三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南島近現代史研究会第5回総会・第8回定例研究会報告 2

2011年09月02日 | 海南島近現代史研究会
 休憩をはさんで、「花こころ」の糟谷尚子さんが、2008年夏から「花こころ」は、「慰安婦」問題に関するドキュメンタリ―の上映、学習会、講演会などを続け、ソウルの水曜デモに呼応して毎月第3水曜日に姫路駅前で水曜デモを実施し、日本政府に謝罪・補償を要求する活動を行っていると報告しました。
 続いて、海南島戦時性暴力被害訴訟にはじめから参加してた杉浦ひとみ弁護士から話を聴きました。
 杉浦さんは2001年7月にこの訴訟を始めた動機を「歴史をしっかりと見つめなければならない」という気持ちからだった、と語りました。またこの提訴が、被害者の補償請求よりも、むしろ「日本政府が戦後この被害を救済せずに放置したことによって生じた名誉の低下に対して謝罪せよ」という主旨の訴訟だったことを強調しました。
 杉浦さんは、
   「被害を受けた女性たちは、14,15歳の少女のころに日本軍に監禁され、強姦された。    逃亡しようとすると罰として四つん這いにさせられ、おなかに剣の先を突き付けられた状態に置かれた人もいた。
    日本兵は妊娠した女性のおなかを切りさいて胎児をとりだしたこともあった。
    被害女性は、食べ物も満足にあたえられずに監禁され、昼間は農作業などの労働に従事させられ、夜は強姦されるという状態を長期間にわたって強要された。
    それは『夜と霧』で描かれたアウシェヴィッツ収容所の状況に似ている」
と語り、この裁判の意義について、次のように語りました。
   「最高裁の判決でこの裁判が最終的に敗訴となったが、被害の事実を裁判所が認定した意義は大きい。 
    この虐待行為を認定すると同時にその卑劣な行為が批判され、またPTDSの症状についても認定された。
    さらに罪を犯した軍人と国に対する賠償請求権も認定した。
    しかし、日中共同声明で中国が請求権を放棄したことを根拠にして訴えが退けられた」。

 最高裁判決が出た後、弁護団は2010年11月に海南島を訪れ、原告の6名の女性(原告のうち3名は裁判中に亡くなられた)と遺族の自宅を訪ねて、裁判結果を報告しました。杉浦さんはその時の訪問の様子について、映像を追いながら説明しました。
                                         斉藤日出治
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