる。そして、結構、船体が汚い。


一方で、官公庁の浚渫事業というのは、入札者がかなり限定的になっていて、いわゆる「マリコン」と言われる何社か(特に飯田橋方面の会社)がニラミを効かしている。すべてが港湾事業費の中の支出になるわけで、いくら港湾設備の国際標準化と言っても、工事費はこういう付加価値の低い事業で食いつぶしてしまい、陸上インフラには回らない傾向が強い。この分野こそ構造改革が必要と思われるのだが、現総理大臣がやり残した多数の仕事の一つだ。たいして難しい話ではないのだから、この際、最後の仕事として浚渫事業に鉄槌を打ち下ろして見てはどうだろう。

(それよりも「8月14日中に辞表を提出して、翌日の参拝にそなえた方がいい」と、いう意見もあるが、「元首相になってからの参拝などではコマーシャルにならない」と、神社にとっての「招かれざる客」になっていなければ、の話ではある。)

日本音コン1位+JTシチズンイベント

2006-08-14 00:00:01 | 音楽(クラシック音楽他)
JTビルは虎ノ門ではかなり目立つビルだ。たばこと灰皿をイメージした高層ビルの向いにある霞ヶ関ビルはマッチ箱のように見える。タバコバッシングから目をそらせるためかどうか、文化イベントを多数実施している。JTビル二階には小ホールを持ち、通常の室内楽のコンサートの他に、月に2~3回は音大生の発表会を兼ね、昼休みの30分間の無料コンサートを開いている。

8月10日は東京音楽大学大学院の海瀬京子さんのピアノ・ソロということなのだが、この海瀬さんだが、大学生という言い方が正しいとも思えない。まず、大学院である。さらに昨年、日本音楽コンクール第一位。そしてすでに各地でコンサートを開いている。ということは、聴きに行くべしだ。さらに、当日は、JTが虎ノ門近辺の企業とタイアップして古本市を行う。掘り出し物が探せるかもしれない。

f54a2c85.jpgまず、海瀬さんは黄緑のドレスで登場、笑顔は元皇室の女性のような感じがする。配られたプログラムには伊豆の国市韮山出身と書かれている。タリウム少女である岩本君(ブログネーム・グルムグンシュー)と同郷。まずはバッハから1曲。このバッハで1曲、というパターンは多い。演奏者は指の練習。観客は耳の練習だ。

そして、ラフマニノフに入る。「楽興の時」第1・2・4・5・6・7曲(なぜか3が抜けている)。そしてラフマニノフは難しい。だいたい、少しうつ病気味のところがあり、その悩ましく怪しく狂わんばかりの危なっかしさが売りなのだから、ピアニストも困る。さらに、革命直前・直後のロシア人の悩みというのも想像困難。だいたいが、ドラマティックに重厚かつもったいを付け、ロシアの後進性を嘆きながら弾くのが多かったと記憶している。

ところが、海瀬京子さんのラフマニノフはまったく正反対。「きらびやか」。しかし、豪華絢爛というのではなく、一つ一つピアノからこぼれていく音の粒子が宝石のように光を発生させていく。湧き上がる宝石の井戸から指の間をすり抜けるように美しい旋律があふれていく。ほんとうに驚いてしまう。そして、「これこそ、現代なのかもしれない」と思えてきた。「ピアノは無限の宝石箱」。デフレ時代の終焉。経済の世界では、日本は、世界の重要な機関車であるのだが、音楽の世界でも日本、韓国、中国といった東アジアからの光が21世紀を引っ張っていくという予感を感じさせる新しいタイプのピアニストのように感じた。一つだけ問題は、体力・気力のスタミナではないかということ。緊張感が少しムラが出るところがあったような気もするが、観客としての私の方の気持ちにムラがあったのかもしれない。

アンコールはドビュッシーの「月の光」だが、2週間前に聞いた小川典子さんもアンコールはドビュッシーだった。ドビュッシー評価の年なのか・・


f54a2c85.jpgところで、併設会場での古本市。収益金はフィリピンの子供へ寄付されるそうだが、何となくだが収益金はマイナスになるのではないかと心配してしまう。その時は、タバコ収益から穴埋めするのだろう、と勝手に想像する。音楽にちなんで、マーラー直筆の楽譜10曲セット2000万円也、とか展示されるのかと思ったが、単に近隣企業の社員が持ちこんだ古本即売会だった。

思い切って風変わりな本を5冊購入する。

 日本タブー事件史(別冊宝島編集部)
 シュレディンガーの猫は元気か(橋元淳一郎)
 カラスはどれほど賢いか(唐沢孝一)
 私たちはどのような時代に生きているのか(辺見庸×高橋哲哉)
 蚤の市の迷路(竹永茂生)

そして、レジでおカネを払っているうちに、この古本セクションは、私が以前勤めていた会社が担当していることに気付いた。社員の中には、こういう奇妙な本を読む人間がいるということだ。もしかすると、まだ捨てたものにはなっていないのかもしれない。