三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「慰安婦被害者 国際刑事裁判所の壁に名前記載へ=女性の人権保護に努力」

2017年12月23日 | 日本軍隊性奴隷
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/12/13/0200000000AJP20171213004600882.HTML
「聯合ニュース」2017/12/13 21:26
■慰安婦被害者 国際刑事裁判所の壁に名前記載へ=女性の人権保護に努力
【ソウル聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦被害者が国際刑事裁判所に展示される「性平等遺産の壁」に名を連ねることが13日、分かった。

【資料写真】慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」=(聯合ニュース)

 慰安婦被害者を支援する韓国の市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)と正義記憶財団によると、慰安婦被害者の姜日出(カン・イルチュル)さん、金福童(キム・ボクドン)さん、李玉善(イ・オクソン)さん、故金学順(キム・ハクスン)、故ムン・ピルギさんと挺対協の名前が記されるという。
 性平等遺産の壁は国際人権団体「ジェンダー正義を求める女性によるイニシアチブ(WIGJ・Women's Initiatives for Gender Justice)」が企画したもので、来年に完成する国際刑事裁判所の建物に設置される予定だ。
 正義記憶財団によると、WIGJは女性の人権と戦時性暴力の防止のために努力してきた人や団体の業績を記憶し継承するため、151の名が壁に記されるという。
 米女優のアンジェリーナ・ジョリーさんや、ピレイ前国連人権高等弁務官なども登録される。
 正義記憶財団と挺対協は「WIGJの今回の決定に感謝する」とし、「日本政府の戦争犯罪認定、公式謝罪、法的責任の履行などの要求を続けてきたすべての旧日本軍性奴隷の被害者の活動を国際社会が認めた結果だと考える」とコメントした。


http://www.recordchina.co.jp/b231041-s0-c10.html
「Record China」 2017年12月14日20時20分
■元慰安婦らの名、アンジェリーナ・ジョリーと並び国際刑事裁判所の壁に記載へ=韓国ネット「慰安婦問題に正面から向き合ってくれたんだね」
 2017年12月13日、韓国・聯合ニュースなどによると、韓国の元慰安婦らが国際刑事裁判所(ICC)に展示される「性平等遺産の壁」に名を連ねる。
 韓国の元慰安婦らを支援する韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)と正義記憶財団は13日、元慰安婦の姜日出(カン・イルチュル)さん、金福童(キム・ボクトン)さん、李玉善(イ・オクソン)さん、故金学順(キム・ハクスン)さん、故ムン・ピルギさんの5人の名前と挺対協の名称が記載されると明らかにした。
 「性平等遺産の壁」は、国際人権団体「ジェンダー正義を求める女性によるイニシアチブ(WIGJ)」が企画したもので、来年完成する国際刑事裁判所の建物に設置される予定だ。正義記憶財団によると、WIGJは、女性の人権保護や戦時下での性暴力撤廃に向け努力を重ねてきた個人や団体の業績を記憶するため、151の名を壁に刻む。元慰安婦や挺対協のほか、米女優のアンジェリーナ・ジョリーさんや、ピレイ前国連人権高等弁務官の名も記載されるという。
 挺対協関係者はWIGJの決定に「謝意を表する」とし、「日本政府が戦争犯罪を認め公式に謝罪するよう求めてきたすべての日本軍慰安婦被害者たちの活動を、国際社会が認めた結果だ」とコメントを出した。
 この報道には、韓国のネットユーザーからも「すごいことだね」「胸が痛いが、ICCが慰安婦問題に正面から向き合ってくれたということだね。よかった。このために努力してくれた関係者の皆さん、ありがとう」と肯定的に受け止めるコメントが寄せられている。
 また「日本がドイツと同じようにきちんと謝罪し歴史を正しく記録しない限り、こういう問題は繰り返される」「歴史問題が解決されない以上、日本は信用できない」「厳密に言えば、これは性平等の問題ではなく日本の残酷な戦争犯罪だ」など、改めて日本に謝罪を求めたり日本を批判したりする声もあった。
     (翻訳・編集/吉金)

http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/12/19/0200000000AJP20171219001400882.HTML
「聯合ニュース」2017/12/19 14:49
■慰安婦資料の記憶遺産登録見送り 申請団体がユネスコに質疑書送付へ
【ソウル聯合ニュース】国連教育科学文化機関(ユネスコ)が10月に旧日本軍の慰安婦関連資料の「世界の記憶(世界記憶遺産)」登録を見送ったことに対し、登録を共同申請した韓国をはじめとする市民団体がユネスコ側に質疑書を送る計画だ。

【写真】登録を共同申請した市民団体でつくる「国際連帯委員会」がソウル市内で記者会見を開いた=19日、ソウル(聯合ニュース)

 この資料「慰安婦の声」は慰安婦被害者の証言など2744点からなる。世界の記憶登録を目指してきた韓国や中国、オランダなど8カ国・地域の14団体でつくる「国際連帯委員会」は19日、ソウル市内で記者会見を開き、「登録が正常でない手順で進められたことに深刻な懸念を表明する」とした上で、今後の対応を明らかにした。
 ユネスコに質疑書を送り、同資料が政治的な緊張を引き起こしたと判断した根拠と、日本政府によるユネスコ分担金支払いの留保が登録見送りに及ぼした影響について問いただす計画だ。また、ユネスコは登録制度で、当事者間の歴史認識で意見が異なる案件は話し合いを促すとしたが、この案件の当事者が日本政府を意味するのかという点を問う。 
 さらに、最初に審査を担う登録小委員会で慰安婦関連資料が「代替不可能で唯一の資料」と評価され、その勧告事項を踏まえて申請書を修正したにもかかわらず登録が見送られたことに対し、ユネスコの立場表明を求める予定だ。
 一方、国際連帯委員会に属する韓国の団体は来年3月から、慰安婦関連資料の世界の記憶登録と、ユネスコが特定国の圧力に屈しないことを願う気持ちを込め、署名運動を始める計画だ。
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「「オレの心は負けてない」在日「慰安婦」被害者の宋神道さんが死去」

2017年12月22日 | 日本軍隊性奴隷
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/29287.html
「The Hankyoreh」 登録:2017-12-19 22:59 修正:2017-12-20 06:55
■「オレの心は負けてない」在日「慰安婦」被害者の宋神道さんが死去
 “나의 마음은 지지 않았다” 재일 ‘위안부’ 피해 송신도 할머니 별세
 16歳で連れて行かれ「慰安婦」生活強要され 
 日本政府相手に10年間法廷訴訟

【資料写真】「慰安婦」被害者の故・宋神道さん//ハンギョレ新聞社

 日本で暮らしていた日本軍「慰安婦」被害者として、唯一人日本政府を相手に謝罪と賠償を請求する訴訟をした宋神道(ソン・シンド)さんが亡くなった。韓国政府に登録された日本軍「慰安婦」被害生存者は32人しか残っていない。
 宋神道さんは16日午後、東京都内で老衰のために亡くなったと「在日の慰安婦裁判を支える会」が19日明らかにした。11日に95歳の誕生日を祝った5日後だった。
 ソン・シンドさんは、1922年忠清南道で生まれ、16歳だった1938年にだまされて中国の武昌(現在の湖北省武漢)の慰安所「世界館」に連れて行かれ、慰安婦生活を強要された。少しでも拒否すれば、決まって殴打された。わき腹と太股に残った刃物の傷痕、腕に彫られた金子という名前の入れ墨は、苦痛の過去をそのままに見せる。何度も妊娠した末に2人の子どもを産んだが、育てることはできない境遇で人知れず中国人の手に任せなければならなかった。
 7年間、多くの慰安所に連れ回され日本の敗戦をむかえたが、行く所はない状況で、「結婚して日本に行こう」という日本の軍人の話にだまされて日本に行った。1946年春、船で博多港に到着するとすぐに軍人は彼女を捨て、彼女は在日韓国人の男性に会い1982年まで一緒に暮らした。
 こうしたソン・シンドさんの存在を世に知らせたのは、日本の良心的市民たちだった。1992年、慰安婦動員に日本軍が関与したことを立証する政府文書が発見された。これに対し日本の4つの市民団体は、慰安婦関連情報を集めるために「慰安婦110番」というホットラインを開設した。この時、匿名の情報提供で宮城県に住む宋さんがついに名乗り出た。その後、市民団体は「在日の慰安婦裁判を支える会」を結成し、宋さんとともに日本政府の公式謝罪を要求する裁判闘争に乗り出した。
 安海龍(アン・ヘリョン)監督が作ったドキュメンタリー映画「オレの心は負けてない―在日朝鮮人『慰安婦』宋神道のたたかい」(2007)は、在日日本軍慰安婦として唯一人、日本政府を相手に訴訟を闘った宋神道さんの人生と裁判過程を扱った。

【資料写真】ドキュメンタリー映画「オレの心は負けてない」で、宋神道さんが日本軍が彫った入れ墨を見せる場面//ハンギョレ新聞社

 「オレの心は負けてない」というこの映画のタイトルは、10年に及ぶ長い法廷闘争で日本の最高裁まで持ち込んだが、結局裁判には負けてしまった宋神道さんが「それでも心は負けてない」と話したことから借りてきた。映画は、宋神道さんがなぜこの闘いで決して負けられない人なのかに焦点を合わせている。
 日本の敗戦後、日本に行くことになった宋さんは、1993年4月「慰安婦」強制動員などについて東京地方裁判所に訴訟を提起し法廷闘争を始めた。2003年3月、日本の最高裁判所が上告を棄却して敗訴が確定したが、10年にわたる裁判過程を記録したドキュメンタリー映画「オレの心は負けてない」が2007年に公開され、大きな反響を起こした。この映画で「二度と戦争をしてはならない」という宋さんの呼び掛けは深い共感を得て、映画は現在も日本など各地で上映されている。
 宋さんの葬儀は、「在日の慰安婦裁判を支える会」が非公開で行ったと明らかにした。

【写真】ドキュメンタリー映画「オレの心は負けてない」のポスター//ハンギョレ新聞社

東京/チョ・ギウォン特派員
http://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/824185.html
韓国語原文入力:2017-12-19 17:17


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/29297.html
「The Hankyoreh」 登録:2017-12-21 00:12 修正:2017-12-21 08:13
■[フォト]「オレの心は負けてない」…第1314回定期水曜集会
 在日「慰安婦」被害者、宋神道さん追悼

【写真】20日昼、ソウル市鍾路区の旧駐韓日本大使館前で開かれた「日本軍性的奴隷問題解決のための第1314回定期水曜集会」に、今月16日に亡くなった宋神道さんの遺影が置かれている=パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社
 
 20日昼、ソウル市鍾路区(チョンノグ)の旧駐韓日本大使館前で「第1314回日本軍性的奴隷問題解決のための定期水曜集会」が開かれた。今回の水曜集会では、今月16日に日本で亡くなった日本軍「慰安婦」被害者、宋神道(ソン・シンド)さんの追悼行事が開かれた。
 1922年、忠清南道論山(ノンサン)で生まれた宋さんは、16歳の時に中国の武昌にあった日本軍慰安所に連れて行かれ、7年間「慰安婦」として過ごした。1993年、宋さんは日本国内の「慰安婦」被害者として一人で日本政府を相手に法的闘争を始めたが、2003年日本の最高裁判所が上告を棄却して敗訴が確定した。
 その後10年にわたる裁判過程を記録したドキュメンタリー映画「オレの心は負けてない」が2007年に公開され、大きな反響を呼んだ。この映画のタイトルは、長い法廷闘争の末に敗訴した宋さんが「それでも心は負けてない」と話した言葉から取った。

【写真】20日昼、ソウル市鍾路区の旧駐韓日本大使館前で開かれた「日本軍性的奴隷問題解決のための第1314回定期水曜集会」で、ある参加者が涙を流している=パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社
【写真】20日昼、ソウル市鍾路区の旧駐韓日本大使館前で開かれた「日本軍性的奴隷問題解決のための第1314回定期水曜集会」で、参加者たちがスローガンを叫んでいる=パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社
【写真】20日昼、ソウル市鍾路区の旧駐韓日本大使館前で開かれた「日本軍性的奴隷問題解決のための第1314回定期水曜集会」で、少女像の後ろで参加者がプラカードを持っている=パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社

パク・ジョンシク記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/824329.html
韓国語原文入力:2017-12-20 15:19


http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/12/19/0200000000AJP20171219004600882.HTML
「聯合ニュース」 2017/12/19 21:11
■日本在住の慰安婦被害者が死去 生存者32人に=韓国
【ソウル聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦被害者を支援する韓国の市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)は19日、被害者の宋神道(ソン・シンド)さん(95)が東京で死去したと発表した。
 宋さんは外国で暮らす最後の韓国人慰安婦被害者だった。韓国政府に登録されている慰安婦被害者239人中、生存者は32人に減った。
 挺対協によると、宋さんは1922年に忠清南道で生まれ、38年から中国で慰安婦としての生活を強いられた。1946年、「結婚して日本に行こう」という日本軍人と共に日本に渡ったが、到着後ほどなくしてその軍人が去って行った。
 その後、在日韓国人男性と暮らした宋さんは、日本在住の韓国人慰安婦被害者として唯一、日本政府を相手に謝罪と賠償を求める訴訟を起こした。1993年に提訴し、2003年に最高裁で敗訴が確定した。
 2007年には宋さんの10年にわたる裁判の記録などを元に作られたドキュメンタリー映画「在日朝鮮人『慰安婦』宋神道のたたかい オレの心は負けてない」が公開された。


http://www.storm.mg/article/374717
「風傳媒」(台北市) 2017-12-20 20:30
■曾向日本求償卻被法院駁回》南韓慰安婦宋神道95歲離世 在世韓籍慰安婦剩32人
  南韓公民團體20日指出,曾向日本政府求償卻遭最高法院駁回的南韓慰安婦宋神道在日本辭世,享壽95歲。路透社報導,宋神道辭世後,南韓政府登記在案的慰安婦僅剩32人仍在世。
  日本1910至1945年對朝鮮半島的殖民統治及第二次世界大戰遺留的問題,在南韓仍高度敏感。慰安婦議題尤其備受爭議。南韓首爾的慰安婦支援團體「南韓挺身隊問題對策協議會」證實宋神道死訊。這個團體表示,南韓出生的宋神道說自己遭日本軍隊強迫,在中國當了7年慰安婦。
  這個團體指出,宋神道戰後隨一名日本軍人遷居日本。這名軍人離開她之後,宋神道與一名在日本的朝鮮族男子同居。1993年,宋神道向東京地方裁判所提出訴訟,要求日本政府正式道歉和賠償。
  根據美國哥倫比亞大學法學院南韓法律研究中心的摘要,日本最高法院在2003年以20年的請求權消滅時效已過,日本沒有法律義務賠償她所受的苦難為由,駁回上訴。


https://www.asahi.com/articles/ASKDM5562KDMUTIL049.html
「朝日新聞デジタル」2017年12月19日16時05分
■在日朝鮮人の元慰安婦、宋神道さん死去

【写真】宋神道さん=2011年

 韓国籍の在日朝鮮人で、戦時中に旧日本軍の慰安婦にされたとして唯一、裁判を起こした宋神道(ソン・シンド)さんが16日、老衰のため東京都内で死去した。95歳だった。葬儀は支援者らで営んだ。来年2月25日に「お別れの会」を都内で催す予定。
 朝鮮・忠清南道出身。確定判決などによると、朝鮮人女性に「戦地で働けばお金がもうかる」と言われて16歳で中国の慰安所に連れて行かれ、7年間、兵士の性の相手をさせられた。戦後は元日本兵に連れられて来日し、宮城県女川町で在日朝鮮人男性と同居した。
 1993年、日本政府に謝罪と賠償を求めて提訴。東京高裁は2000年の判決で国際法上の国家責任を認めたが、宋さん個人の賠償請求権は否定し、訴えを退けた。03年に最高裁で敗訴が確定した。裁判に臨み、体験を語る姿を記録したドキュメンタリー映画「オレの心は負けてない」がつくられ、07年に公開された。11年の東日本大震災による津波で自宅が流され、東京に移住していた。


https://www.jiji.com/jc/article?k=2017122000023&g=obt
「時事ドットコムニュース」 2017/12/20-00:52
■元慰安婦の宋神道さん死去=在日韓国人、賠償訴訟で敗訴
【ソウル時事】韓国女性家族省は19日、旧日本軍の慰安婦で在日韓国人の宋神道さん(95)が16日午後、老衰のため死去したと発表した。同省によると、韓国政府に認定されている存命中の元慰安婦は32人となった。

【写真】提訴のため東京地裁に入る宋神道さん(先頭右)=1993年4月、東京・霞が関

 韓国・忠清南道出身。1938年から終戦まで中国大陸で慰安婦として旧日本軍兵士の相手をさせられた。戦後に日本に渡り、宮城県女川町で在日韓国人の男性と暮らした。2011年3月の東日本大震災で被災し、東京に移り住んでいた。
 宋さんは93年、旧日本軍の行為は国際条約に違反するなどとして、謝罪と損害賠償を求めて日本政府を提訴。03年、最高裁で敗訴が確定した。裁判の記録はドキュメンタリー映画「オレの心は負けてない」に収められ、07年に公開された。 
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「フィリピン・マニラに慰安婦像 民間の献金を受けて設置」

2017年12月21日 | 日本軍隊性奴隷
http://www.asahi.com/articles/ASKDD5GYQKDDUHBI02L.html
「朝日新聞デジタル」 2017年12月12日22時28分  ハノイ=鈴木暁子、広州=益満雄一郎
■フィリピン・マニラに慰安婦像 民間の献金を受けて設置
 フィリピンの首都マニラにこのほど、慰安婦を象徴する女性の像が初めて設置された。歴史的な記念物の設置に関わる政府機関「フィリピン国家歴史委員会」が8日、民間の献金を受けて設置したもので、日本政府は在フィリピンの日本大使館を通じて比政府に遺憾の意を伝えた。
 マニラ湾沿いに設置されたのは、フィリピンの伝統衣装を着た女性が目隠しをされた姿で立つ像。台座には「日本の占領下で虐待の被害に遭った全てのフィリピン人女性を記憶するために」とタガログ語で記されている。寄付者として同国の慰安婦支援団体と、中国・韓国系とみられる個人や団体の名が書かれている。
 像について菅義偉官房長官は12日の会見で「諸外国における慰安婦像の設置は極めて残念だ。設置の経緯を含め、フィリピン政府に事実関係を確認している」と述べた。
 在比日本大使館によると、9日の時点で比政府は慰安婦像について情報を把握していなかったという。11日の会見でフィリピンのロッケ大統領報道官は、この像について「政府は支持も否定もしない」と述べた。
 日本政府は1995年に「女性のためのアジア平和国民基金」を設立。フィリピンでは太平洋戦争中に旧日本軍の慰安婦だったと証言した211人の女性に対し、首相からのおわびの手紙と償い金などが支給された。
 香港では12日、尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権を主張する民間団体「保釣行動委員会」が、日本総領事館が入るビルの前にフィリピンの慰安婦を象徴する1体の女性像を設置。同団体は7月、同じ場所に中国と韓国の慰安婦を象徴する2体の女性像を置いた。
 同委員会によると、中国政府が13日、旧日本軍による南京事件の追悼式典を開催するのに合わせて設置。「フィリピン国家歴史委員会」との連携はないとしているが、女性像がある米サンフランシスコの団体とは連絡を取り合っているという。


https://news.mb.com.ph/2017/12/12/no-official-stand-on-issue-of-comfort-women-says-roque/
「MANILA BULLETIN」 December 12, 2017, 12:08 PM
■No official stand on issue of comfort women, says Roque
  The Philippine government on Monday said it will not take any position on the issue of “comfort women” following the recent unveiling of a statue in Manila honoring about 1,000 Filipino victims who were forced to work as sex slaves for Japanese soldiers during World War II.

【Picture】A 7-foot bronze statue of a Filipina comfort woman was unveiled on Roxas Blvd. in Manila.(Jansen Romero / MANILA BULLETIN)

  “It does not support, it does not oppose. It has no position currently,” Presidential Spokesman Harry Roque told reporters during the regular press briefing in Malacañang.
  The Japanese government has continuously refused to recognize claims made by the surviving Filipino comfort women.
  Even as the erection of the bronze sculpture was allowed by the government, Roque believes the gesture will not affect Philippine-Japan relations.
  “I don’t think so because the relationship is at record close, if there is such a thing,” he said.
  Last week, the League of Filipino Women (LFW) and the National Historical Commission of the Philippines (NHCP) jointly unveiled the two-meter tall statue on the baywalk of Roxas Boulevard.
  The statue stands about two kms. away from the Japanese Embassy which is located on the Pasay City side of Roxas Boulevard.
  NHCP Chairman Rene Escalante said the monument aims to preserve the memory of the suffering of the “comfort women.”
  The LFW has documented about 174 “comfort women” who have gone public since the early 1990s. Only a few of them are still alive, with only a handful of them still continuing to seek justice. (Roy Mabasa)


http://www.storm.mg/article/371401
「風傳媒」(台北市) 2017-12-12 16:10
■受日本虐待的菲律賓女性記憶!馬尼拉揭幕首座慰安婦銅像 官方:沒有特定立場

【相片】菲律賓馬尼拉的慰安婦雕像。

  慰安婦問題是日本與南韓之間僵持不下的重要議題之一,而南韓設置慰安婦銅像的行為,更讓日韓關係降至冰點,不過二戰時期也遭日本蹂躪的菲律賓,8日在首都馬尼拉揭幕1座慰安婦銅像,日本《共同社》指出,據稱是華人團體要求設置銅像,而菲律賓政府11日公開表示,官方對此事沒有特定立場。
  菲律賓總統府「馬拉坎南宮」發言人羅奎(Harry Roque)在例行記者會上說:「(政府)不支持,也不反對,現在沒有特定立場。」當被問到設置慰安婦銅像,可能損害日菲關係,羅奎則回應:「就算有這種猜測,但我認為不可能,因為(日菲)2國關係處於緊密狀態。」
  對於菲律賓設置慰安婦銅像,日本駐菲大使館稱:「已告知菲律賓政府,此舉有悖於日本政府立場,對此甚感遺憾。」這座2公尺高的慰安婦銅像是由菲律賓政府機構「國家歷史委員會」(NHCP)設置;NHCP與菲律賓婦女聯盟(LFW)8日共同舉行揭幕儀式,《共同社》稱,這或許是菲律賓首座慰安婦銅像。
  這座慰安婦銅像是名蒙住雙眼、穿著民族服飾的少女,她雙腳赤裸,兩手緊緊抓住垂落在胸前的頭巾,身體些微後傾,顯示她用盡最後一絲力氣保護自己,而銅像底座的銘文寫道:「這是日本統治時,遭受虐待的菲律賓女性的記憶。」日本在1942至1945年間占領菲律賓,迫使數千名菲律賓女性當慰安婦。
  NHCP主席艾斯卡朗特(Rene Escalante)在揭幕儀式上說:「二戰期間最令人髮指的罪行之一,就是對女性的暴行,受害者至今仍為尋求正義而奮鬥。」《共同社》引述NHCP相關人士說法指出,中國人及菲律賓華僑組成的財團要求設置銅像,並提供建造銅像的經費。
  這座慰安婦銅像位於馬尼拉熱門的濱海大道「羅哈斯大道」(Roxas Boulevard),菲律賓副總統官邸「椰子宮」(Coconut Palace)、參議院、外交部,以及美國和日本駐菲律賓大使館都位在此條大道上,而銅像與日本大使館距離僅約2公里。LFW稱,1990年代初期至今,總計約174名慰安婦出面發聲,但已有100多人相繼離世,僅剩少數阿嬤仍在爭取司法正義。


https://this.kiji.is/312924956424356961?c=110564226228225532
「共同通信」 2017/12/11 21:14
■比政府機関、マニラに慰安婦像  中国系団体が要求か

【写真】フィリピン・マニラ湾沿いに設置された慰安婦問題を象徴する女性の像=11日(共同)

【マニラ共同】フィリピン政府機関の一つ、フィリピン国家歴史委員会が11日までに、マニラ湾沿いの遊歩道に旧日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する女性の像を設置した。同委員会や元慰安婦の支援団体によると、フィリピンでこうした像が建てられたのは初めてとみられる。中国系団体が要求していたという。
 在フィリピン日本大使館は「日本政府の立場と相いれず、極めて残念だとフィリピン政府側に伝えた」とコメントした。
 像は同大使館の北約3キロにあり、台座も含めて高さ約3メートル。目隠しをされた民族衣装姿の女性が立っているデザインで、従軍慰安婦をイメージした。


https://www.jiji.com/jc/article?k=2017121200924&g=pol
「時事ドットコムニュース」 2017/12/12-17:50
■フィリピンに初の慰安婦像=日本大使館が懸念

【写真】フィリピンに初めて設置された慰安婦像=12日、マニラ

 【マニラ時事】フィリピンの首都マニラの遊歩道に、従軍慰安婦問題を象徴する女性像が設置されたことが12日、分かった。同国に慰安婦像が設置されるのは初めて。日本大使館は「極めて残念だ」と懸念を示した。
 設置したのはフィリピン政府機関の国家歴史委員会。台座を含めた高さは約3メートルで、民族衣装を着た女性が目隠しをした形になっている。目抜き通りのロハス通り沿いにある遊歩道に設置され、8日に除幕式が行われた。
 台座の碑文には「1942~45年の日本支配下で虐待の犠牲になったフィリピン女性を記憶する」と書かれ、碑文の裏には設置に協力した団体として、中国系フィリピン人財団の名前もあった。
 日本大使館は9日に設置を把握。大統領府や外務省に「像の設置は日本政府の立場と相いれない」と遺憾の意を伝えた。大使館によると、連絡した時点では大統領府、外務省ともに像が設置されたことを知らなかったという。
 フィリピンは太平洋戦争時、日本の占領下にあった。村山富市内閣当時の95年に発足したアジア女性基金は、フィリピンで元慰安婦と名乗り出た女性に対し、償い金を支給した。ただ、一部女性は謝罪を求めて現在も日本政府に対する抗議運動を続けている。


http://www.sankei.com/world/news/171220/wor1712200037-n1.html
「産経ニュース」 2017.12.20 20:56
■慰安婦像は「無許可で設置」 マニラ市、フィリピン外務省に回答へ

【写真】12日、フィリピンのマニラ湾に面した遊歩道に建った慰安婦像が夕日に浮かぶ(吉村英輝撮影)

【シンガポール=吉村英輝】フィリピンのマニラ湾を望む遊歩道に設置された、日本軍占領下(1942~45年)の慰安婦を象徴するフィリピン人女性像について、マニラ市は20日までに、「像は無許可で設置されたようだ」との見方を地元メディアに示した。
 英字紙フィリピン・スター(19日、電子版)によると、在フィリピン日本大使館から懸念を受けたフィリピン外務省が12日付の書簡で、慰安婦像の経緯説明をマニラ市のエストラーダ市長に求めた。
 同市長の秘書はスター紙の取材に対し、像の設置許可申請は、比華人団体「トゥライ財団」から出され、公共事業道路省やそのほかの政府機関から許可を得るよう指導したと答えた。「(市側は)許可していないし、許可することもできない」とし、同団体の無許可設置を示唆。同様の内容を外務省に、近く回答する。
 また、英字紙インクワイアラー(20日、電子版)によると、マニラ市の担当者は、市側の主な役割は、今月8日の除幕式に必要な場所の提供だったと主張。トゥライ財団からの協力要請は3年前にあったとした。国際問題がからむため、政府機関からの承認が必要だとしたが、「(政府機関の)フィリピン国家歴史委員会が(式典に)含まれているので、政府がすでに承認したと思った」と説明している。
 マニラ市は慰安婦像の今後の扱いについて、外務省からの指示を待つとした。



http://www.sankei.com/world/news/171216/wor1712160061-n1.html
http://www.sankei.com/world/news/171216/wor1712160061-n2.html
http://www.sankei.com/world/news/171216/wor1712160061-n3.html
http://www.sankei.com/world/news/171216/wor1712160061-n4.html
「産経ニュース」 2017.12.16 22:42
■「フィリピン慰安婦像」現地ルポ 日本側に動き察知されぬようステルス化する中華系団体 大統領府も「寝耳に水」

【写真】フィリピンのマニラ湾に面した遊歩道に建った慰安婦像を見つめる人々(吉村英輝撮影)

 フィリピンのマニラ湾に臨む約3キロの遊歩道には、元大統領や人気俳優らの銅像が立ち、市民に親しまれている。そこに唯一、実在した人物ではない像が加わった。中華系団体が、フィリピンの人権団体を巻き込みひそかに準備を進め、マニラ市や政府機関の“お墨付き”を得て、8日に除幕した「慰安婦像」だ。設置までの工作には、日本側に事前に動きを察知されないようにする手法の“ステルス化”が浮かび上がる。
     (マニラ 吉村英輝)

★責任のなすり付け合い
 台座正面の碑文には「日本占領下の1942~45年に虐待を受けたフィリピン人女性犠牲者の記憶」などとある。タガログ語で書かれ表現は穏当だ。「慰安婦」の言葉もない。政府機関であるフィリピン国家歴史委員会が作成した。
 ある委員は、慰安婦像作製は現地の人権団体「リラ・ピリピーナ」などが2014年から始め、今年10月に碑文作成を要請してきたとした。1990年代の韓国での慰安婦運動をフィリピンに導入した団体だ。
 歴史委員会は、年間約30件の碑文を全国の歴史建築物などに設置しているが、新設の銅像が対象となるのは「異例」という。「マニラ市からの協力要請」を受け、歴史家らからなる委員6人で決めたと強調した。
 この委員は、日本政府の反発に「銅像は民間団体からの寄贈で、私たちの責任は碑文のみ。除幕式も招かれただけだ」と困惑した。6日にホームページで除幕式を公表したが、その後「騒ぎを受け削除した」。
 だが、遊歩道を管轄するマニラ市側の担当者は、慰安婦像の設置や除幕式を行政的に主導したのは、歴史委員会だと反論した。エストラーダ市長宛てに11月16日付で届いた除幕式の招待状は確かに歴史委員会から出されており、「招かれた」との説明とは食い違う。
 市長代理として除幕式に参加した幹部は、日中間の懸案事項に関わる式典に違和感を覚え、用意された祝辞の代読前に「問題になりませんように」と挨拶。歴史委員会の担当者に外務省の承諾を確認したが、「即答がなかった」と説明しているという。委員会と市側が責任をなすり付け合っている。

★「慰安婦」を知らない現地市民
 フィリピンの慰安婦像の台座裏には、寄贈者の5個人・団体名が刻まれている。ほぼ全て華人だ。英語で「フィリピン人慰安婦の像」と記され、フィリピン人作製者名もある。もっとも、慰安婦像前で足を止めた市民数人に聞いたが、「慰安婦」を知る人はいなかった。
 慰安婦像を警備していた男性によると、像の建造が始まったのは今夏。銅像のはす向かいにある「アロハ・ホテル」に雇われているという。同ホテル経営者は台座裏に名がある華人、マニュエル・チュア氏。「マニラ市役所にも人脈を持つ」(地元記者)という。
 関係者によると、除幕式出席者らは、同ホテルに待機して式典に向かった。呼ばれたメディアは、中国国営新華社通信など中国系のみ。式典を報じたのも中国系だけで、現地メディアはほぼ伝えていない。当事者であるはずの元慰安婦や日本も“除外”された。

★「日本メディアの取材は受けない」
 ほかの寄贈者名には、日本占領期に抗日ゲリラだった華人のほか、比華人団体「トゥライ財団」も。同財団は路上孤児救済などで実績がある。なぜ急に慰安婦問題に関与したかは不明だが、「日本メディアの取材は受けない」という。最後の「ワイ・ミン(惠明)慈善基金有限会社」は、香港が拠点で、創設者の鍾惠明氏は、中国本土の慰安婦救済や日本への賠償請求支援を行ってきたとされる。
 「慰安婦」をキーワードに海外の華人ネットワークを駆使する中国の反日プロパガンダは、オーストラリアでも2015年に行われたが、公共の場への慰安婦像設置の嘆願は、当該市が地方自治体の判断の範囲外だとして認めなかった。
 豪州では問題が表沙汰になったこともあって日本政府も動き対抗した。だが今回、在フィリピン日本大使館は、除幕式翌日の9日の報道で動きを知った。連絡を密にしている大統領府や外務省へ問い合わせたが「向こうも寝耳に水」(幹部)で、後の祭りだった。

★日比の友好に中国がくさび
 隠れて既成事実を積み重ね開き直る中国の手法は、南シナ海の人工島の軍事拠点化でも実証済みだ。
 人権派弁護士として慰安婦問題にも携わってきた、フィリピンのロケ大統領報道官は11日、今回の慰安婦像について「支持もしないし、反対の立場もとらない」と述べた。
 日比が戦後に築いてきた友好関係に、中国の新たなくさびが打ち込まれた。

【用語解説】フィリピンの慰安婦問題
 日本とフィリピン両政府は、先の大戦の賠償問題などはサンフランシスコ平和条約で解決済みとしているが、フィリピンで、日本軍占領下(1942~45年)に慰安婦だったという女性らが90年代に名乗り出た。村山内閣当時の95年に発足した「アジア女性基金」が「償い金」などとしてフィリピンの元慰安婦211人に1人320万円を支払った。これを拒否し日本政府に「公式な謝罪と賠償」を求める動きもある。
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「日本に強制徴用された労働者の像 韓国・済州島に設置」

2017年12月20日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2017/12/07/0400000000AJP20171207002900882.HTML
「聯合ニュース」2017/12/07 14:43
■日本に強制徴用された労働者の像 韓国・済州島に設置
【済州聯合ニュース】日本による植民地時代に強制徴用された労働者を象徴する像の除幕式が7日、韓国南部・済州島の済州港第2埠頭(ふとう)沿岸旅客ターミナル前で行われた。

【写真】済州港第2埠頭沿岸旅客ターミナル前に設置された労働者像=7日、済州(聯合ニュース)

 同島の市民団体などでつくる「済州地域日帝強制動員労働者像建立推進委員会」が7月に結成され、像の設置を進めてきた。
 除幕式に出席した済州大のチョ・ソンユン教授は「済州港は数多くの済州人が植民地時代、日本やサハリン、南洋群島などに強制徴用されるルートとなった」として、「南洋群島のマーシャル諸島だけでも58人が徴用され、うち32人は現地で亡くなり遺骨も故郷に戻らなかった」と説明。「強制徴用という痛ましい記憶を思い出すきっかけとして、その記憶を再生産する『工場』として、労働者像をここに建てることになった」と述べた。
 推進委によると、労働者像の横に建てられた塔の設置には135の団体・個人、銅板の設置には1785人が関わった。
 学界は、済州島からの強制徴用者は約7500人で、死者は1000人を上回ると推定している。



http://www.asahi.com/articles/ASKD722GPKD7UHBI00H.html
「朝日新聞デジタル」2017年12月8日09時27分  済州=武田肇
■韓国・済州島に「徴用工」像 日本総領事館前は許可出ず

【写真】韓国・済州市に7日、民間団体が建てた日本統治時代の徴用工を象徴する像。当初は日本総領事館前の設置予定だった=武田肇撮影

 韓国・済州島(チェジュド)の済州市で7日、日本統治時代に朝鮮半島から労務動員された「徴用工」を象徴する像の除幕式があった。韓国内での徴用工像の設置は少なくとも3件目。設置した民間団体は当初、日本総領事館前に計画したが地元自治体の許可が出ず、約7キロ離れた旅客船ターミナル前に建てた。今後は総領事館前への移設を目指すとしている。
 設置したのは全国民主労働組合総連盟(民主労総)が主導する民間団体。元徴用工が求める個人賠償について、日本政府が「1965年の日韓請求権協定で解決済み」との立場であることを批判し、「日本が過ちを認めない現実を変える」として募金活動を展開。約5千万ウォン(500万円)を集めた。
 像は、動員先の日本の鉱山で故郷を眺める、名もなき朝鮮半島出身者という設定で、土台には「強制動員のつらい歴史を記憶し、平和と解放の道に向かって進みます」と刻まれた。
 民間団体は7月、アピール効果をねらって日本総領事館前に設置すると発表。日本政府は「外交関係に関するウィーン条約に照らして問題」と反発し、韓国政府に適切な対応をとるよう要請した。民間団体によると、総領事館前の道路を管理する地元自治体は今回、許可を出さなかった。民間団体幹部は「強硬手段をとることもできたが、まずは像を建てることを優先した」と話した。
 別の団体はソウルの日本大使館前、釜山の日本総領事館前に徴用工像を建てる計画を発表しており、日本政府は同様の申し入れを韓国政府に行っている。設置された場合、日韓関係がさらに緊張するのは必至だ。
 一方、大韓弁護士協会は11月、日本企業に対して元徴用工への賠償を命じるかどうかの最終判断を4年以上、下していない大法院(最高裁)に対し「迅速な判決と被害者救済」を求める声明を出した。進歩(革新)系野党「国民の党」の所属議員も今月7日、元徴用工の支援を盛り込んだ法案を提案した。
 文在寅(ムンジェイン)政権は「歴史問題の安定的な管理と未来志向」をうたっているが、徴用工の問題をめぐる動きが活発化する背景には、歴史認識問題で日本に厳しい姿勢を示す文政権に対する、韓国民の期待があるとみられる。
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「南太平洋トラック島に閉じ込められた朝鮮人「慰安婦」被害者の悲しい歴史」

2017年12月19日 | 日本軍隊性奴隷
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/29211.html
「The Hankyoreh」登録:2017-12-11 20:57 修正:2017-12-12 07:59
■南太平洋トラック島に閉じ込められた朝鮮人「慰安婦」被害者の悲しい歴史
 ソウル市記録物事業で朝鮮人「慰安婦」被害者26人を確認 
 フィリピン・マニラから帰ってきた33人の帰還名簿も入手 
 「確認された被害者数にとどまらず積極的に発掘すべき」

【写真】トラック島の朝鮮人の写真資料に収めされたイ・ボクスンさんの姿=ソウル市提供//ハンギョレ新聞社

 1943年慶尚北道漆谷(チルゴク)で裁縫工場に通っていた17歳の少女は、もっとお金を稼げる工場を紹介するという言葉にだまされ、船に乗ってトラック島に連れていかれた。
 ミクロネシア連邦に属するトラック島(チューク諸島)は、太平洋戦争当時、日本海軍艦隊の主要基地であり、多くの朝鮮人が基地の建設などに強制動員された所だ。これまでトラック島で朝鮮人「慰安婦」被害者を見たという回顧は多かった。しかし、実際の慰安婦被害記録が史料で明らかになったのは今回が初めてだ。11日、ソウル市とソウル大学人権センターのチョン・ジンソン教授研究チームは、米軍の戦闘日誌、朝鮮人「慰安婦」被害者が帰還当時に乗った「生野」号の乗船名簿、帰還当時の写真資料、ニューヨークタイムズの記事などの資料を発掘し、トラック島に朝鮮人「慰安婦」被害者26人がいた事実が立証されたと明らかにした。イ・ボクスンさんは1946年に「生野」号に乗り3年ぶりに帰ってくることができた。

【写真】イ・ボクスンさんが日本軍「慰安婦」として連れていかれ、帰ってきた際の移動経路=ソウル市提供//ハンギョレ新聞社

 米軍の戦闘日誌によれば、「生野」号に乗って本国に戻った1万4298人のうち3483人が朝鮮人で、そのうち軍人が190人、海軍労務者が3049人、民間人が244人だった。イ・ボクスンさんとともに朝鮮に帰還する船に乗った人の中には、朝鮮人「慰安婦」被害者26人と子ども3人もいた。

【写真】ハ・ボクヒャンさんの捕虜尋問カードと2001年当時のハさんの生前の姿=ソウル市提供//ハンギョレ新聞社

 今回の資料発掘では、これまで「慰安婦」被害者として公式に登録されていなかった他の被害者の存在も明らかになった。慶尚北道慶山(キョンサン)出身のハ・ボクヒャンさんは、1941年15歳の時に工場の働き口を紹介するという言葉にだまされて紹介人について行き、フィリピンのマニラで日本軍「慰安婦」生活を余儀なくされた。ハさんは「慰安婦」被害者としての登録が始まる前の2001年に亡くなり、被害の事実も闇に埋められた。
 しかし最近、ソウル大学人権センターの研究チームが確保したフィリピンに連れられて行った「慰安婦」被害者の捕虜尋問カードには、ハ・ボクヒャンさんが1945年9月14日にフィリピンのルソン島で米軍に発見され、ルソン第1収容所に収容され帰還船に乗った記録が残っていた。カ・プコという異なる名前だったが、研究チームがハさんの生前写真、十指の指紋を照らし合わせハさんの身元を確認した。
 第2のイ・ボクスン、ハ・ボクヒャンさんのような人はどれくらいいるのか?ソウル大学人権センターのパク・チョンエ教授は「日帝強制占領当時、警察が女性の強制動員をデマだとして強力に取り締まる雰囲気だったため、朝鮮人慰安婦が連れていかれた記録はない。しかし、解放後に帰って来た記録はある。30人余りの尋問カードを持っているので、今後も追加の被害者を確認できるはずだ。韓国政府は被害者として自主的に登録した239人にとどまらず、被害実態の調査に積極的に取り組まなければならない」と述べた。ソウル市は、来年1月に2年間推進してきた日本軍「慰安婦」記録物管理事業の結果を本にして出版する予定だ。

ナム・ウンジュ記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/822991.html
韓国語原文入力:2017-12-11 18:05


http://japanese.joins.com/article/390/236390.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp
「中央日報日本語版」2017年12月11日14時56分
■南太平洋「トラック島」慰安婦被害者の実体、資料で初めて証明

【写真】トラック島に慰安婦として連行されたイ・ボクスンさんの写真(資料提供=ソウル市)

南太平洋の日本海軍基地に朝鮮人慰安婦被害者がいたという事実が資料で確認された。ソウル市とソウル大学人権センターは、南太平洋にある「トラック島」〔現・チューク諸島(Chuuk Islands)〕に連行された朝鮮人慰安婦の存在を米軍記録等を通して確認したと11日、公表した。
 済州道(チェジュド)から南西に約4000キロメートル離れたトラック島は第2次大戦時、旧日本海軍艦隊の主要基地だった。当時、朝鮮人が基地建設などのためにここに強制動員された。もともと「チューク」と呼ばれた地名はドイツ軍占領後「トゥルーク」に変わり、その後日本軍が「トラック」と発音したことでトラック島として知られるようになった。島は現在、ミクロネシア連邦に属している。
 ソウル市は当時米軍が作成した戦闘日時や朝鮮人慰安婦が帰還当時に搭乗した護衛艦の乗船人名簿、朝鮮人の帰還を扱ったニューヨーク・タイムズの記事などの資料を発掘して朝鮮人慰安婦被害者26人の実体を明らかにした。フィリピンやカンボジアなどの日本軍戦線に慰安婦が存在していたことは広く知られていたが、南太平洋海軍基地にも慰安婦被害者がいたということが確認されたのは今回が初めてだ。
 今回発掘された1946年3月2日付けのニューヨーク・タイムズ記事「トラック島の日本人は捕虜ではない(Japanese On Truk Are Not Prisoners)」は朝鮮人がトラック島を離れる状況を具体的に描いている。記事は「トラック島の司令官である海兵准将ロバート・ブレイクが朝鮮人と27人の朝鮮人慰安婦(Comfort Girls)を故郷に返した」とし「ブレイクによると、女性らは残って米国人のために仕事をすることを望んだ。女性たちは他の朝鮮人が日本軍に協力したという理由で自分たちを海に投げ落とすだろうと言って恐れた」と描写した。この記事では、慰安婦を27人と記載しているが、これは子ども3人のうち1人を慰安婦に分類したものに伴うものと見られると研究チームは説明した。
 戦闘日誌によると、帰還した計1万4298人のうち3483人が朝鮮人で、そのうち軍人は190人、海軍労務者は3049人、民間人は244人だった。そのうちの朝鮮人慰安婦26人は1946年1月17日、護衛艦「いきの(IKINO)」に乗り日本を経由して朝鮮に帰還した。
 同艦の乗船人名簿には、慰安婦被害者26人の名前が創氏改名による日本式の名前で記載されていたため身元確認には困難が伴った。ソウル市関係者は「政府に公式登録されている慰安婦被害女性のうち、唯一トラック島に連行された故イ・ボクスンさんを探すことを1次目標にした」と説明した。研究チームは名簿に含まれた名前のうち、大邱(テグ)に住所があった「仁川福順(HITOKAWA FUKUJUN)」がイ・ボクスンさんの創氏改名後の名前だと見て追跡に入った。
 イ・ボクスンさんは生前は口述資料を残しておらず、1993年12月に政府に被害を申告した時にも被害についての簡略内容しか残していなかったため、その人生がベールに包まれていた。研究チームが、生前にイ・ボクスンさんと身近に接していた大邱ヒウム日本軍慰安婦歴史館のイ・インスン館長にトラック島の慰安婦写真を見せると、イ館長はすぐにこの写真の人物がイ・ボクスンさんだと分かったという。数日後、イ・ボクスンさんの息子もこの写真が自分の母親であることに間違いないと確認した。研究チームは「イ・ボクスンさんの夫の戸籍がある慶尚北道安東市の(キョンサンブクド・アンドンシ)の吉安面(キランミョン)事務所関係者らが除籍謄本を一つ一つ確認してボクスンさんの創氏名と住所を捜し出した」と説明した。
 ソウル市とソウル大学研究チームは米国国立文書記録管理庁に保管されている資料を発掘してこのような確認作業に成功した。ことし7月、世界で初めて朝鮮人「慰安婦」を実際に撮影した映像を発掘・公開したことに続く成果だ。市は過去2年間にわたって発掘してきた慰安婦資料を基に、来年1月、単行本を出版する計画だ。


http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/12/12/2017121201169.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/12/12/2017121201169_2.html
「朝鮮日報日本語版」2017/12/12 10:45
■トラック島の朝鮮人慰安婦、米公文書で確認
 これまでは証言のみだった南太平洋トラック島(チュ―ク諸島)の朝鮮人慰安婦の存在が、米国の文書を通して確認された。ソウル市は11日、ソウル大学人権センターの鄭鎮星(チョン・ジンソン)教授率いるチームと共同でトラック島の元朝鮮人慰安婦26人の存在を確認できる米海軍の戦闘日誌と、帰還当時連合軍が撮影した写真、搭乗記録がある乗船名簿、ニューヨーク・タイムズの記事などを発掘したと発表した。トラック島は太平洋南西部にある島で、第2次大戦当時、日本海軍の艦隊の主要基地として使われた。朝鮮人が基地建設のため強制動員された場所の一つでもある。
 研究チームが米国国立公文書記録管理庁で発掘した米軍の戦闘日誌によると、トラック島から帰還した1万4298人のうち朝鮮人は3483人だった。戦闘日誌の医療記録には「この人々(朝鮮人女性)のほとんどは慰安婦だった」という文言があった。研究チームは「日本軍の資料や捕虜の尋問を基に作られた米軍の戦闘日誌からも、この人々を慰安婦と呼んだ記録が見つかった」と説明した。
 朝鮮人慰安婦などは、1946年1月に「イキノ号」に乗って、日本を経由して故国へ帰還した。研究チームが探し出した当時のニューヨーク・タイムズの記事には「司令官が朝鮮人慰安婦(Comfort Girl)27人と朝鮮人らを送った」と記されていた。研究チームは「実際に乗船名簿を見ると慰安婦は26人で、記事では子ども3人のうち1人を慰安婦に分類していたとみられる」と説明した。記事によると、この女性たちは島に残ることを希望したが、受け入れられなかった。慰安婦の女性たちは「日本軍に協力していたと言って、ほかの朝鮮人は私たちを海に落とすだろう」と恐れていたという。
 イキノ号の乗船名簿では、慰安婦の女性26人と子ども3人の名前・職業・住所を確認できた。このうち1人だけ、連合軍が撮った写真を通して身元が確認された。研究チームは、「ハトガワ フクジュン」という姓名を記した女性について、元慰安婦として登録された故イ・ボクスンさん(1926-2008)であることを明らかにした。イ・ボクスンさんの息子が、トラック島の慰安婦の写真で母親の顔を見つけ、イさんの除籍謄本を調べてみると「ハトガワ フクジュン」という姓名が合致。住所も生前暮らしていた場所と一致した。
 また研究チームは、別の元慰安婦、故ハ・ボクヒャンさん(1926-2001)の被害事実も、証言がなされてから16年を経て資料で証明した。ハさんは2001年、韓国挺身(ていしん)隊研究所に被害事実を語ったが、被害者として登録される前に世を去った。研究チームは、前もって確保したフィリピン捕虜収容所の尋問カードと照らし合わせ、ハさんの口述内容を裏付ける客観的な証拠を見つけた。研究チームは、動員された慰安婦の捕虜尋問カード33点に記録された写真と生年月日、住所、両手の指紋をハさんの身元情報と照合した。指紋の鑑識を依頼した警察庁からは「一致する」という回答が得られ、慶尚北道慶山と記載されていた住所も、ハさんの証言と一致することを確認した。
     ペク・スジン記者


http://japanese.donga.com/Home/3/all/27/1153940/1
「東亜日報」December. 12, 2017 09:38
■南太平洋の「トラック島」で韓国人の元慰安婦26人を確認
 南太平洋のミクロネシアを構成する600余りの島の中に「トラック島」がある。正式名称は、チューク(chuuk)諸島だ。ソウルから約4200キロ離れたところである。日本植民地時代にはるか遠いこのトラック島まで日本軍慰安婦として連れていかれた韓国人の存在が、資料を通して初めて確認された。
 ソウル市とソウル大学人権センターの鄭鎭星(チョン・ジンソン)教授の研究チームは、トラック島に連れていかれた韓国人元慰安婦26人のリストを発見したと、11日明らかにした。当時、韓国人慰安婦が乗った日本船舶「イキノ丸」の乗船名簿と米軍が書いた戦闘日誌、写真資料、ニューヨークタイムズの記事などを分析した結果だ。乗船名簿に記載された朝鮮人は249人。このうち女性26人が慰安婦と推定された。
 彼女らの名前は、創氏改名した日本式名前であり、職業は労働者と書かれている。特に大邱(テグ)出身の「ヒトカワ・フクジュン」という人物は、2011年に死亡した元慰安婦イ・ボクスンさんと確認された。イさんは、韓国政府が把握した元慰安婦239人のうち、唯一トラック島に連れて行かれたと証言した。トラック島は太平洋戦争当時、日本海軍の艦隊が駐留していたところである。チュークの日本式発音である「チュルーク」「トラーク」が韓国で「トラック」に変わったことが分かった。
 政府への登録前にこの世を去ったハ・ボクヒャンさんの被害事実を立証する資料も公開された。研究チームは、連合軍が作った慰安婦被害者33人の捕虜尋問カードで、ハさんと推定された「カ・フクコウ」の個人情報と十本の指の指紋を照合して、同一人物であることを確認した。
 研究チームは昨年から米国立公文書記録管理局と英国立公文書保管所の資料168件を分析した。その結果をもとに来月、「文書と写真、証言で見る日本軍慰安婦の物語」1、2巻を出版し、総合展示会を開く計画だ。
     洪禎秀 hong@donga.com
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「ベルリンで難民女性を慰労したキル・ウォノクさん」

2017年12月18日 | 日本軍隊性奴隷
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/29148.html
「The Hankyoreh」 2017.12.04 08:07
■ベルリンで難民女性を慰労したキル・ウォノクさん
 欧州連合議会の「慰安婦決議案」 
 10周年を迎えてベルリン訪問 
 アフリカ難民などにナビ基金

【写真】キル・ウォノクさんが1日(現地時間)、ドイツ・ベルリンの最大の女性団体である「テレデファム」事務所で難民女性たちとともに記者会見をしてナビ基金を渡している=ベルリン/パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社

 「恨多き大同江(テドンガン)よー、変わりはないか牡丹峰(モランボン)よー」。
 1日(現地時間)、ドイツ・ベルリン市内のある女性人権団体の事務所に卒寿のおばあさんの切々とした歌が流れた。13歳の時に日本軍慰安婦として連れて行かれ、8・15光復後には分断で故郷(平壌)の地を踏むことができなかったキル・ウォノクさん(90)の恨(ハン)のこもった歌だ。
 ドイツの平和・人権団体であるドイツ・コリア協議会の招待でベルリンに到着したキルさんはこの日、記者会見に出席した人々の要請で、自分の人生を代弁するような歌「恨多き大同江」を物悲しくうたった。幾人かの参加者は涙を流した。キルさんは欧州連合議会の日本軍慰安婦問題解決を求める決議文採択10周年を迎えベルリンを訪れた。欧州連合議会は2007年12月12日、日本政府に慰安婦犯罪の公式認定と謝罪および歴史的・法的責任を問うことを求める決議文を採択している。
 キルさんはこの20年余りの間、日本をはじめオーストラリア、オランダ、英国、ベルギー、ドイツ、カナダを巡りながら日本の蛮行を告発し、被害賠償を要求する活動を行ってきた。特に紛争地域などで、性暴力に苦しむ女性たちの人権回復にも先頭に立った。キルさんは彼女たちを支援するために2012年3月、同じ被害者であるキム・ボクトンさんなどとともに「ナビ(蝶)基金」を作った。慰安婦被害賠償金を受け取る場合は全額寄付することも約束した。最近は「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶財団」の女性人権賞の賞金5000万ウォン(約518万円)も財団に寄付した。この日、キルさんはベルリンに居住するアフリカ難民女性たちの支援に1000ユーロ(約13万円)を寄付した。寄付金を渡されたコンゴとカメルーン出身の難民女性活動家らは涙ぐみながら感謝の気持ちを伝えた。また、この日キルさんを訪ねてきたシリア難民出身のアビアー・マバスは、シリアの女性抑圧の実態も告発した。彼女は「シリアの女性たちは性暴力と強制売春に苦しんでいる。黒い靴下を履かなかったという理由で、爪にマニキュアを塗ったという理由で、男性がおらず一人で外出したという理由で、水拷問などを受けている」と暴露した。
 キルさんは「(世界各地に)性暴力被害に苦しみながら生きる女性が多いという。これから私たちのような犠牲者が生まれないよう皆さんが努力して、良い結果を結ぶことを願う」と話した。さらに、「(慰安婦問題の)真実がすぐには明らかにされなくても、いつかは明らかになるだろうと信じている。私が(真相究明を)成し遂げられなくても、(水曜集会に参加する)若い人たちが成し遂げてくれるだろう」と話した。
 「今回が生涯最後の海外訪問になるだろう」というキルさんは、飛行機を乗り換えたフィンランドのヘルシンキで体調が悪くなり、韓国に帰ることになるかもしれなかった。キルさんは8日までベルリンに滞在し、「軍事衝突の中の女性暴力」をテーマにしたカンファレンスとドイツのフリードリヒ・エバート財団が韓国のろうそく集会に授与する人権賞授賞式にも出席する予定だ。

ベルリン/キム・ドンフン記者
韓国語原文入力:2017-12-03 19:55
http://www.hani.co.kr/arti/society/rights/821839.html
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「「違法積置物」扱いされた釜山少女像、暖かい冬迎える」

2017年12月17日 | 日本軍隊性奴隷
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/29118.html
「The Hankyoreh」 2017.11.30 06:58
■「違法積置物」扱いされた釜山少女像、暖かい冬迎える
 設置1周年迎えた釜山少女像 
 市民団体「いまだに残っている日帝強制占領期の積弊の清算行事を進める」 

【写真】昨年12月29日午前、ソウル鍾路区の日本大使館前で「韓日日本軍慰安婦合意無効のための大学生対策委員会」と「大学生同胞運動本部」の学生らが、前日行われた釜山日本領事館前の「平和の少女像」撤去に抗議する記者会見を開いている=キム・テヒョン記者//ハンギョレ新聞社

 昨年12月31日夜9時14分、釜山東区(トング)草梁洞(チョリャンドン)の日本総領事館前の歩道。市民代表13人が「平和の少女像」を覆った布を取り払うと、除幕式を見に来た市民数千人が一斉に歓声を上げた。市民は「国民が勝利した。少女像を守っていこう」と声を高めた。
 釜山少女像がここに建てられるまでには様々な困難があった。朴槿恵(パク・クネ)政権時代の2015年12月28日、韓国・日本両国は、日本軍「慰安婦」問題が「最終的かつ不可逆的に解決された」(12・28合意)と宣言した。日本政府のきちんとした謝罪もなく、国家犯罪に対する法的責任も抜けた状態だった。
 屈辱的な合意だとして、国民は憤った。釜山(プサン)の青少年が先に乗り出した。昨年1月6日からCさん(当時17)が日本総領事館前で、白いチョゴリに黒いスカート姿で「人の少女像」1人デモを始めた。Cさんは「屈辱的売国協定である慰安婦合意に反対、少女像を守ってください」というプラカードを持っていた。市民らは人の少女像にマフラーと手袋を手渡した。人の少女像は同日から昨年12月30日まで360日間続いた。
 釜山の青少年や大学生など若者たちは昨年3月、市民募金で少女像を建立するため、「未来世代が経てる平和の少女像推進委員会」(推進委)を立ち上げた。当時、釜山には少女像がなかった。市民や学生など5332人が力を合わせた。推進委は昨年8~11月、日本総領事館前の歩道を管理する自治体である東区に少女像の建設を要請したが、東区は道路法を理由に少女銅像の建立を許可しなかった。推進委は昨年12月28日、日本総領事館の前に少女像を設置したが、東区は不法積置物だとして、少女像を強制撤去した後、返還を拒否した。国民の激しい抗議と批判に東区は2日後の30日、少女像を返還すると共に設置を許可した。推進委は昨年12月31日、少女像の除幕式を開いた。
 しかし、少女像は、一部の市民が捨てたゴミや違法プラカードの設置などに苦しんだ。法的に違法占有物であるため、自治体が直接管理できなかった。釜山市議会は今年6月、地方自治体が少女像を管理し、違法行為などを取り締まることができるよう条例を作った。
 少女像の設置1周年を迎え、釜山市民団体は様々な行事を開く。「少女像を守る釜山市民行動」は29日、「来月22~28日を『少女像建設1周年釜山市民行動週間』に決め、様々な行事や展示会を行う」と発表した。同団体は「この1年間、少女像は国民から愛されてきた。しかし、12・28合意は依然として存在している。日本政府の心からの謝罪と賠償はまだ行われていない。少女像建設の意味や日本軍『慰安婦』問題、朝鮮人強制徴用など、日帝強制占領期(日本の植民地時代)の積弊の清算を盛り込んだ行事を進める」と話した。

釜山/キム・ヨンドン記者
韓国語原文入力:2017-11-29 15:56
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/821243.html


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/27795.html
「The Hankyoreh」 2017.07.01 07:15
■釜山市議会、少女像条例案4カ月で制定
 自治体が少女像管理の法的根拠作った 
 日本軍「慰安婦」関連資料の保全なども推進

【写真】釜山少女像//ハンギョレ新聞社

 釜山の日本総領事館前に建てられた「平和の少女像」(釜山少女像)を自治体が管理して保護できる法的根拠が設けられた。
 釜山市議会は30日午前、本会議を開き「釜山市日帝下の日本軍慰安婦被害者支援及び記念事業に関する条例案」を可決した。同条例には、地方自治団体が日本軍「慰安婦」関連造形物や銅像の設置・管理を支援する内容が盛り込まれている。自治体が釜山少女像を管理して不法行為などを取り締まることができるようになったのだ。条例制定前の釜山少女像は、法的には不法占有物であり、自治体が直接少女像を管理できなかった。このため、女像近くへのゴミ投棄や横断幕の設置など国民的公憤を買った一部市民の行動を防げなかった。
 また、条例には、日本軍「慰安婦」被害者に対する生活安定支援と歴史資料の保存・研究などの記念事業推進に対する内容も盛り込まれている。釜山には日本軍「慰安婦」被害者が一人住んでおり、被害者に毎月生活補助費として100万ウォン(約9万8千円)が支給される。
 条例案は、今年2月チョン・ミョンヒ釜山市議員(共に民主党)が発議した。釜山市議会福祉環境委員会は先月17日、常任委員会で条例案を上程しようとした。「ムン・ヒサン特使が日本を訪問した日(5月17日)には常任委員会が開かれないようにしてほしい」というユン・ビョンセ当時外交部長官の要請を受けた釜山市が、市議会に協力を求め、結局、条例案の上程が先送りされた。以後、条例案をめぐる議論が深刻化し、難航の末に6月23日、釜山少女像条例案が市議会常任委員会を通過した。
 チョン議員は「釜山少女像をめぐって様々な議論と圧迫があった。しかし、市民の熱意と国民的世論によって、本日、この条例が作られた。釜山少女像は市民と国民が建てたものだ。釜山でも“国民主権時代”が開かれたと思う」と話した。さらに、彼は「釜山でも日本軍『慰安婦』と関連した記念事業が行われる。釜山にいる日本軍『慰安婦』被害者の一人が健在の間、日本から真の謝罪と法的賠償を受けられることを願っている」と付け加えた。

釜山/キム・ヨンドン記者
韓国語原文入力:2017-06-30 21:21
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/800935.html
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「韓国国会「韓日慰安婦合意の廃棄要求」決議案発議」

2017年12月16日 | 日本軍隊性奴隷
http://japanese.joins.com/article/970/235970.html?servcode=a00§code=a10&cloc=jp
「中央日報日本語版」 2017年11月29日15時42分
■韓国国会「韓日慰安婦合意の廃棄要求」決議案発議
 韓国国会が2年前の韓日政府の間で妥結した「韓日慰安婦合意」の廃棄を促す決議案を発議した。
 29日、国民の党のチョ・べスク議員などは国会で記者会見を行って2015年12月韓日外交部長官が共同記者会見を通じて公表した合意は慰安婦被害者と韓国国民に怒りと深い失望感を抱かせたとし、必ず廃棄されなければならないと主張した。
 チョ・べスク議員など19人の議員が発議した決議案によると、韓日政府間合意が被害当事者の意思を十分に反映しておらず、人間としての尊厳と価値を保証され、国家と外交的に保護されなければならない権利を侵害したため、無効だと宣言した。
 また、日本政府は旧日本軍「慰安婦」被害が戦時に旧日本軍主導の下で強行された反人権的性暴行犯罪であることを認め、被害者に対する公式謝罪と法的責任を履行するように求めた。
 また、韓国政府は裏面合意の疑惑が提起されているだけに、日本との合意過程の文書を直ちに公開し、合意に対する即時廃棄を確認した後、迅速に再交渉することを呼びかけた。


http://www.asahi.com/articles/ASKCY36HNKCYUHBI00Z.html
「朝日新聞デジタル」 2017年11月29日10時23分
■韓国野党「日韓慰安婦合意破棄を」 国会決議採択求める
 韓国の進歩(革新)系野党「国民の党」の所属議員19人は29日午前、韓国国会内で記者会見し、2015年末の日韓慰安婦合意の破棄や合意文書の公開を求める国会決議を採択するよう求めた。
 決議案は、合意は元慰安婦らの意思を反映せず、自国民保護を怠ったと批判。合意を破棄し、日韓が再交渉を早期に始めるよう求めている。日本に対して「歴史の真実から顔を背けず、日本軍主導で行われた戦時性暴力犯罪だと認め、被害者に公式的に謝罪し、法的責任を履行することを求める」とした。(ソウル=牧野愛博)


https://www.nikkei.com/article/DGXMZO2404007029112017PP8000/
「日本経済新聞 電子版」 2017/11/29 20:00
■韓国野党議員、慰安婦合意廃棄求める
【ソウル=峯岸博】韓国の中道系野党、国民の党の所属議員19人は29日、国会内で記者会見し、2015年12月の従軍慰安婦問題をめぐる日韓合意の破棄や早期の再交渉を求める国会決議を採択するよう求めた。合意は元慰安婦らの意思を十分に反映せず、自国民保護を怠ったと批判。日本政府による元慰安婦らへの公式謝罪と法的責任の履行が必要だと主張した。文在寅(ムン・ジェイン)大統領を支える革新系与党「共に民主党」が応じるかは不透明だ。
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韓国の元慰安婦ら、「女性人権賞」の副賞賞金2000万円を寄付

2017年12月15日 | 日本軍隊性奴隷
http://www.recordchina.co.jp/b223583-s0-c30.html
「Record china」 2017年11月30日(木) 6時50分
■韓国の元慰安婦ら、「女性人権賞」の副賞賞金2000万円を寄付=韓国ネット「日本よ、重要なのはお金じゃない」「日本から受け取った金も返そう」

【写真】元慰安婦の肖像。

 2017年11月28日、慰安婦問題をめぐる日韓合意に反対する韓国の団体からこのほど「女性人権賞」を授与された元慰安婦の女性3人が、受賞賞金の一部を寄付した。韓国・ニュース1などが報じた。
 この賞は、元慰安婦らを支援する「韓国挺身隊問題対策協議会」などがつくった団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶財団」が25日、慰安婦問題の解決や戦時の性暴力の再発防止に取り組んできたことをたたえ元慰安婦3人に授与したもの。財団は28日、受賞者らが副賞として授与された賞金を財団に寄付したことを明らかにした。
 賞金は、今年8月15日から100日間行われた「100万市民募金運動」で集まった募金を元としたもので、受賞者3人に各1億ウォン(約1030万円)が贈られていた。その後、受賞した吉元玉(キル・ウォノク)さん、金福童(キム・ボクトン)さんがそれぞれ5000万ウォン(約510万円)を、日本在住の宋神道(ソン・シンド)さんが1億ウォン全額を財団に寄付したという。
 財団は、「おばさんたちの深い志を受け継ぎ、日本軍性奴隷制問題の正義ある解決や戦時における性暴力の再発防止に向けさまざまな事業を積極的に進めていく」と明らかにした。
 この報道に、韓国のネットユーザーからは「本当に尊敬します。そして本当にごめんなさい」「おばあさんたち、いつまでもお元気で」「苦しい環境でも寄付をするその意志を皆にも考えてみてほしい」など、元慰安婦への感謝や慰めの声が多く寄せられている。
 また「日本はよく見るんだ。重要なのはお金じゃない」「日本には、おばあさんたちが生きているうちに誠意ある謝罪をしてほしい」「おばあさんたちはお金が欲しくて活動してるわけじゃない。日本が心から謝罪し、認めるべきことを認めるよう望んでるんだ」と、日本へ呼び掛ける人も多数あった。
 さらに「おばあさんたちは賞金をもらっても何の意味もないよね」「文在寅(ムン・ジェイン大統領)よ、慰安婦合意で日本から受け取った金も返そう。持っていたってどうにもならない」といった指摘もあった。
                
     (翻訳・編集/吉金)


http://japanese.joins.com/article/052/236052.html?servcode=a00§code=a10&cloc=jp|main|top_news
「中央日報日本語版」 2017年12月01日13時43分
■韓日慰安婦合意からもうすぐ2年…韓国ではどのように受け止められているか

【写真】2015年12月28日、ソウル外交部庁舎で韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官(右)と日本の岸田文雄外相が慰安婦問題の解決策をさぐる会談に先立ち、握手をしている。

 約2年前の2015年12月28日、韓国と日本政府が「韓日慰安婦合意」を発表し、それに伴う後続措置を進められているが、韓国では廃棄するべきだという声が強い。
 先月29日、韓国の国会議員20人は2年前に韓日両国政府が結んだ旧日本軍慰安婦被害者問題に関する合意を廃棄するよう求める決議案を発議した。この決議案によると、韓日政府間でなされた合意には被害当事者の意志が十分反映されておらず、人間としての尊厳と価値が保証され外交的に保護されるべき権利を国が侵害したという点で無効だと宣言した。
 同日、ソウル日本大使館前では第1311回水曜集会が開かれた。氷点下になろうかという寒さの中でも慰安婦被害者と数十人の市民が集まって韓日慰安婦合意の廃棄と日本政府の公式謝罪を求めるスローガンを叫んだ。
 これに先立ち、国連人権理事会は先月16日、日本政府は旧日本軍慰安婦問題に対して誠意ある謝罪を行い、犠牲者に対して補償するよう求める勧告を出した。しかし日本政府は「慰安婦合意を通じた韓日協力で慰安婦被害者の名誉と尊厳を回復し、心の傷を癒やす事業を実施している」と主張した。
 一方、韓国外交部はことし8月、韓日慰安婦合意に対するタスクフォースを設けて当時の慰安婦合意の経緯などに関する検討作業を進めている。検討の結果次第では韓日慰安婦合意に対する韓国政府の立場が変わる可能性がある。このような動きに対して日本の河野太郎外相は先月24日、産経新聞とのインタビューで「韓国政府としても反故(ほご)にはできない。『ゴールポスト』はもう固定されている」とし「韓国政府が合意を履行することを期待している」と述べた。
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「「シンガポールには600人の韓国人慰安婦がいた」韓国の研究チームが新たな情報を公開」

2017年12月14日 | 日本軍隊性奴隷
http://www.recordchina.co.jp/b221403-s0-c30.html
「Record china」 2017年11月24日(金) 17時0分
■「シンガポールには600人の韓国人慰安婦がいた」韓国の研究チームが新たな情報を公開=韓国ネットも注目
 2017年11月23日、韓国日報は、韓国の研究チームがシンガポールの旧日本軍慰安所の実態を初めて公開したと報じた。
 韓国女性政策研究院(女政研)は22日、シンガポール国立文書保管所やアーカイブなどを通じて、旧日本軍が日本統治時代に慰安所の設立と管理に組織的に関与したことを立証する史料を140件以上発掘したと明らかにした。これまで旧日本軍慰安所の研究は主に中国一帯を中心に行われており、東南アジア地域にも韓国人慰安婦が存在したという証言や写真などが公開されたことはあったが、具体的な記録が韓国の研究チームによって確認されたのは初めてだという。なお、韓国人慰安婦は約8〜20万人と試算される中で、韓国政府が公式的に確認した被害者は238人にすぎないとされている。
 東国(トングク)大学人間科未来研究所のオ・ヨンイン研究教授チームなどが参加した女政研の「日本軍慰安婦記録物発掘・整理・解説」報告書によると、日本がシンガポールを占領・統治した1942〜1945年に運営していた慰安所は10カ所と把握された。旧日本軍が組織的に慰安所を設立したり、ブローカーが運営したりもしたという。記録では、第二次世界大戦の終わりごろまでにシンガポールに居住していた韓国人慰安婦は600人余りと推定されている。
 シンガポール国立文書保管所に保管されたさまざまな口述資料も明らかになった。オ・ヨンイン教授は「シンガポールでは歴史保存のために1979年から4100人あまりを対象にインタビューを行い国立文書保管所でアーカイブを作っており、口述記録の保存がしっかりしている。そのうち52件が慰安婦に関する記録だった」と説明。「慰安婦記録物のユネスコ登録への保留が決定し、客観的な史料が重要になっているだけに、今回の研究が国際社会連携の扉を開くことになるだろう」と期待を寄せた。
 これを受け、ネットユーザーからは「あまりにも痛ましい歴史」「すべての真実は明らかになるようになっている!」「旧日本軍の蛮行は極めてひどかった」など憤るコメントが相次ぎ、「韓国の国力が日本を上回らない限り、絶対にしっかりした謝罪を受けられないだろう。だからみんな力を合わせて国力を高めよう」「そのためには国に力がないと。みんなで国の経済発展のために頑張ろう」と意気込む声が上がっている。
 一方で、少数派意見として「それなのに今でも親日派の勢力が横行している国」「でもみんな日本に行くし、日本の製品を使ってるでしょ?」「韓国がかつて日本の被害に遭ったことを問い詰めたいのなら、かつて朝鮮が中国(明や清)やモンゴル(元)に献上していた貢女は何?慰安婦のことを騒ぐのは左派の金づるになるからで、純粋に元慰安婦のおばあさんたちのためではない」などとするユーザーも見られた。

       (翻訳・編集/松村)


http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/11/11/0200000000AJP20171111000200882.HTML
「聯合ニュース」 2017/11/11 13:35
■慰安婦被害者が死去 生存者33人に=韓国
【ソウル聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦被害者を支援する韓国の福祉施設「ナヌムの家」によると、被害者のイ・ギジョンさん(93)が11日午前、死去した。

【写真】イ・ギジョンさん(提供写真)=(聯合ニュース)

 イさんは15歳のときにシンガポールに連れて行かれ、つらい体験を強いられた。
 韓国政府に登録されている慰安婦被害者239人中、生存者は33人に減った。
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