FTA交渉は、アキレスと亀か?

2004-12-02 15:04:31 | MBAの意見
2500年前の哲学者であるゼノンが出題した有名なパラドックスに「アキレスと亀」という問題がある。亀の後ろから走り始めた韋駄天のアキレスが、さっき亀のいた場所に到着した時には、亀は少し前を歩いている。そして、その場所にアキレスが着いた時には、亀はまた少し前にいて・・・・となって結局アキレスは永久に亀を追い抜けない、という内容のものだ。どうも今だに反証されていないらしい。既に2500年も経っているので、二者の差は相当近づいているのだろうが、同様の現象が見えるのが日本に申し込まれているFTA(自由貿易協定)に関する交渉だ。

2002年にシンガポールと締結してから、韓国、メキシコ、フィリピン、タイ、チリ、驚くことに中国、そして今回のラオスでのASEAN各国との交渉開始の約束と、まさに話だけ先行である。ASEANといっても10ヶ国もあり、FTAは個別の国と結ぶのだが、やる気もないのにどうするつもりだろう。

先日、勤務地の近くの日比谷公園で何か反対集会が行われていて、接近してよく聞いてみると、日韓FTA締結に向けた事前交渉に反対する集会であった。まあ、よほど規制が好きな人が多いなって感じもしたが、実は、個人的には東アジアではFTAで効果を上げるのは難しいと思っている。

なぜFTAが容易でないかというと、大きく三点の問題が挙げられる。

一点目は、東アジア内で、日本と他国という二国間の関係を考えると、産業構造がかなり近似であるといえる。特に韓国は日本と相似形の産業構造に近く、相互に主力産業での比較優位産業を特定することが困難である。所謂比較優位論から言えば、相互の産業にダイナミックな構造変化は期待できない。さらに概ね同じ構造であっても若干業種によって産業の強弱があり、国際市場の中では競合関係のものが多い。その若干の違いが多くの政治的軋轢を生み出すのである。

二点目としては、第二次大戦後の東アジアは、日本を先頭とし雁行型の経済発展を遂げており、産業の高度化は日本、NIES、ASEANという順に進行し、現在は中国に及んでいるといえる。日本においては様々な理由で、高度化の速度は落ち、NIES各国に一部業種はキャッチアップされているものの、まだ圧倒的な国民の購買力を保持している。このような第二次大戦後の産業発展の歴史からいって、それらの国といまさらFTAを締結するということは、過去の日本とFTAを結ぶようなものであり、日本にとって、大きな意味はもたない。また、各国とも自動車産業を国内産業のキーとして考えており、日本の比較優位な分野である自動車産業の域内グローバル化は起こりえない。中国経済は少し日本と違う方向に進むのかと思っていたが、やはり内需を重要に考える日本型の方向に向かい始めている。

第三の問題として、政治的基盤の問題がある。FTA締結は各国内の多くの産業にプラスであっても一部の競争力の乏しい産業にはマイナスに働く。問題は農業分野と、国内の過去産業である。両者とも国際競争力が乏しいことから発生する危機感から強力な政治的利権団体を組織しており、安易に保護主義からの脱却は困難である。またそれらの反対を相互の国内で強権的に排除しFTAに到達したとしても、相互の政治体制が大きく異なり、過去産業とはいえ国内の脆弱企業を淘汰することには国民の納得は得られない。

さらに、東アジア各国は、かなり最近まで隣国との軍事的緊張関係を続けていて、本来は域内で分業化していく方が効率的なのだろうが、なかなか各国とも国民的な合意は得られないと思う。

そんなこんなで、優柔不断を続けているうちに、域内自由貿易(RTA)方式をめざすEUでも拡大EU問題でゴタゴタしているし(特にイスラム国家トルコの加入問題が一つのポイントだろうが)、アメリカだって、メキシコやチリが行っている第三国製品のタックスロンダリング的行為(自国内製率の規制はあるが)に文句もつけるだろうし、友達のいない日本が優柔不断を続けている間に、またもWTO路線に戻るかもしれない。いくつかの国とは、政治力学によって、FTA風の協定を結ぶかもしれないが、それで何がかわるということもないと思われる。

こうして、アキレスは2501年目も2502年目もあいかわらず走り続けるのだが、あまりにもスピードが遅いために、いずれ誰からも忘れられてしまうのかもしれない。 

清原の飲む「泥水」って?

2004-12-02 15:03:58 | スポーツ
巨人の清原が、記者会見をして、2005年シーズンは残留することになった(一応)。
例のヤクザの世界のような5条件を飲んでということだ。
〔1〕契約期間が1年残っている〔2〕残留への強い意思〔3〕一から出直す決意表明があった〔4〕堀内監督を支えると約束した〔5〕一連の去就問題で球団、監督や関係者に迷惑をかけたことを謝罪する
というものだが、まあ、それまでの球団、本人、堀内の勝手気ままな放言からすると、「変調だな」って感じる。
40試合で4.5億円というのは、いかにも割が合わないが、4年契約をすれば、3年目や4年目はこんなものだろう。契約ってそんなものだ。巨人のためにも、本人のためにも残留しない方がいいと思えるが、結構、プロ野球人って、おカネに執着するのだろうね。

実感のわかない金額なのだが、自分で清原になったつもりで考えると、
A.来年4億5000万円くれるところは巨人以外ない。
B.どうせ、再来年はクビだろうから、自分から出て行く必要はない。
C.下手にフル出場して、打てないと、DHとしての価値が下がる。
D.堀内も、巨人も、来期はどうなるかわからないので、1年は我慢の一手か。
E.来年、就職先がみつからずリタイアするなら、最後は巨人の方がいい。
とか、ほとんど経済的な理由ではないかな。だいたいからしてFAってそういうことだ。

とすると、清原が、「来シーズンは泥水を飲んでも頑張る」という時の、「泥水」というのは、「巨人ベンチの中は泥水だ」ということを遠まわしに言っている、ただ一つの、彼の”プロテストメッセージ”なのかもしれない。