これはご存知ですか?
”乗り物館”(のりものや)プロデュースの”サイデスカー”です。
ワタシが実体験した最初の”バイクとクルマの間”の乗り物ですが、実体験とはワタシの経営していたバイクショップが開店してすぐだったと記憶していますけれど、近所のご高齢の方に注文をいただき、制作したことがあります。
上の2枚の画像はttp://fwu-kawaraban.sakura.ne.jp/cgi/patio/read.cgi?no=16より転載
右側から見ると構造が分かります。カレンという原付1種スクーターをサイドカーにしてボデイを被せたものですが、ネーミングの由来もシャレていました。
高齢で運転免許は原付しか持ってないとなると、雨風をしのげる乗り物は当時では唯一だったわけです。
高齢で足が不安になればバイクでは危険だと家族に言われ、このサイデスカーの存在を知って、(少量生産のため結構なお値段だったと思いますが)購入に踏み切ったのは、人間の本来持つ自由に何処かに行きたいという欲求だったのでしょう。
乗り物館の山○さんには何回かお会いしたことがありましたが、モンキーダビッドソンなどの作品(商品というより)は各種のパロディーを具現化したようなものでしたけれど、サイデスカーは日本でのマイクロカーのハシリですから、またお会いできたら当時のお考えを聞きたいものです。
画像はttp://www.mitsuoka-motor.com/index2.phpから転載。不適切なら削除いたします。
ワタシの記憶では、サイデスカーを皮切りに画像のBUBUが光岡自動車から発売されたりして、けっこうなブームになり、そして30km/hで走るマイクロカーは”走る障害物”と揶揄され、1985年には道路交通法では普通自動車になってしまいます。
いまの”ミニカー”の最高速度が60km/hになった一つの経緯だと思います。
エンジンは50cc以下の小型ガソリンエンジンであり出力も低いことから、あまりスピードは出せず、また乗車定員が一名で積載量も手荷物程度しかなく(トランクを備えた車種など例外もある)、加えてボディは繊維強化プラスチックなど軽量で簡素な作りとなる。このため、乗用車一般と比較して快適な車内は望むべくも無く、運転中の車内は振動や騒音が大きい。ただ軽便であり、風雨に晒されない車内とスクーターなどの軽快さを併せ持つともいえる。
日本では1980年代前半から原付スクーターを流用する形で製作されるようになり、1985年(昭和60年)2月14日(経過措置適用者は同年8月14日)まで原動機付自転車運転免許により公道走行が可能であったが、同日以降は普通自動車免許ないし上位免許(大型自動車免許含む)が必要となった(1985年2月13日以前の二輪免許でも不可)。この制度変更により簡便な交通手段としての魅力が失われ、一時は販売台数が激減したが、現在は環境的な観点や、車椅子(車椅子に乗ったまま搭乗することができるミニカーもある)やシニアカー以上の機動力を必要とする障害を持つ方や老世代の足としてなど、交通手段の毛細血管的役割としての存在が見直されつつある。(ウイキペディアより)
これは1960年代にマン島で生産されていた、世界一小さい量産車のPEEL P50。
山○さん、ヒントはこれから?
PEELはマニアがいて、実働車は多く現存するようです。
”バイクとクルマの間”でも新しい区分が必要と申していますが、将来を見据えた使い勝手の良い基準を設けなければならないと思います。
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そういえば当時、救済措置として、いわゆる『ミニカー免許』が有りませんでしたっけ?
真っ赤なオープンの低い車体に白髪の男性がかっこ良く乗ってまして、横断歩道をわたる人、対向車あらゆる人が振り返って見てました。
走り出すと原付のウイーーーンという音が出てしまうのでかっこよさが大分薄れてしまうのが玉に傷。
あれだけ注目を浴びて運転するのはちょっと嫌ですが(笑)
>救済措置として・・・
その移行時にミニカー限定免許の試験が、運転免許試験場において6か月間だけ行われた。そうです。
うえまさん、
>あれだけ注目を浴びて運転するのはちょっと嫌ですが(笑)
目立つてことも場合によっては微妙ですね。ワタシも同感です。