三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

コバルト鉱山・加徳島・巨済島

2014年02月26日 | 韓国で
 きのう(2月25日)、大邱の慶尚北道議会を訪問したあと、夕刻、金昌淑議員に案内されて、大邱の隣の慶山市郊外のコバルト鉱山跡に行きました。
 2010年10月6日にはじめて慶尚北道議会を訪ねたとき金昌淑議員は、出身地である慶山市にあるコバルト鉱山に朝鮮戦争時に殺害された犠牲者が埋められていたと、話しました。
 朝鮮戦争時に、李承晩政権下の韓国軍や韓国警察によって「保導連盟員」や南朝鮮労働党関係者とみなされた民衆が、村内や刑務所内や近くの山中などで大虐殺されました。この事実はアメリカ合州国軍の諜報機関が把握していました。
 その人数は数10万人だと推定されていますが、正確な数はまだ明確にされておらず、犠牲者の名前もほとんどわかっていません(1960年の四月革命直後に、全国血虐殺者遺族会が作成した報告書には虐殺された人は114万人と書かれており、2004年に創設された「韓国動乱前後民間人虐殺真相糾明および名誉回復のための汎国民委員会」は60万人から120万人が虐殺されたと推定しています)。
 2004年に「韓国動乱前後民間人犧牲者事件真相究明および名誉回復に関する法律」が制定されました。
 2005年8月にコバルト鉱山で虐殺された人たちの遺骨が「発掘」されました。そのなかには、銃弾が貫通した穴があいている頭蓋骨もありました。
 それらの遺骨は、いま、プレハブ造りの建物のなかに置かれています。
 案内してくれた張明守さんが、そのときの発掘のこと、その後のことを説明してくれました。
 きょうは、日本軍が日ロ戦争時に望楼をつくった加徳島を通って巨済島の「捕虜収容所」あとに行きました。
                                        佐藤正人
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