三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「南太平洋トラック島に閉じ込められた朝鮮人「慰安婦」被害者の悲しい歴史」

2017年12月19日 | 日本軍隊性奴隷
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/29211.html
「The Hankyoreh」登録:2017-12-11 20:57 修正:2017-12-12 07:59
■南太平洋トラック島に閉じ込められた朝鮮人「慰安婦」被害者の悲しい歴史
 ソウル市記録物事業で朝鮮人「慰安婦」被害者26人を確認 
 フィリピン・マニラから帰ってきた33人の帰還名簿も入手 
 「確認された被害者数にとどまらず積極的に発掘すべき」

【写真】トラック島の朝鮮人の写真資料に収めされたイ・ボクスンさんの姿=ソウル市提供//ハンギョレ新聞社

 1943年慶尚北道漆谷(チルゴク)で裁縫工場に通っていた17歳の少女は、もっとお金を稼げる工場を紹介するという言葉にだまされ、船に乗ってトラック島に連れていかれた。
 ミクロネシア連邦に属するトラック島(チューク諸島)は、太平洋戦争当時、日本海軍艦隊の主要基地であり、多くの朝鮮人が基地の建設などに強制動員された所だ。これまでトラック島で朝鮮人「慰安婦」被害者を見たという回顧は多かった。しかし、実際の慰安婦被害記録が史料で明らかになったのは今回が初めてだ。11日、ソウル市とソウル大学人権センターのチョン・ジンソン教授研究チームは、米軍の戦闘日誌、朝鮮人「慰安婦」被害者が帰還当時に乗った「生野」号の乗船名簿、帰還当時の写真資料、ニューヨークタイムズの記事などの資料を発掘し、トラック島に朝鮮人「慰安婦」被害者26人がいた事実が立証されたと明らかにした。イ・ボクスンさんは1946年に「生野」号に乗り3年ぶりに帰ってくることができた。

【写真】イ・ボクスンさんが日本軍「慰安婦」として連れていかれ、帰ってきた際の移動経路=ソウル市提供//ハンギョレ新聞社

 米軍の戦闘日誌によれば、「生野」号に乗って本国に戻った1万4298人のうち3483人が朝鮮人で、そのうち軍人が190人、海軍労務者が3049人、民間人が244人だった。イ・ボクスンさんとともに朝鮮に帰還する船に乗った人の中には、朝鮮人「慰安婦」被害者26人と子ども3人もいた。

【写真】ハ・ボクヒャンさんの捕虜尋問カードと2001年当時のハさんの生前の姿=ソウル市提供//ハンギョレ新聞社

 今回の資料発掘では、これまで「慰安婦」被害者として公式に登録されていなかった他の被害者の存在も明らかになった。慶尚北道慶山(キョンサン)出身のハ・ボクヒャンさんは、1941年15歳の時に工場の働き口を紹介するという言葉にだまされて紹介人について行き、フィリピンのマニラで日本軍「慰安婦」生活を余儀なくされた。ハさんは「慰安婦」被害者としての登録が始まる前の2001年に亡くなり、被害の事実も闇に埋められた。
 しかし最近、ソウル大学人権センターの研究チームが確保したフィリピンに連れられて行った「慰安婦」被害者の捕虜尋問カードには、ハ・ボクヒャンさんが1945年9月14日にフィリピンのルソン島で米軍に発見され、ルソン第1収容所に収容され帰還船に乗った記録が残っていた。カ・プコという異なる名前だったが、研究チームがハさんの生前写真、十指の指紋を照らし合わせハさんの身元を確認した。
 第2のイ・ボクスン、ハ・ボクヒャンさんのような人はどれくらいいるのか?ソウル大学人権センターのパク・チョンエ教授は「日帝強制占領当時、警察が女性の強制動員をデマだとして強力に取り締まる雰囲気だったため、朝鮮人慰安婦が連れていかれた記録はない。しかし、解放後に帰って来た記録はある。30人余りの尋問カードを持っているので、今後も追加の被害者を確認できるはずだ。韓国政府は被害者として自主的に登録した239人にとどまらず、被害実態の調査に積極的に取り組まなければならない」と述べた。ソウル市は、来年1月に2年間推進してきた日本軍「慰安婦」記録物管理事業の結果を本にして出版する予定だ。

ナム・ウンジュ記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/822991.html
韓国語原文入力:2017-12-11 18:05


http://japanese.joins.com/article/390/236390.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp
「中央日報日本語版」2017年12月11日14時56分
■南太平洋「トラック島」慰安婦被害者の実体、資料で初めて証明

【写真】トラック島に慰安婦として連行されたイ・ボクスンさんの写真(資料提供=ソウル市)

南太平洋の日本海軍基地に朝鮮人慰安婦被害者がいたという事実が資料で確認された。ソウル市とソウル大学人権センターは、南太平洋にある「トラック島」〔現・チューク諸島(Chuuk Islands)〕に連行された朝鮮人慰安婦の存在を米軍記録等を通して確認したと11日、公表した。
 済州道(チェジュド)から南西に約4000キロメートル離れたトラック島は第2次大戦時、旧日本海軍艦隊の主要基地だった。当時、朝鮮人が基地建設などのためにここに強制動員された。もともと「チューク」と呼ばれた地名はドイツ軍占領後「トゥルーク」に変わり、その後日本軍が「トラック」と発音したことでトラック島として知られるようになった。島は現在、ミクロネシア連邦に属している。
 ソウル市は当時米軍が作成した戦闘日時や朝鮮人慰安婦が帰還当時に搭乗した護衛艦の乗船人名簿、朝鮮人の帰還を扱ったニューヨーク・タイムズの記事などの資料を発掘して朝鮮人慰安婦被害者26人の実体を明らかにした。フィリピンやカンボジアなどの日本軍戦線に慰安婦が存在していたことは広く知られていたが、南太平洋海軍基地にも慰安婦被害者がいたということが確認されたのは今回が初めてだ。
 今回発掘された1946年3月2日付けのニューヨーク・タイムズ記事「トラック島の日本人は捕虜ではない(Japanese On Truk Are Not Prisoners)」は朝鮮人がトラック島を離れる状況を具体的に描いている。記事は「トラック島の司令官である海兵准将ロバート・ブレイクが朝鮮人と27人の朝鮮人慰安婦(Comfort Girls)を故郷に返した」とし「ブレイクによると、女性らは残って米国人のために仕事をすることを望んだ。女性たちは他の朝鮮人が日本軍に協力したという理由で自分たちを海に投げ落とすだろうと言って恐れた」と描写した。この記事では、慰安婦を27人と記載しているが、これは子ども3人のうち1人を慰安婦に分類したものに伴うものと見られると研究チームは説明した。
 戦闘日誌によると、帰還した計1万4298人のうち3483人が朝鮮人で、そのうち軍人は190人、海軍労務者は3049人、民間人は244人だった。そのうちの朝鮮人慰安婦26人は1946年1月17日、護衛艦「いきの(IKINO)」に乗り日本を経由して朝鮮に帰還した。
 同艦の乗船人名簿には、慰安婦被害者26人の名前が創氏改名による日本式の名前で記載されていたため身元確認には困難が伴った。ソウル市関係者は「政府に公式登録されている慰安婦被害女性のうち、唯一トラック島に連行された故イ・ボクスンさんを探すことを1次目標にした」と説明した。研究チームは名簿に含まれた名前のうち、大邱(テグ)に住所があった「仁川福順(HITOKAWA FUKUJUN)」がイ・ボクスンさんの創氏改名後の名前だと見て追跡に入った。
 イ・ボクスンさんは生前は口述資料を残しておらず、1993年12月に政府に被害を申告した時にも被害についての簡略内容しか残していなかったため、その人生がベールに包まれていた。研究チームが、生前にイ・ボクスンさんと身近に接していた大邱ヒウム日本軍慰安婦歴史館のイ・インスン館長にトラック島の慰安婦写真を見せると、イ館長はすぐにこの写真の人物がイ・ボクスンさんだと分かったという。数日後、イ・ボクスンさんの息子もこの写真が自分の母親であることに間違いないと確認した。研究チームは「イ・ボクスンさんの夫の戸籍がある慶尚北道安東市の(キョンサンブクド・アンドンシ)の吉安面(キランミョン)事務所関係者らが除籍謄本を一つ一つ確認してボクスンさんの創氏名と住所を捜し出した」と説明した。
 ソウル市とソウル大学研究チームは米国国立文書記録管理庁に保管されている資料を発掘してこのような確認作業に成功した。ことし7月、世界で初めて朝鮮人「慰安婦」を実際に撮影した映像を発掘・公開したことに続く成果だ。市は過去2年間にわたって発掘してきた慰安婦資料を基に、来年1月、単行本を出版する計画だ。


http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/12/12/2017121201169.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/12/12/2017121201169_2.html
「朝鮮日報日本語版」2017/12/12 10:45
■トラック島の朝鮮人慰安婦、米公文書で確認
 これまでは証言のみだった南太平洋トラック島(チュ―ク諸島)の朝鮮人慰安婦の存在が、米国の文書を通して確認された。ソウル市は11日、ソウル大学人権センターの鄭鎮星(チョン・ジンソン)教授率いるチームと共同でトラック島の元朝鮮人慰安婦26人の存在を確認できる米海軍の戦闘日誌と、帰還当時連合軍が撮影した写真、搭乗記録がある乗船名簿、ニューヨーク・タイムズの記事などを発掘したと発表した。トラック島は太平洋南西部にある島で、第2次大戦当時、日本海軍の艦隊の主要基地として使われた。朝鮮人が基地建設のため強制動員された場所の一つでもある。
 研究チームが米国国立公文書記録管理庁で発掘した米軍の戦闘日誌によると、トラック島から帰還した1万4298人のうち朝鮮人は3483人だった。戦闘日誌の医療記録には「この人々(朝鮮人女性)のほとんどは慰安婦だった」という文言があった。研究チームは「日本軍の資料や捕虜の尋問を基に作られた米軍の戦闘日誌からも、この人々を慰安婦と呼んだ記録が見つかった」と説明した。
 朝鮮人慰安婦などは、1946年1月に「イキノ号」に乗って、日本を経由して故国へ帰還した。研究チームが探し出した当時のニューヨーク・タイムズの記事には「司令官が朝鮮人慰安婦(Comfort Girl)27人と朝鮮人らを送った」と記されていた。研究チームは「実際に乗船名簿を見ると慰安婦は26人で、記事では子ども3人のうち1人を慰安婦に分類していたとみられる」と説明した。記事によると、この女性たちは島に残ることを希望したが、受け入れられなかった。慰安婦の女性たちは「日本軍に協力していたと言って、ほかの朝鮮人は私たちを海に落とすだろう」と恐れていたという。
 イキノ号の乗船名簿では、慰安婦の女性26人と子ども3人の名前・職業・住所を確認できた。このうち1人だけ、連合軍が撮った写真を通して身元が確認された。研究チームは、「ハトガワ フクジュン」という姓名を記した女性について、元慰安婦として登録された故イ・ボクスンさん(1926-2008)であることを明らかにした。イ・ボクスンさんの息子が、トラック島の慰安婦の写真で母親の顔を見つけ、イさんの除籍謄本を調べてみると「ハトガワ フクジュン」という姓名が合致。住所も生前暮らしていた場所と一致した。
 また研究チームは、別の元慰安婦、故ハ・ボクヒャンさん(1926-2001)の被害事実も、証言がなされてから16年を経て資料で証明した。ハさんは2001年、韓国挺身(ていしん)隊研究所に被害事実を語ったが、被害者として登録される前に世を去った。研究チームは、前もって確保したフィリピン捕虜収容所の尋問カードと照らし合わせ、ハさんの口述内容を裏付ける客観的な証拠を見つけた。研究チームは、動員された慰安婦の捕虜尋問カード33点に記録された写真と生年月日、住所、両手の指紋をハさんの身元情報と照合した。指紋の鑑識を依頼した警察庁からは「一致する」という回答が得られ、慶尚北道慶山と記載されていた住所も、ハさんの証言と一致することを確認した。
     ペク・スジン記者


http://japanese.donga.com/Home/3/all/27/1153940/1
「東亜日報」December. 12, 2017 09:38
■南太平洋の「トラック島」で韓国人の元慰安婦26人を確認
 南太平洋のミクロネシアを構成する600余りの島の中に「トラック島」がある。正式名称は、チューク(chuuk)諸島だ。ソウルから約4200キロ離れたところである。日本植民地時代にはるか遠いこのトラック島まで日本軍慰安婦として連れていかれた韓国人の存在が、資料を通して初めて確認された。
 ソウル市とソウル大学人権センターの鄭鎭星(チョン・ジンソン)教授の研究チームは、トラック島に連れていかれた韓国人元慰安婦26人のリストを発見したと、11日明らかにした。当時、韓国人慰安婦が乗った日本船舶「イキノ丸」の乗船名簿と米軍が書いた戦闘日誌、写真資料、ニューヨークタイムズの記事などを分析した結果だ。乗船名簿に記載された朝鮮人は249人。このうち女性26人が慰安婦と推定された。
 彼女らの名前は、創氏改名した日本式名前であり、職業は労働者と書かれている。特に大邱(テグ)出身の「ヒトカワ・フクジュン」という人物は、2011年に死亡した元慰安婦イ・ボクスンさんと確認された。イさんは、韓国政府が把握した元慰安婦239人のうち、唯一トラック島に連れて行かれたと証言した。トラック島は太平洋戦争当時、日本海軍の艦隊が駐留していたところである。チュークの日本式発音である「チュルーク」「トラーク」が韓国で「トラック」に変わったことが分かった。
 政府への登録前にこの世を去ったハ・ボクヒャンさんの被害事実を立証する資料も公開された。研究チームは、連合軍が作った慰安婦被害者33人の捕虜尋問カードで、ハさんと推定された「カ・フクコウ」の個人情報と十本の指の指紋を照合して、同一人物であることを確認した。
 研究チームは昨年から米国立公文書記録管理局と英国立公文書保管所の資料168件を分析した。その結果をもとに来月、「文書と写真、証言で見る日本軍慰安婦の物語」1、2巻を出版し、総合展示会を開く計画だ。
     洪禎秀 hong@donga.com
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