OECD PISAをながめて(2)

2004-12-15 14:38:14 | 市民A
昨日の続きだ。
日本が第2グループとされる「読解力」の低下について考えるのだが、まず2003年の問題は入手できなかった。2006年の参考になるから非公開だそうだ。代わりに2000年の問題がある。2000年の問題と2003年の問題の差は、わからないが、日本の相対的な地位はいずれの年も「第2グループ」ということで大きな変化もないので問題も大きく変わっていないのではないかと思う。

問題は3種類ある。1番目は「落書き」について、二人の少女が書いた手紙がある。「落書き否定論」と「落書き芸術論」である。これについて賛否を書くわけだ。2番目はアフリカの「チャド湖についての科学的データ」が提示され、それについての質問に答える問題。いわば科学だ。3番目は「新しいランニングシューズについての論文」が提示され、その論文についての設問である。
おそらく、この2番目と、3番目について日本人が不得意とは思えない。問題は1番なのだと思う。
ここに、1番の問題を提示してみる。

***ヘルガの手紙
 学校の壁の落書きに頭に来ています。壁から落書きを消して塗り直すのは今度が4度目だからです。創造力という点では見上げたものだけれど、社会に余分な損失を負担させないで、自分せ表現する方法を探すぺきです 。
 禁じられている場所に落書きするという、若い人たちの評価を落とすようなことを、なぜするのでしょう。プロの芸術家は、通りに絵をつるしたりなんかしないで、正式な場所に展示して、金銭的援助を求め、名声を獲得するのではないでしょうか。
 わたしの考えでは、建物やフェンス、公周のペンチは、それ自体がすでに芸術作品です。落書きでそうした建築物を台なしにするというのは、ほんとに悲しいことです。それだけではなくて、落書きという手段は、オゾン層を破壊します。そうした「芸術作品」は、そのたびに消されてしまうのに、この犯罪的な芸術家たちはなぜ落書きをして困らせるのか、本当に私は理解できません。
                    ヘルガ

***ソフィアの手紙
 十人十色。人の好みなんてさまぎまです。世の中はコミュニケーションと広告であふれています。企業のロゴ、お店の看板、道りに面し年大きくて目ぎわりなポスター。こうい うのは許されるでしょうか。そう、大抵は許されます。では、落書きは許されますか。許せるという人もいれば、許せないという人もいます。
 落書きのための代金はだれが払うのでしょう。だれが最後に広告の代金を払うのでしょう。その通り、消費者です。
 看板を立てた人は、あなたに許可を求めましたか。求めていません。それでは、落書きをする人は許可を求めなければいけませんか。これは単に、コミュニケーションの問題ではないでしょうか。あなた自身の名前も、非行少年グループの名前も、通りで見かける大きな製作物も、一種のコミュ ニケーションではないかしら。
 数年前に店で見かけた、しま模様やチェックの柄の洋服はどうでしょう。それにスキーウェアも。そうした洋服の模様や色は、花模様が措かれたコンクリートの壁をそっくりそのまま真似たものです。そうした模様や色は受け入れられ、高く評価されているのに、それと同じスタイルの落書きが不愉快とみなされているなんて、笑ってしまいます。
 芸術多難の時代です。
                    ソフィア

これに対して、設問は

問1:この二つの手紙のそれぞれに共通する目的は、次のうちどれか
A。落書きとは何かを説明する
B。落書きについて意見を述べる
C。落書きの人気を説明する
D。落書きを取り除くにはどれくらいお金がかかるかを人々に語る。
答え:B これは簡単。C,Dは消去法ですぐにX、事実の差ではなく、意見の
   差であることは、だいたい想像できる。

問2:ソフィアが広告を引き合いに出している理由はなにか?
答え:広告は落書きの一形態であるという主旨で答えるか、あるいは、
   落書きを擁護するための手段の一つであるという主旨で答える。

問3:あなたは、この2通のどちらに賛成しますか。片方あるいは両方の
   手紙の内容にふれながら、自分なりの言葉をつかってあなたの答え
   を説明してください。
答え:(どちらの手紙に賛成してもいいのだが)設問通りの方法で答えを
   書けばいい。

問4:手紙になにが書かれているか、内容について考えてみましょう。
   手紙がどのような書き方で書かれているか、スタイルについて考え
   てみましょう。
   どちらの手紙に賛成するかは別として、あなたの意見では、どちら
   の手紙がよい手紙だと思いますか。片方あるいは両方の手紙の書き
   方に触れながら、あなたの答えを説明してください。
答え:(どちらの手紙に賛成してもいいのだが)内容ではなく、どちらが
   説得力ある書き方かを論理的に説明すればいい。

まず、この2通の手紙の問題では問2、問3が日本人向きではないだろう。
この内容について、普通の意味での読解力がないとは思えない。お互いの主張は噛みあわないだけで、それぞれ一見きちんとしている。しかし、こういった、少しずれた視点からの意見の対立があった時に、日本人のほとんどは、いきなり解決を求めようとして妥協案をイメージする。落書きは一般的にはいけないが、特定の場所はいいことにしようとか、落書きを消す費用を持ってくれるなら、考えてもいい、とか・・・鎖国国家の知恵だ。

AでもBでもどちらでも。自分の意見がしっかりしていれば、正解なのだが、日本の現実ではおこらないだろう。15歳でなく、大人でも同じような結果であろう。

そして、読解力と言っているが、むしろディベート能力の方が問われているのではないかな。自分の意見がいかに正しいかを論ずる力。おそらく国論二分というような経験がないので、ディベートなど品位のない行為と思われているのだろう。まあ、ブログの世界でも、書く人と読む人がいるが、たぶん、書く側の人の方が少ないだろう。ディベート力なら、学校でもブログの授業やればいいのだろう。しかし、マジで教師にはろくなのいないから、学校ブログやれば暴走しちゃうだろうけどね。こどもにあおられてキレる教師って多いだろうね。

ということで、自分の意見を書くとか、これは「ためにする議論に過ぎない」、というようなことを学ぶためには、決して数学の授業時間を延ばしたりして解決できる問題ではないことはわかるであろう。
だいたい、こどもが意見を持たない羊的な大人になることを期待するという考え方も社会には根強い。

また、昨日書いた、未来の不確実性に対するイメージが乏しい点など、教育上の問題で考えられるのかな。今、小中学生の間に流行っているのに株売買ゲームがある。野村が100万円、日興は1億円のはずだが、実際の株単価をつかってネット上で手ガネを増やしていくわけで、成績上位者の手口は公開されていて、本当にマネ買いしている人もいるはずだ。アクチュアルとフュージョンが交錯した世界だ。しかし、実際の株取引では全資金を1銘柄に投入することはないので、ゲームほどはもうからない。こどもの中でもやはり損をする方が多いらしい。未来予測は難しい。横道から戻る。

しかし、全体でみると、ドイツ、フランスに比べてかなり日本は上位にいる。一方、アメリカはあきらかに、崩壊感覚だ。数学28位、読解力18位、科学22位、問題解決能力29位。OECDの中では栄えある最下位で前回より下降。アメリカ国民が現大統領を選んだ理由も「親近感」からかもしれない。とするならヒラリーにはチャンスがないかもしれない。まあ、現大統領のバカさ加減については、実話とJOKEが入り交じっているので話は膨張しているのだが、ブラジルの大統領に「ブラジルにも黒人はいるのか?」と質問したのは実話で、大統領選のテレビ討論会でスタッフがおそれたのは、「ケリーの質問ではなく、ブッシュの解答の方だ」、というのも実話だ。

それと上には上がいて、2回続けて、ほとんどのカテゴリーで最下位なのが、ブラジル。愛読ブログ「ブラジルサンパウロから世界へ、そして渋谷へ」さんの中でも取り上げられ、「参加するだけ偉い!」と絶賛されている。次回リストにはブラジルは入っているが、シンガポールは依然として不参加だ。

シンガポールで聞いたのだが、隣国マレーシアから、全額奨学金つきで留学させ、成績優秀な子どもは卒業時に国籍まで与えて吸収してしまうという横暴なことまでやっているらしい。秘密主義おそろし!世襲制政権おそろし!だ。

日本が旧ナチスのように、世界でもっとも優れた民族だとか考える必要はないのだが、依然としてこどもの世界ではトップランカーであることはイメージできる。数学的不確実性の世界は依然として欠点であるが「読解力」については、むしろディベート能力の問題であるようだし、問題を深読しないで単純に考える方が点数は高いのだろう。ただし、日本語にはあいまい性の問題があるのと、ディベート得意人間を社会に大量に輩出するような教育への賛否には異論もあるのかもしれない。
そして、アメリカの数字を見る限り、「勉強してもしょうがない」という気持ちを押さえ込むこともまた難しいのだ。 

ドンキ火災は9・11と同根か?

2004-12-15 14:36:58 | 市民A
12月13日夜、ドンキホーテの埼玉県の2店舗で火災が発災した。おそらく連続放火であろう。想像するに放火は入口付近(寝具売場)で行われたらしいが、一般に入口=出口と言う構造になっているため、避難する際に大混乱がおこったのではないかと考えられる。従業員3名の方の遺体が発見されている。犯人の行為は無差別テロとほぼ同義だ。

何店舗かのドンキには入ったことはあるが、階段付近にも商品があったり、店内も、結構雑然と多くの商品を積上げ、圧迫感があるが、床面積あたりの売上高は高いだろうと想像できる。駐車場もギリギリでスペース的な無駄を徹底的に切り詰め、トイレも店外設置とコストダウンによる安売りにつとめていることが実感できる。先日は、公取から派遣従業員の業務範囲について警告を受けていたが、既存の法律の範囲内ギリギリでできることは何でもありで利潤追求をするという、ある意味、資本主義の究極的な業態と感じていた。そしてカルフールのような少しアップグレードの店舗は収益を上げられず店舗売却を模索し、ドンキは増殖する。

その事業拡大の過程では、ありとあらゆる方面と軋轢があったことは経験的に言って容易に想像できる。同業者、地場商店、納入業者、元従業員・・・
しかし、だからといって、無差別テロが容認できないのは9・11と同様である。まして、ドンキは犯人をつきとめて積極的に反撃できるわけでもない。

9・11の事件でも、その後の株価の低迷や軍事費の負担増による財政赤字が一因であるドル安など経済的な後遺症は続いている。ドンキホーテもこれからは、避難路の確保や、店舗内の視界の確保、警備員の配置増など対策を立てなければならないだろう。

行方不明の3名の方が、消火活動をされていたという話を聞けば、さらに悲痛な気持ちになってしまう。