三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「安昌浩・柳寛順・韓龍雲…「日帝監視対象人物カード」が韓国の文化財に」

2018年10月03日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://japanese.joins.com/article/660/245660.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2018年10月01日16時37分
■安昌浩・柳寛順・韓龍雲…「日帝監視対象人物カード」が韓国の文化財に
 安昌浩(アン・チャンホ)、柳寛順(ユ・クァンスン)、韓龍雲(ハン・ヨンウン)、呂運亨(ヨ・ウニョン)など独立活動家の写真が写された「日帝監視対象人物カード」が文化財に登録された。
 1日、国史編纂委員会は所蔵している日帝監視対象人物カードが文化財委員会の審議を経て登録文化財第703号に登録されたと明らかにした。
 日帝監視対象人物カードは日帝が逮捕し、あるいは監視対象としていた独立活動家の身上情報が入ったカードだ。朝鮮総督府京畿道(キョンギド)警察部が1920~1940年代に作ったものと推定される。
 合計4857人が収録されているが、安昌浩、韓龍雲のように数回にわたって逮捕された場合、身上カードも数回作られ、残っている身上カードは合計6264件だ。
 身上カードには人物の写真と共に出生日、住所地、身長のような身上情報と各種活動記録、逮捕記録などが記されている。収録された写真は主に逮捕され、収監直後に撮影されたもので、ほとんど西大門(ソデムン)刑務所で撮影したと見られる。
 安昌浩先生の生前の姿をはじめとして柳寛順、韓龍雲、呂運亨など韓国人に馴染みのある独立活動家も多数含まれている。
 特に、1930年代安昌浩先生の姿は韓国人に見慣れている1920年代中盤とずいぶん違うことから人々を粛然とさせる。苛酷な収監生活でますますやせていく姿から独立活動家の厳しかった暮らしを垣間見ることができる。
 国史編纂委員会関係者は「日帝が作成したもので歪曲された情報もあるが、当時の独立活動家に対する生き生きとした情報が含まれているため、史料として価値が非常に高いと評価されている」と話した。
 一方、日帝監視対象人物カードは国史編纂委員会ホームページ(www.history.go.kr)で誰でも閲覧することができる。独立活動家の名前と生年月日などを入力して検索することができ、原文のイメージもダウンロードすることができる。


https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=243840
「中央日報日本語版」 2018年08月08日11時43分
■日帝「主要監視対象人物カード」4858点、韓国文化財に

【写真】独立活動家、柳寛順(ユ・グァンスン)の主要監視対象人物カード

 日帝が主要監視対象の写真と人的事項などを記した「主要監視対象人物カード」4858点が文化財に登録される予定だ。
 文化財庁は7日、日帝強占期に朝鮮総督府の監視対象だった人物4858人に対する身上カードである「日帝主要監視対象人物カード」を文化財として登録予告すると明らかにした。
 国史編纂委員会が所蔵した「日帝主要監視対象人物カード」は1910~1940年代に日帝警察と刑執行機関で製作したと推定される。安昌浩(アン・チャンホ)、李奉昌(イ・ボンチャン)、尹奉吉(ユン・ボンギル)、柳寛順(ユ・グァンスン)ら日帝に抵抗した代表的な独立活動家が多数含まれている。写真、生年月日、出生地、住所、身長など個人基本情報とともに検挙と受刑に関する事実が記録されている。


http://japanese.donga.com/Home/3/all/27/1417743/1
「東亞日報」 August. 08, 2018 09:35
■日帝監視対象「人物カード」文化財に
 1926年3月5日、東亜(トンア)日報は、3・1運動7周年を迎えて国際農民本部から朝鮮の農民に送られた記念演説の全文を翻訳して掲載した。朝鮮総督府はこの記事を問題視し、3月7日、同紙に2回目の無期停刊処分を下し、主筆だった古下(コハ)宋鎮禹(ソン・ジンウ、1890~1945)は裁判にかけられ、懲役6ヵ月の実刑を言い渡された。
 その後、宋鎮禹は日帝植民支配の間、要監視対象とされ、警察の持続的な監視を受けた。この内容は当時、京城(キョンソン)を管轄した京畿道(キョンギド)警察部などで作成した「日帝主要監視対象人物カード」を通じて確認できる。文化財庁は7日、このように日帝が抗日独立活動家を監視するために作成した「日帝主要監視対象人物カード」を文化財に登録予告することを明らかにした。
 横15センチ、縦10センチのこのカードには、安昌浩(アン・チャンホ)、柳寛順(ユ・グァンスン)、尹奉吉(ユン・ボンギル)、李奉昌(イ・ボンチャン)、韓龍雲(ハン・ヨンウン)など朝鮮総督府の監視対象だった4858人の写真と情報が含まれている。1910年代から1940年代までの間、日帝警察や西大門(ソデムン)刑務所などで作成したと推定される。このカードを検討した漢陽(ハンヤン)大学史学科の朴賛勝(パク・チャンスン)教授は、「写真の保存原版の番号を見ると、カードに作成された人物は7万5千人以上と推定される」とし、「韓国独立運動史研究や独立運動有功者褒賞の審査などに大変重要に活用される源泉資料」と説明した。
 日帝主要監視対象人物カードには、抗日報道で弾圧に苦しめられた東亜日報の記者や経営陣も登場する。編集局長を務めた洪命熹(ホン・ミョンヒ、1888~1968)と朱耀翰(チュ・ヨハン、1900~1979)をはじめ1919年の3・1運動当時、キリスト教代表で東亜日報第4代社長を務めた南岡(ナムガン)李昇薫(イ・スンフン、1864~1930)、中国・上海大韓民国臨時政府の東亜日報通信員を務めた呂運亨(ヨ・ウンヒョン、1886~1947)ら約10人にのぼる。
 カードにはこれまで知られていなかった独立活動家の多くの顔写真もある。安昌浩が1932年に尹奉吉義士の虹口公園義挙後、警察に捕まって西大門刑務所に収監された時の写真もある。1920年代に撮影された紳士の姿ではなく、痩せこけた顔で、激しい顧問にあった独立闘士の現実がうかがえる。
 抗日独立運動団体義烈団の初期の活動の様子も確認できる。義烈団員だったチョン・イソの人物カードには、金元鳳(キム・ウォンボン)を含め義烈団の団体写真が収録されている。1920年3月、中国・上海のフランス租界地域(治外法権地域)で撮影したと推定され、初期の義烈団の唯一の写真だという。
 カードには15歳の学生から72歳の老人まで様々な年齢の人物が収録されている。職業も、学生やジャーナリスト、馬引き、農夫など全国民が日帝の監視に置かれていた。西大門刑務所歴史館のパク・ギョンモク館長は、「人物カードに登場する職業は約70あり、独立運動が一部の階層に限定されず、国民を挙げて行われたことを証明する」と指摘した。文化財庁は30日間の登録予告期間に意見を聴き取り、文化財委員会の審議を経て文化財に最終登録する予定だ。
     柳原模
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