三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

海南島からの朝鮮人帰還について 23

2007年05月19日 | 海南島からの朝鮮人帰還
おわりに:課題
 「朝鮮村」虐殺の事実を、虐殺者たちは、隠し続けてきた。
 虐殺を目撃していた村人の証言がなければ、虐殺の事実は明らかにされなかっただろう。
 筆者が、海南島で「朝鮮の囚人」が働かされていたことをはじめて知ったのは、1980年代はじめ、日本窒素や西松組の社員あるいは海軍施設部員として日本占領下の海南島で労務管理などをしていた日本人の座談会の記録を読んだときだった。そのとき、仲間とともに民衆的な共同研究の具体的な方法を模索しつつ、海南島で働かされていた「朝鮮の囚人」について追求していけば、わたしたちは現地の人びとともっと早くつながることができ、「朝鮮村」虐殺の事実を1970年代に掴むことができただろう。
 日本政府はいまなお、「南方派遣朝鮮報国隊」の名簿を公表していない。
「朝鮮村」に埋められてきた朝鮮人。その人たちの名は、いまだ、ひとりも明らかになっていない。
 虐殺した日本人は日本に戻り、「平和」に暮らし続けた。なぜ、このようなことができたのか! かれらに事実を語らせなくてはならない。 20世紀末に、国民国家日本は、侵略のシンボルを日本国旗とし、「日本国民」を侵略と差別の国民国家に統合する天皇への賛歌を国歌とし、他地域・他国軍事侵略を準備する法律(「周辺事態法」)を施行した。21世紀はじめに、日本軍は、アフガニスタン侵略戦争に参戦した。いま、侵略思想と差別意識を子どもたちに植えつけ、日本国家主義を煽動する書物を教科書としようとする策動が、日本で強化されている。
 現在の日本国家に、「朝鮮村」虐殺の情景が映し出されている。
 2001年1月の発掘で、「朝鮮村」周辺に住む人びとの証言どおり、多くの朝鮮人が残酷な方法で殺害されたことがはっきりした。だが、その全容は、まだほとんど明らかになっていない。
 日本の兵士たちは、「朝鮮村」でおこなったのと同質のことを、アジア太平洋の各地でおこなってきた。それらの犯罪行為のすべてが明らかにされなければならない。日本政府は、事実を調査し、謝罪し、賠償し、責任者を処罰しなければならない。
 こんご、さらに、異土で命を失わされ故郷に帰還できない朝鮮人一人ひとりの生と死の軌跡をすこしでもはっきりさせていきたい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 海南島からの朝鮮人帰還につ... | トップ | 海南島からの朝鮮人帰還につ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

海南島からの朝鮮人帰還」カテゴリの最新記事