三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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日本侵略期(抗日反日闘争期)海南島史研究 16

2007年04月06日 | 海南島史研究
 日本政府も日本軍も日本企業も、侵略犯罪にかんする文書を、過去の犯罪にかんするものも現在の犯罪にかんするものも、ほとんど公表していない。
 海南島に侵入していた旧日本軍兵士や日本企業関係者の手記も、わずかしか発表されていない。
 日本が海南島でおこなった侵略犯罪を明らかにするためには、海南島の人たちから体験を聞かせてもらわなければならない。
 証言を聞きとり、記録し、映像や声や文書として保存し、証言内容を伝えていくことは、国民国家日本の侵略犯罪・戦争犯罪にかんする諸事実を歴史から消し去ることを許さないためにどうしても必要な作業である。
 残されている時間があまりおおくないこの作業を、急ぎつつ持久的に進めていかなければならない。
 1939年2月に7歳だった人は、いま75歳である。
 長寿の人がおおいところであるが、海南島でも日本侵略期のことを体験した人が少なくなりつつある。
 日本軍がかつて襲撃した村を訪ねると、しばしば、当時のことをよく知っているひとが少し前に亡くなったと聞かされる。
 記憶があいまいになっているとか、耳が聞こえなくなっているとのことで、80歳代や90歳代の村人からは、話を聞かせてもらうことができないことがある。
 おおくの人から話を聞かせていただいて日本の海南島侵略犯罪の実体をくわしく知るために残されている時間は、限られている。
 ひとつの村での日本軍の犯罪を知るためには、その村を何度も訪ね、わたしたちの立場と目的をはっきりさせ、村人との信頼関係をすこしでも強くしていかなければならない。

 聞きとりをすすめていくなかで、証言の客観性を検証していかなければならない。
 ひとの記憶は、ときにあいまいなことがあり、記憶違いもあることであり、記憶されている数字が不確かな場合もあるだろう。
 海南島や韓国で聞きとりを続けてくる過程で、わたしたちは、証言を聞くこともそれを記録することも、証言者と聞きとりする者との共同作業であることを痛感してきた。
 村の一隅で、子どもたちをふくむ多くの村人に囲まれながら、聞きとりをさせてもらっているとき、わたしたちは、自分たちの歴史的ありかたを、村人に見つめられているように感じる。

 証言者に発問するとき、その発問それ自体が証言者の証言内容に影響してしまうことがある。
 紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員は朝鮮人と日本人である。
 朝鮮人が発問する場合と日本人が発問する場合では、聞きとりに応えてくれる人の姿勢が異なることがあるのは当然である。

 できるだけ多くの証言を聞かせていただき、それを総合していくことによって、証言の客観性が保証されていく。その意味でも、証言を聞きとり記録する者の責任は大きい。
 被害者からの聞きとりは、決定的に重要である。
 証言の客観性を保証するのは、聞きとり記録するものの任務である。
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