三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南島近現代史研究会第6回総会・第10回定例研究会

2012年08月18日 | 海南島近現代史研究会

 きょう(8月18日)、大阪で、海南島近現代史研究会第6回総会・第10回定例研究会を開きました。
 創立集会のときに決定された会則で、海南島近現代史研究会はその目的をつぎのように定めていました(会則全文は、このブログの2007年7月6日の「海南島近現代史研究会会則(案)」、2008年8月3日の「海南島近現代史研究会 会則」をみてください)。

   1、本会は、とりわけ日本の海南島占領期(1939年2月~1945年8月)の侵略犯罪の
    実態を解明します。
     日本政府と日本軍は、海南島をアジア太平洋侵略の基地とし、さらに台湾や朝鮮や
    中国東北部と同じ植民地としようとしました。そのため、日本軍は、海南島各地で、抵
        抗・反撃する抗日反日武装部隊の兵站をつぶそうとして、海南島各地で住民虐殺や略
    奪などの暴虐な侵略犯罪をくりかえしました。
     また、日本政府と日本軍は、日本企業を海南島に呼び入れ、飛行場、港湾、道路、
    橋梁、鉄道などの軍事施設を整備・新設し、鉱山資源、森林資源、漁業資源を奪いまし
    た。日本政府と日本軍は、海南島各地に「慰安所」を設置し、性的暴行をくりかえしまし
    た。
     日本政府と日本軍と日本企業は、アジア太平洋民衆を海南島で強制労働させ、おお
       くの人のいのちを奪いました。日本政府と日本軍は、「軍票」を乱発しました。
     本会はこの海南島における日本の侵略犯罪の実態を具体的・総合的に把握し、それ
       が海南島の政治的・経済的・文化的・社会的な構造をどのように破壊したのかを究明しま
    す。
      本会は、海南島における日本の侵略犯罪の実態を可能なかぎり総体的に把握し、そ
    の歴史的責任を追及します。
   2、日本の海南島侵略の時代は,海南島民衆の抗日反日闘争の時代でした。
     本会は、海南島における抗日反日闘争の歴史を究明します。

 きょうの総会・研究会では、創立以来の活動をふりかえり、この5年間でできたこと、できなかったことを確かめ、これからの活動の機軸を明確にしようとしました。その前提として、はじめに、キムチョンミさんが、5年間の活動について報告したあと、あらためて、日本が海南島を侵略するにいたった歴史的原因・状況を解明するために、「日本はなぜ海南島を侵略したのか」という主題にかかわる佐藤正人、斉藤日出治さん、蒲豊彦さんの報告に続いて、「日本国家の侵略犯罪の責任者はだれなのか」という問題について参加者全員で討論しました。
 その後、キムチョンミさんがことし3月の海南島「現地調査」、久保井規夫さんがことし4月の海南島「現地調査」について報告し、佐藤正人が「海南民間抗戦研究会準備会、海南省民族学会との共同研究・共同調査」とことし10月下旬~11月初旬に予定している次回の海南島「現地調査」の主目的」について報告して、閉会しました。
                                                                      佐藤正人

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