三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南島における日本軍隊性奴隷制度と強制連行・強制労働 5

2011年05月20日 | 海南島史研究
■三、海南島における日本軍隊性奴隷制度と強制連行・強制労働
①、日本軍隊性奴隷制度
2、朝鮮人女性が犠牲者とされたばあい
 海南島に連行され、「慰安婦」とされた朝鮮人女性の数は、はっきりしない。これまで5回にわたったわたしたちの調査と、『文史資料』などの記述を総合すれば、海口、三亜、北黎、石碌、藤橋、陵水などの「慰安所」に収容されていた朝鮮人女性は70~80人となる。今後、調査をすすめれば、この数はさらに増えるかもしれない。
 今回の調査では、北黎の近くまで行ったが、日没のため「慰安所」跡を確認できなかった。北黎の「慰安所」の調査は今後の課題である(牛泊「北黎日軍“慰安所”簡況」〈政協東方黎族自治県委員会文史組編『東方文史』8、1993年3月〉、戴沢運「日軍的慰安所」〈政協昌江黎族自治県委員会文史資料組編『昌江文史』6、1997年1月〉、戴沢運「日寇鉄蹄残踏昌感見聞」〈政協東方市文史委員会編『東方文史』10、1999年12月〉には、北黎の「慰安所」に朝鮮人「慰安婦」が収容されていたと書かれている)。
 海南島の「慰安所」にいれられた朝鮮女性のうち、わたしたちが名前を知ることができているのは、朴来順さんと김옥주씨である。
 김옥주씨からの聞きとりは、韓国挺身隊研究所・韓国挺身隊対策協議会編『強制的につれていかれた朝鮮人軍慰安婦』3(“강제로 끌려간 조선인 군위안부들”3권、도서출판한울、1999년 10월)図書出版ハヌル、1999年10月)に掲載されている。김옥주씨が入れられていたと証言している海口の「慰安所」の場所は、今回の調査のさいには見つけ出すことができなかった。
 朴来順さんについては、張応勇氏がくわしく話しを聞かせてもらっていた。張應勇氏が朴来順さんから聞いたところによれば、朴来順さんは、1942年2月、日本の軍艦で海口に連れてこられ、「慰安所」に入れられ、1943年1月には、三亜の紅沙の「慰安所」に移された。そこは、田独鉱山の近くで、日本軍人だけでなく、石原産業関係者も来たという(朴來順口述・張應勇整理「我被騙逼當日軍“慰安婦”的經歴」,『鐵蹄下的腥風血雨――日軍侵瓊暴行實錄――』下,海南省政治協商會議文史資料委員會編,1995年)。
 張応勇氏は、
  「日本の罪悪史を調査していて、朴来順さんのことを知った。
   国籍も中国に変えないでいるのに、なぜ故郷に帰らないのか、知りたいと思った。
   最初は、なにも話してくれなかった。なんども訪ねて、世間話だけして、帰ってきた。
   病気になって、“わたしはもう死にゆく身だから、みんな話してあげよう”といって、ようやく、そのころ、1994年秋ころからすこしづつ話しを聞かせてもらうこができた。
   故郷に帰りたかったら、領事館を通じてすることができるとというと、“ここで長い間暮らしたのだから、ここで死ぬ”といった」
と話した。
 朴来順さんが保亭の病院で亡くなったのは、韓国と中国が国交を樹立してから3年後の1995年だった。

 1945年に「三亜航空隊」の第二中隊長であった楢原留次によれば、飛行場近くにあった「つばき荘」という名の「慰安所」には、朝鮮人女性15人が「収容」されていたという(楢原留次「海軍経歴と海南島勤務」、『三亜航空基地』三亜空戦友会事務所刊、1980年)。

3、台湾の女性が犠牲者とされたばあい
 日本軍性奴隷制度を裁くために2000年12月に東京で開催された女性国際戦犯法廷で盧満妹さんは、看護婦にならないかと騙されて、高尾から軍艦で海南島に連れていかれ、三亜、紅沙の「慰安所」に入れられたと証言している。
 盧満妹さんによると、その「慰安所」には30人あまりの女性が入れられており、30人が台湾人で、朝鮮人女性や日本人女性もいたという。
 同年2000年8月15日に大阪で開かれたアジア、太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会で、金靜美は盧満妹さんと直接はなしをする時間を持つことができた。そのとき盧満妹さんは、紅沙「慰安所」のすぐ近くには、石原産業の会社事務所があったと話した。

4、日本人女性が犠牲者とされたばあい
 三亜の海軍病院の看護婦であった中里チヨさん(日本神奈川県川崎在住)によれば、三亜の「慰安所」には、朝鮮人と日本人の「慰安婦」が収容されていたという(中里チヨ「撃沈」、医療文芸集団『白の墓碑銘』東邦出版社、1968年6月)。
 1945年10月16日付けで中国陸軍第二方面軍副司令官兼粤桂南区総指揮陸軍中将龍志がだした日本軍海南警備府司令長官伍賀啓次郎宛の「粤桂南区総指揮部命令」には、「日本軍官民ノ家族居留民及軍慰安婦等ハ総テ瓊山、三亜、楽東ノ日軍集中区付近ニ集中シ日本官兵ト共同雑居スルヲ得ズ」と書かれていた。ここに書かれている「軍慰安婦」は、日本人女性である。
 註:この文書は日本防衛研究所図書館が所蔵している『海南警備府引渡目録』21に綴じ込まれているものである。日本防衛研究所図書館が所蔵している海南警備府関係文書(『海南警備府戦時日誌』・『海南警備府戦闘詳報』・『海南警備府引渡目録』・『海南警備府部隊作戦及警備概要申告覚書』など80冊あまり)のうち、海南島の「慰安婦」にかんする記述は極めてすくない。
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