三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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安重根义士纪念馆

2014年05月04日 | 個人史・地域史・世界史
 4月20日、宿所から小雨のなかを歩いて龙江省博物馆に行きましたが、歴史コーナーは、改装中でした。自然科学コーナーを見たあと、そこから15分ほど歩いて安重根义士纪念馆に行きました。
 ことし1月19日に開館された安重根义士纪念馆は、哈尔滨駅舎の中央部にあり、入口の上部の時計が、安重根義士が1909年10月26日に哈尔滨駅で伊藤博文を射殺した9時30分を示していました。
 纪念馆の奥から1909年10月26日の現場が見えるように設計されていました。
 わたしたちの宿所の近くに哈尔滨市立花園小学校(現住所 南岗区奋斗路27号)がありました。そこは、かつて在哈尔滨日本総領事館の建物があったところで、日本の官憲はその地下室に安重根義士を拘禁し取り調べたといいます。1936年に日本総領事館は移転し、この建物は、日本軍第731部队の隊員の独身宿舍(“白樺寮”)となり、その地下室に抗日志士が拘禁され、731部队が“特殊移送者”を平房などの「実験場」に送り込む基地としても使われたといいます。
 1909年11月1日に、安重根義士、禹淳さん、曹道先さん、刘东夏さんら9人は、哈尔滨駅から火車にのせられ、11月3日に旅顺監獄に入れられました。
 1910年3月26日午前10时に、安重根義士は旅顺監獄で絞首されました。
 幸徳秋水さん、森近運平さん、宮下太吉さん、新村忠雄さん、古河力作さん、奥宮健之さん、大石誠之助さん、成石平四郎さん、松尾卯一太さん、新美卯一郎さん、内山愚童さんが東京刑務所(市ヶ谷監獄)で絞首されたのは1911年1月24日、管野スガさんが絞首されたのは1月25日でした。

                                                     佐藤正人
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