これまでわたしたちは、韓国で、「日本兵」として海南島に行った朴泰愚さん、鄭明出さん、河相祚さん、申載燮さん、崔永洙さん、金永振さん、李西根さん、金相律さん、金成文さんの9人から話を聞かせてもらってきましたが、あらたに、10月6日に、大田市内の自宅で、日本海軍海南警備府第15警備隊に所属していた片福宇さんから話を聞かせてもらうことができました。片福宇さんは、朝鮮南部の釜山に近い鎮海におかれていた日本海軍鎮海警備府の第1期特別志願兵となり、6か月間の「訓練」のあと、海南島に送られていました。
朴泰愚さんと金相律さんは日本海軍海南警備府第16警備隊に、鄭明出さんと河相祚さんは日本海軍海南警備府横須賀鎮守府第4特別陸戦隊に、申載燮さんは日本海軍海南警備府第16警備隊か横須賀鎮守府第4特別陸戦隊に、崔永洙さんは日本海軍海南警備府第15警備隊に、金永振さんは日本海軍海南警備府佐世保鎮守府第8特別陸戦隊に、李西根さんと金成文さんは日本海軍海南警備府舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊に所属させられていました。
朴泰愚さん、鄭明出さん、崔永洙さんは、金永振さん、李西根さん、金成文さんは、第1期特別志願兵、申載燮さんは第2期特別志願兵、河相祚さんと金相律さんは第3期特別志願兵でした。
第1期特別志願兵は1000人、第2期特別志願兵は1717人、第3期特別志願兵は1750人でした(1944年8月の『鎮海警備府戦時日誌』の「海兵団新兵教育」の項には、「第二期特別志願兵(1717名)一般志願者ヨリ採用ノモノヲ第三期特別志願兵(1750名)トシ何レモ8月1日入団教育を開始ス」と書かれています)。
「海軍特別志願兵」として鎮海の「訓練所」あるいは「海兵団」に入った朝鮮人青年は、4467人ほどと思われますが、そのうち3946人の個別の記録が、1993年に日本政府が韓国政府にわたした「軍人軍属名簿」に含まれています。
この名簿は、日本では公表されていませんが、韓国の対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会でみることができます。
わたしは、11日に、対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会で、3946人の記録すべてを閲覧しました。
この3946人のうち130人が、日本海軍海南警備府第15警備隊、第16警備隊、横須賀鎮守府第4特別陸戦隊、佐世保鎮守府第8特別陸戦隊、舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊に「配属」されていました。
佐藤正人
朴泰愚さんと金相律さんは日本海軍海南警備府第16警備隊に、鄭明出さんと河相祚さんは日本海軍海南警備府横須賀鎮守府第4特別陸戦隊に、申載燮さんは日本海軍海南警備府第16警備隊か横須賀鎮守府第4特別陸戦隊に、崔永洙さんは日本海軍海南警備府第15警備隊に、金永振さんは日本海軍海南警備府佐世保鎮守府第8特別陸戦隊に、李西根さんと金成文さんは日本海軍海南警備府舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊に所属させられていました。
朴泰愚さん、鄭明出さん、崔永洙さんは、金永振さん、李西根さん、金成文さんは、第1期特別志願兵、申載燮さんは第2期特別志願兵、河相祚さんと金相律さんは第3期特別志願兵でした。
第1期特別志願兵は1000人、第2期特別志願兵は1717人、第3期特別志願兵は1750人でした(1944年8月の『鎮海警備府戦時日誌』の「海兵団新兵教育」の項には、「第二期特別志願兵(1717名)一般志願者ヨリ採用ノモノヲ第三期特別志願兵(1750名)トシ何レモ8月1日入団教育を開始ス」と書かれています)。
「海軍特別志願兵」として鎮海の「訓練所」あるいは「海兵団」に入った朝鮮人青年は、4467人ほどと思われますが、そのうち3946人の個別の記録が、1993年に日本政府が韓国政府にわたした「軍人軍属名簿」に含まれています。
この名簿は、日本では公表されていませんが、韓国の対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会でみることができます。
わたしは、11日に、対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会で、3946人の記録すべてを閲覧しました。
この3946人のうち130人が、日本海軍海南警備府第15警備隊、第16警備隊、横須賀鎮守府第4特別陸戦隊、佐世保鎮守府第8特別陸戦隊、舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊に「配属」されていました。
佐藤正人
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