三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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文昌市錦山鎮鑑山村で

2017年05月15日 | 海南島史研究
 5月3日朝、海口市内から文昌市錦山鎮湖山墟社區に向かいました。湖山は、日本侵略期に日本海軍海南警備府第15警備隊(呉鎮守府特別陸戦隊)の守備隊が駐屯していたところです。
 昨年11月8日に、近くの錦山鎮玉堂村で王会賢さん(1932年生)に話を聞かせてもらいました。そのとき、王会賢さんは、「王忠は……この地域の共産党の郷長をしていた。王忠は……村の漢奸に通報されて村のすぐ近くで日本軍に銃殺された。日本軍は王忠の首をきって湖山の日本軍基地を囲んでいた鉄条網に吊るした」と証言しました(このブログの2016年11月21日の「文昌市玉堂村で」をみてください)。
 そのときは、わたしたちは湖山に行くことができなかったので、こんど行くことにしました。
 省道212号線を北東に進むとまもなく玉堂村に着きます。そこから212号線を外れて右の細い道に入って湖山に向かいました。
 しかし、その道は悪路で分かれ道がいくつもあり、湖山への道がはっきりしません。迂回しているうちに、たまたま鑑山村に入りました。
 鑑山村のはずれに大きな「革命烈士紀念亭」が建てられていました。
 それは、2009年9月18日に中共鑑山村党支部と鑑山村民委員会によって建てられたものでした。
 紀念亭の中の壁の上部に15人の革命烈士の名と略歴が記されていました。そのうちの5人は、日本軍・偽軍に殺された人でした。その名と略歴は、つぎのとおりです(原文は簡体字ですが、日本で使われている漢字に変えました)。

  呉乾進、男、鑑山鳌頭坡村人、一九一七出生、一九三五年参加瓊崖紅軍独立師、共青団員、任文昌県共青団委委員、一九四一年在文昌鑑山敵偽殺害。
  呉乾則、男、鑑山珠路頭村人、一九一八年出生、一九三六年参加瓊崖紅軍遊撃隊、任瓊崖独立総隊副班長、中共党員、一九四二年在瓊山新坎渓紅樹林戦闘中犠牲。
  呉乾卿、男、鑑山珠路頭村人、一九一五年出生、一九三六年参加瓊崖紅軍遊撃隊、共青団員、湖山郷共青団委員、一九四二年在湖山被捕、惨遭日寇砍頭殺害。
  曽連英、女、竹堆村人、一九一九年出生、一九三七年参加瓊崖紅軍遊撃隊、瓊崖独立縦隊炊事員、一九四一年在文昌県先頭中犠牲。
  陳嘉発、男、鑑山村人、一九一九年出生、一九四一年参加瓊崖独立縦隊、第一支隊戦士、一九四四年在瓊山県戦闘中犠牲。
          
                                       佐藤正人
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